登山帰りのエピソードスケッチ
山伏岳に登った。下山時に少しだけ雨になる時間帯があった。
途中でレインコートをザックから出し、着て下山した。
駐車場に着き、帰り支度をしていると、後から下山してきた若い男性の方が声をかけてくれた。
「これ、忘れ物じゃないですか?」
それは、奥様のレインパンツだった。ザックを開けてレインウエアを探す時にこぼれ落ちたのだろう。拾って届けてくれたのだ。
「わあ、ありがとうございます!」
無いことさえ気づいていなかった奥様。丁寧にお礼を言って受け取った。
男性はそのまま車道を歩いていった。どこかに車を駐めてあるのだろうか。
車に乗り込んで車道を下っていくと、先ほどの男性が歩いていた。
「あれ? 車で来たんじゃないのかな?」
まさかバス停まで歩いていくのだろうか? 1時間以上はかかる道程だ。
「乗っていきませんか?」
僕らは声をかけた。これも何かの縁だ。
男性は少し躊躇した様子だった。
「いえ、バスが来るまでまだ2時間あるので、のんびり歩いていきます」
「遠慮しなくていいですよ」
何度か誘ってみたものの、男性は車に乗る様子はなかった。
公共交通機関を利用して山伏岳に登る人は少ないだろう。アクセスはすこぶる悪い。それでも独りでやってくるのは、何か特別な想いがあるのだろうか? それとも余程の山好きか。
登山ではソロ登山する人も多い。自分のペースで登り、自分の中で登山を完結させたいという気持ちは理解できる。
例えば人間関係が苦手な人なら、好意とはいえ他人の車に乗って当たり障りのない会話をするのも負担になるだろう。
実は自分もこのタイプだ。
この男性は独りであることを楽しみたいのだろう。
僕らは丁寧に先ほどのお礼を言い、男性を残してその場を去った。
ここから歩いてバスに乗り、市街地に戻る頃には日没を過ぎるだろう。だが必ずしも早く帰る必要はない。
独りの時間が長ければ、それはそれで楽しいのだ。
森の声より。
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