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いつでも人生の舵は自分で取ること。

一体いつからだろう。何か悩んだときや迷ったときに他人に相談しなくなったのは。昔は何でも周りの人たちに聞いてアドバイスをもらってから行動したりしていたが、気づいたら「誰かに相談する」という行為をまったくしなくなった。

よく「何でも相談して」と言われたりもするが、「自分の悩みや迷いを他人に相談して何か変わるのか?」と思ってしまう。というのも、自分が考えていたり悩んだりしていることのほとんどは、他人にとっては果てしなくどうでもいいことであり、ほぼ間違いなく理解されないからだ。

私は何でも考えてしまう性格をしているが、おそらく悩みの質が他人とはちょっと違う。転職しようか悩んだり、どうすれば恋人ができるかとか、生活を楽にするにはどうすればいいかとか、もっとお金を稼ぎたいとか、そんなことで悩んだりはしない。私が悩む問題のほとんどは「人間の本質」に関わる部分であり、お分かりのとおり、ほとんどの人は人間の本質になんか興味はない。

他人はあなたを理解していない

ここまで読んだ人の中にも「人間の本質」という言葉が出た時点で、ちょっとばかし嫌気が差した人もいるだろう。スマホの画面をタップしてほかのnoteでも読もうと思った人もいるかもしれない。

誰も「人間の本質」みたいなめんどくさいことは考えたくないし、大多数の人たちが欲しがっている情報は、今すぐに結果や効果を実感できる方法だ。でも私はそんなことを考えたり書き綴ることに興味がない。

そもそも、普段考えていることが違う他人に、自分が抱えている悩みを相談して解決することなんてあるのだろうか?他人に相談し、他人の考えや経験してきたことを聞き、「○○したほうがいいと思うよ」と言われることに、一体なんの意味があるのだろうか?

人は自分のことしか理解していない。いや、自分のことさえ理解できていない人が多いが、他人の自分への理解は自分の自分への理解よりもかなり低いだろう。自分は自分の生活習慣を知っているが、他人があなたの生活習慣を知っているわけではない。

それどころか、好きな食べ物や嫌いな食べ物、起きる時間や寝る時間すら知らないのだ。そんな他人に自分の深い悩みを相談し、本当に有益な答えが返ってくると思えるだろうか?

結果が出ない言い訳の「兼業」

私自身、これまで何度か大きな決断と行動をしてきたことがある。会社を辞めてフリーのライターになろうと思ったのも大きな選択の一つである。しかし、その時も周りの人たちからは反対された。「やめたほうがいい」「まずは副業から」「それなりに結果が出るまでは兼業が一番」、そんなことを散々言われた。

でも私はそんな反対をすべてシカトし、結果が出るどころか仕事さえない状態で会社をやめた。というのも、「結果が出るまでの兼業の期間」が無駄だと思ったからだ。兼業だと一日2〜3時間ぐらいしかできないが、会社をやめれば一日中取り組める。どっちのほうが結果が出やすいかは一目瞭然だ。

「結果が出るか出ないかは、費やした時間とは関係がない」という声が聞こえてくる。たしかに一理ある。時間と結果は比例しないし、努力と成果も比例しない。そんなこと嫌というほど実感してきた。

だが、兼業だと結果が出ない時に自分に言い訳ができる。「時間が足りないから結果が出ない」「本業が忙しくて」などなど。私は結果が出ない言い訳を、自分ではないほかのことに責任転嫁するのが嫌だったのだ。

失敗が当たり前のスタンス

兼業でコツコツが大事なのもわかる。それで結果が出てから本業を辞めれば、一応安定した生活が手に入る。でも、兼業だと専業よりも結果が出にくいのは確かだ。費やした時間が必ずしも比例するとは限らなくても、費やせる時間は多いに越したことはない。

やりたいと思ったことに対しては、やれるだけのことをやるのが私の信念でもある。やれるだけやるには、兼業という状態は私には合わなかった。だから会社を飛び出し、フリーになった。

おそらく大多数の人たちは、私の決断や考えを聞いても共感できないだろう。時には思い切って飛び出すのも大事だが、それで失敗したらどうするんだと、多くの人はそこで尻込みしてしまう。

でも、何度もnoteで述べているように、私の生き方のスタンスは基本的には「絶望」である。自分にも他人にも社会にも人生にも何も期待しちゃいない。だから「失敗するのが当たり前」なのだ。

失敗することに対する不安や恐怖はない。それが自然なことだからだ。普段からすべてを失う覚悟があるから、失敗してお金がなくなっても大して気にならない。また一からやり直せばいいだけだからだ。

人生の舵は自分で取るべき

今まで生きてきて、こうした自分の考えと一致した人と出会ったことがない。自分の考えを話すと大抵頭ごなしに否定される。甘いだの考えが足りないだの世の中舐めてるだの、バカだのアホだのと何回も言われてきた。だが、そうした言葉に従ってやめたとしても、「やめてよかった」と思ったことは一度もない。むしろ後悔の念しか残っていない。

一方、自分がやりたいと思い、他人の反対を押し切って行動したことに対しては、たとえ結果が思い通りにいかなくても後悔したことはない。むしろ「やるだけやった」という事実に対する清々しい気持ちが残ってる。

やはり人生の舵は自分で取るべきなのだ。自分で舵を握っていれば結果がどうなろうと受け止められる。他人のアドバイスに従って失敗すれば、その責任を他人に押しつけてしまうだろう。

私が他人に相談したり悩みを打ち明けたりしないのは、根本的に考えが異なっているからだ。でもこれは相談することを否定しているわけではない。人によっては相談やアドバイスが人生の転機となることもあるだろう。私はただ、他人の考えが自分の肌には合わないことが多かったため、今では自分で悩み、考え、迷いながら答えを出してるに過ぎない。

自分で決めるにしろ他人に相談するにしろ、訪れた結果に対しては、後悔の念を抱かないように生きるのが何よりも大切なのだと思う。

おしまい。

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