感情と社会 26

暴力の諸相⑶「心」の対象化 Objectivation

兵士というメンタリティー、やがては「知的」産業を支える<人材>のメンタリティーを査定するための知能指数という尺度は、特に20世紀のアメリカで猛威を奮いましたが、やはりアメリカで、前世紀の終盤から、これに代わる(というよりも、知能指数が差別的だという批判をかわすために用意された、別種の差別といった方が実態に近そうです)「心の知能指数 Emotional Intelligence Quotient、略して EI あるいは俗にEQ)」が産業社会を中心として流行し始めます。何を根拠として、情動のような、定義すらはっきりとしていない心の状態を、一定の尺度で評価できるのかは、明らかにされないままですが、測りたいという動機そのものを理解するのはとても容易です。知能指数同様、集団に適応できて、貢献できる<人材>を選別するためのツールがほしいということです。
知能指数検査は、お話ししたように、あまりにも露骨に差別的だという批判に耐え切れず、現在では唯一差別が正当化されている領域である、「知的に劣っている」人を知覚して選別する(あるいは排除する)ためにだけ、使用されているようです。
これでお分かりのように、人間の質を評価するために何がしかの尺度がほしい、何がなんでも人をランクづけしたい、という暴力的な欲求は、途絶えたわけではなく、社会心理学は活動の場を、より批判を受けにくいところに移しただけです。欲求は留まるところを知らず、新たな差別尺度を発明しました。標的とされたのが感情(EI、Emotional Intelligenceの提唱者や賛同者はこれをじつに大雑把に Emotion と呼びますが、ぼくのように感情と他の心の動きとをもう少し丁寧に区別しようと考える人々もかなりいます)でした。代表的な研究者であるサロベイなどにおいては、Emotion の定義は曖昧模糊としているどころか、「知能」や「認知能力」との区別がとてもぼんやりとしています。
お察しの通りです。心の知能指数を喧伝する人々は、「知能」という看板を「感情」にすり替えただけで、営みとその目的は変わっていません。個々の人間の差別化と、利用しやすい<人材>の発見(にさらに「客観的」という保証書まで添付して)、つまり個の蹂躙と疎外、お馴染みのテーマです。

企業としての収益の増大(実際にはもっと単純に、その企業の経営者の収益の持続的な増大)を最優先させるという、近現代に蔓延している社会構造の渦中で生きる人々にとって、組織内での評価はそれこそ死活問題となります。それは雇用労働者の地位、収入、声望に直接関わります。EI を主導しているのは、心理学の中でも社会心理学と呼ばれる分野ですが、この分野のかなりの学者たちは、主にこうした近現代の社会構造を支えるための理論、あるいはそれを正当化するための観念装置を発明するために、日夜努力しています。つまり、近現代の社会構造の維持を歓迎する大多数の人々と、それに有利な差別指標を提供する〇〇指数の唱導者たちとは、いつでも持ちつ持たれつの関係にあります。檻の中の小さな回し車の中にいて、必死になってそれを回すハムスターと、彼らを檻の外側から励ます人々との関係です。
ハムスターは、おそらくもともと、回し車の中で走る必要がある生き物ではありません。檻から出て、飼育状態から解き放たれれば、ハムスターは好きなように走り回ることができます。しかし、狭い檻に囚われたハムスターは、走るという行為が他にできるということが想像できません。運動への欲求を満たすには、回し車が必要。そのハムスターに対して、「あなたが回し車に適しているかどうか、もし適していないとするなら、どこをどう「改善」すればいいかをアドバイスしましょう」と笑顔で近づく人たちがいます。これが、EI を歓迎する人々と、EI を主導する人々に共有されている、閉じられた世界感です。
アドバイザーも、ハムスターも、じつはもっとほかの世界があるのではないか、などと考えつくことがありません。時折、モニターに映る仮想世界を覗いたり、湾岸の遊園地に高い代価を払って行ったりして、「ありえない」夢のひとときを味わうだけで満足しているのでしょうか。仮想世界や夢の国の作り手や演じ手もまた、やはり同じ雇用労働者であることは、それだけは、全力で意識から追い出しながら。

企業集団(エリアスなら、分業化が極度に進んで自分の労働の意味も価値も理解できなくなった集団と言うでしょうか)に属することが、ほぼ人生の目的となっているぼくたちは、集団内での評価を高めなくては、地位と収入が、つまり自分が保てません。この社会状況を予見して、そうした状況への適応力の高さを見事に発揮した心理学者は、おそらくアルフレート・アドラーが最初でしょう。彼は何よりも、集団への所属感が重要なものだと考えています。集団に貢献することで、人は生きる目的も見つけられるし、自分の性格もどうにでもなると。集団の中で、その集団に明確な疑問や違和感を持たず、ほかの生き方の選択も思いつかず、ひたすらに自己を集団に同化(Gemeinschaftsgefühl は彼の有名な概念ですが、これは文字通り、集団内で自己を喪失して疎外することです)させようと「頑張っている」人には、あまりにも理解しやすく、あまりにも日常的なアドバイスです。「自分を変えたい」という欲求がそもそも、ありのままの自分を受け入れられない、という疎外に由来していることに、気がつくこともないまま。

アドラーの言葉は、どこを切り取っても、至極もっともに聞こえる。
至極もっともに聞こえることばの羅列。その典型は、おみくじに書いてあることや、占い師の占いですね。ぼんやりと仄めかすような文章、誰にでも起きそうなトピックにしか触れない内容。そのせいでぼくたちは、どの占いにも、それなりに「当たっている」感じを受けます。ぼんやりとした文章を見て、ぼくたちは自分に当てはまりそうな解釈を、自分で作り出します。アドラーのことばに見出せるこの特徴は、『推論と反駁』という、言語を使う際の厳密さを執拗に追求した著書を書いたカール・ポパーがまさに批判したものでした(そのポパーはまた、他ならぬその批判が批判の対象となります。このドタバタ劇については次節、「知」という営みの暴力性についてのお話からお察しください。)アドラーの理論は、どんな人のどんな心も、いとも簡単に説明できてしまうのです。
多くの人たちが占いを信じる、あるいはその暗示に乗せられてしまうように、やはり多くの人々が、アドラーの万能の説明に感服してしまいます。ポパーの指摘を待つまでもなく、なんでもかんでも説明できる理論は、何も説明していない理論と同じだと疑った方がよいでしょう。アドラーは、あなたがまさに聞きたい、まさにそう言ってほしいことを、少し仰々しいことばで(「知識人」が使うことばの特徴です)、そのオーラをまとっているが故になおさら魅惑的な説得力を持って、述べているだけです。
アドラーの他に、ユングなども思い浮かびますが、心を説明し尽くそうという欲求に満たされている学説の背後には、なんとしても他者の心を操作したいという欲求(もちろんこれは暴力性です)が見え隠れしています。生後すぐに心を操作される経験しかしてこなかった人々にとって、心とは他者に操作されるものであって、だから自分も他者の心を操作するし、もちろん、自分自身の心も操作する、そう、あなたもわたしも、「変えることができる」んだ、そんな確信が、べっとりと身についてしまっているわけです。

心理学は、20世紀以降、学術業界でも、市場でも隆盛を誇っています。もっとも商業的な成功を収めた学問と言ってもいいでしょう。この新しくて魅惑的な<科学>、アドラーものその一部分として分類されるこの営みは、信頼に値する学問、科学なのでしょうか?

ぼくは、ある小さな心理学会に所属していました。
心理学会に臨席すると、いつも感じることがありました。発表者は何らかの実験を、少人数に対して、あるいは統計処理に耐える多数に対して行なって、それを「適切に」数量化して、何らかの理論モデルを提示することがほとんどです。そして、「認知とは、知性とは、こういうものです、知覚と感情との関係は、こういうものです」という「研究成果」で締め括る。発表時間は長くてせいぜい20分。20分で、人類の叡智(の、一部分ではあるのでしょうけれど)が「わかって」しまうのです。すごいです。
そういう「研究成果」を聞いていていつも感じること、それは、発表している当の研究者が、自分が扱っているデータの外側にいる、ということです。研究者にも「心」があるはずで、つまりある「心理」が、情動が動いているはずなんですが、それはほぼ永遠に、考察の<対象>になりません。あたかも、彼らが「心理」を研究している間は、彼らには「心理」がないような、あるいはその間だけ、自分自身の「心理」を消し去ることができているような感じ。この魔法を可能にしてくれるのは、計測機器、計算方法、妥当な統計理論などの、<客観性 objectivity>を保証すると言われている道具立てのようです。

こうした<研究態度>は、自己疎外に由来するものと思われます。自分自身に心があるという事実を、よく考えてみればまったく謎の合理化によって棚上げにして(ヘーゲルが言う aufheben(原義は、棚上げにして忘れてしまう、というニュアンスを持っている日常語です)状態ですね、後に「現象学的還元」などというご大層なことばを発明したフッサールも同じような棚上げを夢想していましたし、ありとあらゆる「超越論」マニアの学者たちのユートピアです)、心を観察する無色透明の絶対的ゼロ地点のようなものを確保しているという確信。これは、自分のことは「置いておいて」という、方法的にという言い訳はあるのでしょうけれど、まさに自己を alienate する(疎外する、よそ者にする、知らない人にする、エイリアンにする)以外に達成できるものではありません。

フーコーは『狂気の歴史』の中で、こうした事態が18世紀末にフランスで突然起きたことに触れています。狂気、と呼び習わされる、時代や地域ごとにまるで違う知覚で切り取られた何ものかは、古来からずっと、社会全体を困惑させるテーマでした。狂気はまた、哲学における<理性>という奇想天外な聖域という発明品や、心や意識といった、自分自身の内側にある謎めいた何かにとって、あるときは鏡でもあり、あるときは自分自身の一部でもあり得るという、やっかいながらも常にそばにいる、腐れ縁の如きパートナーであり続けていますが、18世紀末、啓蒙と個人主義が徹底し始めた時期のフランスで、狂気に対する知覚のしかたは、現在のぼくたちの知覚のモードに直結しているような、大きな転換点を迎えました。
人間の性格や内面などは、それまで、今から2000年以上も前にガレノスが考え出した四体液説をずっと頼りにし続けていた長い長い時期を経て、解剖学などが流行したあたりから、どうやら人や人の心を動かしている本体は神経らしい(とはいえ当時はまだ神経の湿り気とか、神経の中の液体などが話題になっていました)という知見が19世紀初頭まで新たなトレンドになっていました。
心理学という名を聞いて、今日の人々がイメージするような学術分野が成立するのは、ようやく19世紀前半に至ってからのことです。現在の人間観には欠かすことのできない神経理論も、それにふさわしい<実証主義的な positivisme>医学理論もまだ整備されていない時期のことです。心理学はとても若い学問で、しかもその土台となるような<科学的知見>は、当時まだほとんどありませんでした。
<心理>への強烈な関心は、理性的だという自覚がある人々と、そうではないと理性的な人々が判断する人々(<狂気>に取り憑かれた人々)との断絶が、18世紀までは当たり前だった、監禁による排除という措置で終わっていた時期の終わりと、連動しています。19世紀の<有識者>たちは、あらためて理性的ではない人々のうち、単なる犯罪者ではない、人格が何か根本的に理性に反していると感じられる人々を取り扱うことに大きな興味を抱くようになりました。フーコーの記述によるなら、19世紀に至って、根本的に理性に反している、あるいは理性から逸れている人々は、まずもって道徳的な関心 interest から取り扱われ、そのうちに徐々に、ぼくたちが今ならそう名づけるような、医学的な関心 interest (つまりなんらかの個人的な利害が絡んだ感情) へと移行していきました。
確かにこのプロセスは、現代的な科学への流れの中に位置づけることができますが、フーコーはその<科学化>で起きた疎外を見逃してはいません。

「[施療院で狂人を扱う人々のうちで]変化したのは、しかも突然変化したのは、狂人ではないことの意識でありーーー18世紀のなかば以後、狂気の活発な諸形態のすべてとふたたび対決させられ、それらの緩慢な高まりのなかに捕えられ、やがて監禁の衰退のなかで揺れ動く意識である。」(フーコー『狂気の歴史』p.560)

狂気に対する意識の変化は、狂人の側ではなく、狂人を取り扱う施療院の専門家たちの方に起きたと、フーコーは指摘しています。その変化とは、狂気とはそれを扱う自分とは関連がなく、自分自身は狂人ではないし、自分の中に狂気の要素はないのだ、という、どう考えてみても根拠のない確信だったのです。理性の明証性évidence、私の心が私にははっきり見えている、だから私は私の心をくまなく理解している、と言い放ったデカルト、狂気が自分のうちにあるはずがないと明言したデカルトのいう、理性の明証性は、19世紀にいたってついに、観察者という疎外された自己にとって、当然の意識という玉座に鎮座しおおせるまでに出世しました。

ヨークに療養所を設立した<有識者>の一人、一般的には狂人を監禁状態から「解放した」先駆者と目されているウィリアム・テュークについて、フーコーはこう述べています。
「[テュークは]具体的な人格としてではなく理性的存在として、その点でも、しかもあらゆる格闘に先立って、自分は狂人ではないという事柄から生じる権威を託されて狂気と対決するようになる。」(p.595)

二重の疎外がここに現れています。
ひとつは、自分が観察している対象者 objet は、自分自身の意識や心とはまったく別の、なんの接点もない客体 objet でしかないという、他者に対する疎外 (aliénation よそ者扱いすること)。
「狂気は客体 objet となっているのだ。しかも、特異な地位を与えられて。」(p.561)
「狂気は、見られるものとしてしか存在しない。」(pp.593-4)
そしてじっさいテュークは、収容されている人々の行動を、道徳的に矯正することにだけ専念しました。彼らの心の深淵を、恐れを抱きながら覗き込むことなどせずに。

もう一つの疎外は、自己疎外です。
「狂気をもとにして、また人間がそこで把握する客体としての地位をもとにして、人間はすくなくとも理論的には、客観的な objectif 認識にとって完全に透明になることができなければならない、」(p.562)
そしてさらに、完全に透明になることができると感じたのです。観察をする<実証主義的 positivisme (観察対象としてものを目の前に置く)>な主体は、少なくとも個別性、特異性、一回性としての自分自身としては、消え去ります。

こうして観察者と観察される対象者とは、まったくお互いに縁がないまま、完全に分離されているという意識が、19世紀になって、突然現れました。
ぼくが心理学関係の学会で感じている、研究者が、自分が扱っているデータの外側にいるという印象は、ここに由来しているものです。自我と彼我との分離、非対称性がここに決定的になりました。その分離がある限り、<共感>への模索は夢物語でしかありません。(<共感>については、ずっとあとでお話ししたく思います。)

二重の疎外が起きた時に、後のありとあらゆる精神科学の根幹も同時に生まれたことを、やはりフーコーは指摘します。
「狂人であることの、人間にとっての偶然性と、狂気が客体 objet であることの可能性とは18世紀末に合致したのであって、両者の出会いによって(この場合、出会いの時期は偶然ではない)、実証的な精神医学のさまざまの措定 position と同時に、客観的な人間科学の諸主題が生れた。」(p.562)
そして、同時期に、心理学も生まれました。

この二つの疎外は、言うまでもなく、自己疎外というただ一つの疎外の帰結にすぎません。二重というのは、単なる見せかけです。他者を単なる対象に転落させるという疎外は、自己が疎外されている場合に必ず起きる事態です。心理学という新参者の学術には、常に自己疎外が寄り添っていると思われます。そうでなければ、心理学者に特徴的な、無色透明である、自分は絶対的な観察者である、観察対象をまったく侵害もせず、対象になんの影響も与えない、対象の考察の結果は自己の心理にもなんの影響も与えない、つまり、自分は<実証的>で<客観的>なのだ、という信念は、とても理解できるものではありません。狂信的なこの信念の由来が、自己の空虚感だろうということはすでにずっとお話ししてきました。自己の空虚感を埋め合わせるために、人は暴力を、自己に対しても(自己受容をしないという心で)、他者に対しても(他者を共感的に感じないで操作できる道具だと感じる)ふるうことも、ずっとお話ししてきました。
心理学は、<病理学的>な心の状態を扱うこともありますが、じつは心理学そのもの、心理学に対する欲求を持つこと自体が、<病理学的>なのでしょう。心を対象化することで、観察者は、肝心のテーマであるはずの心から逸れてしまいます。対象者の心から逸れることはもちろん、そしてその前にすでに観察者が、自分の心から逸れてしまっているのです。
疎外という暴力は内在化し、徹底的に内面化しています。それが暴力性として感じ取られることは、極めて稀です。

アドラーは、まさにそこに答えがほしい、ということのすべてに、答えを与えてくれます。全知全能の心理学者。このような心理学者は、ええ、すでに人ではありません。人をはるかに超え出て (transcendere) います。アドラーがどうやってこの超越的、超絶的な、ええ、狂気に満ちた境地(自らを超人と称した「狂人」ニーチェはその典型例でしょう、フーコーもこの点には注目していました)に至ったのかは、彼のような<心理学者>が生まれる前の約100年を振り返ると、かなりよく理解できるようになります。
アドラーは文字通り、エイリアン。alien、人間ではない、宇宙人。缶コーヒーのCMに出てくるような、よそ者であり観察者。そして、alien、自己自身から追い出され、自分が誰かを感じ取れなくなっている、疎外 alienate された存在。この不幸な自己疎外、内側に折れ曲がったこの暴力性は、19世紀にすでに支配的な情緒になっていて、20世紀に満ち溢れて現在に至る、<科学的>、positivisme (物をそこに置いて透明な自己がそれを眺める)な世界感として開花したのでした。その王道、ど真ん中を行進し続けているのが、心理学、少なくとも<実証主義的>であることを標榜している、心理学です。

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