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チャレンジを「続ける」

人との出会いが自分の人生の方向性を変えることがある。
そしてその出会いでの言葉が具体的な財産となり残ることもある。

 子供の時は家族と同居していると親と接する時間が長く、
人生観らしきものは親の言葉やライフスタイルから微かに学び取り、
似たような常識を持ち合わせることになる。 
そして社会へ出た瞬間、多くの人との出会いと共に
新しい常識に触れることになる。
それらがミルフィーユのように積み重なり、
その人の哲学が出来上がっていく。
これを考えると学生のうちから多くの社会人と出会い
生き方の軸を作れることが理想とも思える。

 私の場合、新人配属時の部門長から貰った言葉が重かった。

 その言葉は「チャレンジを続けろ」

「チャレンジをしろ」ではなく
「一瞬でもチャレンジを諦めたら、ここから去れ」であった。

組織は形を変え、人が変わり、過去が見えなくなっていき
私自身も異動があり、職種が変わり、会社も勤務形態も変わったが
言葉は心の中で40年以上同じ状態で残されたままである。
この先も認知症でも進まない限り忘れることはないだろう。

会社の新人など右も左も縦も横もわからず、当然頭脳も使えず、
先ずは思考や判断の材料になるデータベースを作るべく体で働く。
実験の連続で残業100時間は当たり前であった。
先ずはここがチャレンジであった。
有限の時間へ対する自己成長へのチャレンジである。
誰一人怒らず傍観してくれた職場環境にも助けられた。

 その後、業界で誰もがやらなかった発想へチャレンジした。
売り上げに責任を負えばマーケットインのあるべき姿を解明するために
技術屋から離れて売れる仕組み作りにチャレンジした。
業界で未着手の技術サポート体制を構築し、関連他業種ともコラボした。
技術屋上がりのマーケッターはIT化に障壁はなく
時代背景的には最先端を走り抜けることができた。
ここでの発想は決して閉鎖的にやっていたわけではないのだが
チャレンジの意味も伝わらず、
オープンマインドの意味がまだ組織的に理解されなかった時期で
コミュニケーションもなく周囲が私からのOUTPUTを待っていた。

 
 英語の辞書には TRY と CHALLENGE の語彙の差は明確に示され、
CHALLENGEは簡単には達成できないところに目標設定する意がある。
それを継続しながら社会人40年を過ごすことは
自分の成長度合いでの差は大きかったと感じる。 
チャレンジの成果は基本的に一流を得て
個人的に満足できると同時に
社会に貢献したということである。
 
 今は多くの若者と仕事上で出会い、
そして「継続的チャレンジ」を伝えている。
潜在能力を引き出すのではなく新しい能力を作る。

自分の発信力より相手の受信力の方が支配的なので
どれだけ伝わるかその度に不明と感じるが
しかし、人の力を最大化するための使命として
伝え続けるしかないと思っている。

もし、私がエバンジェリストであるなら
継続するチャレンジ
を一人でも多くの人の人生観に埋め込んで大きく成長してもらいたい。

最近、個を磨け、という記事をよく見かける。
しかし、昔から同じであると思って過ごしてきた。
尖ってはいないが突破力もない人々が手を繋いで構成されている組織に
イノベーションや進化は起こり得ない。


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