見出し画像

【辛さ】うつ病の私が、失恋して思ったこと【次へ】

お久しぶりです、六花です。
気が付けば、2024年を迎えておりましたが、話はタイトルの通り。昨年失恋した私がそのあとどうなったのか?を、起こった症状などを絡めてお話したいと思います。



まるでトトロのメイのように泣きながら帰った。

 どうしてそうなった。と今なら笑い話にできるぐらいメンタルが回復しましたが、その瞬間が訪れたときの私はまず彼の言葉を素直に飲み込めず、めちゃくちゃ泣きました。

 理由としては道外の遠距離になって1ヶ月も経たないうちに、彼側のやりたいことや、距離感等を考慮したときに付き合っていくのは難しいから。との事だったのですが・・・。

 まっさきに私が思ったのは、「あ、私がうつだからなんだ」ということでした。

 理由に関していえば答えはグレーでした。
 私が完全に悪いとか、彼が悪いとかではなく、お互いの日常を考えて一緒にいられないから、という理由ですね。

 けれど実際お付き合いをするってなったときに、病気の事は後からカミングアウトしました。言動などでうすうす分かっていて、それ込みでスタートした関係が、1年にも満たず終わりを迎えることになって、私の頭はパニックながらも、「病気のせいだ」の1点張りでした。

普通の人だったらもっとちゃんと付き合えてたよね、ごめんね

 病気すべてを理由にするわけではありませんが、私はうつと向き合っていく際、自分と相談して決めた仕事をしておりました。

 もちろん、バイトもしていますが、とても年齢的には低すぎるぐらいの収入源の中、彼に甘えていた部分がたくさんありました。
 お金だけではなく、同意を得ていたとはいえデートプランまで考えてもらったり、それでも私は前向きに、すごく元気になったねと言われるほど変わっていきました。

 そんな中での、お別れはめちゃくちゃつらかったです。

 彼との物理的分かれ道の際、さながら、サブタイトル通り、「となりのトトロ」のメイちゃんのように、トウモロコシは持っていませんでしたが、はじめて一目も気にせず大泣きしながら帰りました


約3日間のどん底生活

 さて、帰宅後に私に起こった症状をここでお伝えしましょう。
 もちろん、涙はひっこめました。実家でしたし、父にはお付き合いしていることなど伝えていませんでしたので。

 とりあえず、こんな感じでした。

  • 笑い声が煩わしい

  • 食欲の低下(食べる気力が沸かない)

  • 涙が止まらない

  • とんでもない喪失感、寂しさ

  • とにかく寝たい(考え事をしたくない)

  • 自責が止まらない

これが約3日間続きました。
え?と言っても3日でしょ?」と思いますが、恋愛ってやばいですね。この3日ぐらいの日々は私の中ではめちゃくちゃ長かったです。

とにかく自責や後悔が止まらない。「もっと気を使ってあげればよかった」「あのとき、しつこく連絡しなければ」「もっとちゃんと働いてそれなりの生活が出来るぐらいだったら」なんて。そんなことをぐるぐる考えていました。晩御飯なんて食べれませんでしたし、できれば家族にも会いたくない・・・けれどすごく寂しい。ひとりでいたいけれど、寂しい。

 ぽっかり空いた謎の喪失感に、私は「依存」と名前を付けました。

今まで彼の存在は私にとっては励みだったし、楽しいものでした。
ですが、それと同時に辛さも寂しさも全て彼で埋めようとしていたのかもしれません。寄りかかりすぎた結果、壁のような柱のようなものが無くなった私は、そのまま倒れ込むしかありませんでした。

ですが、そのまま、というわけではありませんでした。
なぜなら3日で、この状態が済んだ理由もまたはっきりしていたからです。


依存先はひとつじゃない。

 実は泣きながら帰る途中、私はどうしても誰かに話を聞いてほしくて友人にLINEをしました。忙しいだろうな、なんて思って普段LINEをあまりしない私でしたが、その友人はたまたま休暇中ですぐに応答してくれました。

 友人は私の代わりにめちゃくちゃ彼の対応に怒ったりしてくれました。
実は話合いをしたというよりは、彼から自己解析した結果を報告され、それが別れる理由で・・・しかも時期も悪く、悪天候も重なり、彼はその日に帰る電車の都合上、私より早く帰宅していました。

 別れを告げられた場所から動けなかったのもあったし、ひとりで帰るときあまりにも虚しく、友人に連絡したところ、私より怒ってくれました。「時間があれば迎えにいったし、相手呼び出してやったのに!」と。

 当の本人より、いろんな友人たちが相談に乗ってくれたし、なにより「あなたが悪いとかじゃないし、病気のせいでもないよ」と。
 欲しい言葉をくれる友人がいたことが、私の救いでした

 ちなみに父以外の家族は付き合ってる云々は知っていましたが、別れた話をすると

 「え、対面で話せただけいいじゃない

 でした。笑

 そうだけど、いや、そうなんだけど・・・・

 欲しい言葉はいつだって、家族からはもらえない。
 私の中での教訓はまた、1段レベルアップしました。

 そして同時に

 やっぱり、友人がいる、家族以外にも寄りかかれる場所があることってとっても大切なんだな。

 と、改めてかみしめました。


次のステップへ!

 今、現在は仕事一筋!!

 というわけでもなく、なるべく仕事もコミュニティづくりも、恋愛も。
 広く浅く、出来る範囲で探しています。(仕事はちまちましております。)

 恋愛だけが全てではありませんが、「今は仕事」でも、「いつか」のときの為に、交友関係を広げておいて損はないと考えたからです。

 コミュニケーションがうまくない私が、大人になってから本当に大切だなぁと感じたからというのもありますが。
 仕事につながる部分でもあり、強化したいと純粋に思っていたからです。

 あと、とりあえずメンタルクリニックでも、別れたことが原因で落ち込んだことを話ました。症状がぶり返している原因ですし、こればっかりはずっと生活していく上で必要となっていくので・・・。

 恥ずかしい、話したくない過去なんかは誰にだってあります。
 しかし、時にはぶちまけてみると、新たな自分が隠れていることに気が付きます。「私ってこういうことができるんだ」とか、「私、これ苦手なんだよねぇ」とか、小さなことだった構いませんし、改めて実感することだって大事です。

 普通とは違う、というのは当たり前で、ふつうの基準なんてそれぞれです自分基準をどうしていくか、それは恋愛面や友情面、仕事面においても重要なことなんだな。そう学習した出来事でもありました。

 

  • ひとつの依存(関係)にこだわらない

  • 自分が「うつ」であること=原因とは限らない

  • 解析してくれる第三者(友人や同僚など)がいてくれる安心

  • 他の人に期待しすぎない、自分にも期待しすぎない

これから先、何かにぶつかったり失って動けなくなったとき、どう対処していくのか・・・それをじわじわゆっくりとでもいいから繋げていけるようになると、またひとつ心が軽くなっていくかもしれませんね。


 それでは。久しぶりの投稿はこの辺で。
 六花の記事を見て、感想などあればコメントやいいねをくださるとうれしいです。

 深刻な末端冷え性の為、湯たんぽふたつ目を導入しようか迷っている六花でした。



共感いただけましたら、サポートお願いいたします。六花のほっとするお時間にさせていただきます。