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人はみな”何者”かになりたがる。

人はみな何者かになりたがる。恋愛ドラマや映画の主人公からアニメや小説のキャラクター、スティーブ・ジョブズのような起業家からエジソンのような発明家、大声援を浴びるアイドルやミュージシャンからベストセラーを生み出す作家や累計発行部数1億部を超えるマンガ家といった存在まで、人は誰もが自分を”何者”かにしようと一生懸命に生きる。

現代社会に生きる多くの人たちが、学歴や職歴、会社での地位や権力に憧れ、他人に羨望されるような肩書きを求めながら、世間体と他人からの評価を気にして生きる。誰もがありのままの自分で生きることに抵抗を感じ、自分に付加価値をつけるために専門的なスキルを身につけようと頑張る。

でも、いくら表面上の要素を着飾ったところで、自分は自分でしかないのだから、本質的な人間性は何も変わらない。

C言語やPythonといったプログラミング言語を習得しようが、東大や慶應大を出ていようが、年収1000万を超える大企業のエリートビジネスマンとして仕事をしていようが、あなたの人間性は、ありのままのあなたからは何一つ変わっちゃいない。


"何者"かを目指す"あなた"

学歴や職歴、資格やスキル、職業や肩書きといったものはあなたを表す指標にはなりえない。たとえあなたが”何者”かになれたとしても、”何者”かになろうとしたあなた自身は、紛れもなくあなたそのものなのだ。

つまり、あなたという存在は肩書きによって決まるのではなく、何を考え、何を思い、何をし、何を求めているかによって決まる。最終的にたどり着く”何者”かは結果でしかなく、”何者”の前には”あなた”がいる。

現代社会は競争社会だ。右を見れば学歴でマウントしてくる輩がおり、左を向けば年収でマウントしてくる輩がいる。後ろを振り返れば肩書きでマウントしてくる輩がいて、前を向けば専門的なスキルでマウントしてくる輩がいる。

現代社会はどこを見ても他人との競争を強いられ、他人に対してマウントをとって優越感を感じることが満足度の高い人生だと洗脳される。それゆえ、人は良くも悪くも他人の存在なしでは満足できる生を送ることができない。


何者にも夢は必要?

でも、”何者”かになろうとすること自体は悪いことではない。自分にとって理想となる”何者”かのイメージがあることにより、人は努力し、知識を身につけ、行動を起こし、人生を少しでも充実したものにしようとする。

誰だって敗北感を味わう人生よりも、理想の自分になって他人にドヤ顔を見せるほうが幸せなのである。ここでも幸せの指標は他人の存在だ。

よく、「夢は必要かどうか」といった問いかけをされることがある。夢を持つことが人間的な成長を促し、努力や目標に向かって頑張る強さを醸成すると言い、あたかも「夢がない人は人間的に未熟になる」とでも言いたいかのようだ。

小学生のうちからペラペラな一枚の紙に「将来の夢」を書けと言われるように、少なくとも日本の学校教育では夢があることがいいことだと思われている。

しかし、本当にそうだろうか?夢を持って”何者”かになろうとするのは、人間的な成長を促し、努力の大切さを教えることには役立つかもしれない。でも、夢があることで固定化された人生の道が生まれ、人生から柔軟性を取り除いてしまうこともある。

人間には依存心や執着心があり、一度手にしたものは中々手放そうとしない傾向がある。

夢を追う期間が長ければ長いほど、その期間と時間に費やした努力と労力をなかったことにするのに抵抗を感じる。本当は別の道に進むべきだとわかってはいても、いつまでも夢を捨てきれずにズルズルと引きずってしまう。そうして、無意味だとわかっている道をどこまでもどこまでも歩んでいく。


現代の夢ビジネス

もちろん、運が良ければ夢が叶う可能性はゼロではないし、憧れの”何者”かになれるかもしれない。でもそんな人はごくごくわずかだ。私たちが目撃している成功者は、何百万人と存在する99%の敗者の上に存在する1%の人たちだけである。

それゆえ、あたかも成功の確率が実際の確率よりも多いと錯覚してしまう。自分でもちょっと努力すれば”何者”かになれると勘違いしてしまうのだ。

私は別に夢を持つことを否定しているわけではないし、夢は叶わないと断言しているわけでもない。ただ、夢は学校の先生やロックミュージシャンが語っているほどいいものではないよ、と述べているだけだ。

現実の世界では、夢は商品化されお金儲けの道具として扱われている。人間の”何者”かになりたがる心理を利用してお金儲けするためには、夢をダイヤモンドに見せかけて売りつけるのが一番なのだ。


ありのままの自分

私たちはいつも”何者”かになりたがる。他人から尊敬されるような存在になることが使命であるかのように、ありのままの自分ではなく商品価値のある自分になりたがる。それがサクセスストーリーのはじまりではなく、不幸のはじまりだとは決して気づかずに。

情報化社会のおかげで、現代の競争社会は一層勢いを増している。そんな時代に生きる私たちに必要なのは、時代の荒波に飲まれずに自分をしっかりと持つことだ。

ありのままの自分を許容し、自分の核を壊さずに自然体で生きる。月並みな答えだが、他人や社会に影響されながら生きることは、船頭を他人任せにするということである。そこに自由や幸せなんかありゃしない。

私たちは”何者”にもならなくていいのだ。


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