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息子が「習い事の練習をしない!!!」親としてどう向き合うべきか?

以前こちらでも記事にしたが、息子は現在ヤマハでエレクトーンを習っている。
※自宅では電子ピアノを使っているため、以降は「ピアノ」と呼ぶ。

自宅でやっている英語アプリとZ会のワークを別にすると、唯一外に出て行っている習い事だ。

6人クラスのなか、親のひいき目を抜きにしてもなかなかしっかりやっている。プチ発表会では堂々とレパートリーを披露し、ペコリとおじきして戻ってくる。なかなか大したものだ。

でもここ最近、自宅で練習を嫌がることが増えてきた。
練習しない→思うように弾けない→楽しくない→練習しない
の無限ループに入ってしまうことを恐れて、様子をみながらやる気スイッチをぽちぽち押してきたが、そもそも私にピアノのことで声をかけられること自体がやる気を削いでいるようだ。

わかるぅ~~~~~~!!!

あったあった、母になにかしなさいと言われるたびに「今しようと思ってたのに!」「いわれたからやる気失せた」と大きなため息をついて反抗していた自分を思い出す。

あの時の母の気持ちが今ならわかる。このイライラ、もどかしさ。練習しないなら辞めなさい!と今にも口にしそうになったのをグッとこらえながら、しばらく息子にピアノの話は振らないでおいた。

しかし、私のイライラは収まらない。
でもこのイライラは子どものせいではない。完全に親、つまり私自身の問題だ。

それはつまり、自分が思う、あるべき「習い事をしている子ども像」を勝手に作って、それに当てはまらない、自分とは別人格の人間(=息子)にイライラしているということなのだから。

それでもどうにかこの問題を上手に受け止めたいと思い、あれこれ検索した。
「子ども 習い事 練習しない」「子ども 練習しない イライラ」など、似たような検索ワードが履歴にびっしり残っている。

色んな人の色んなアドバイスを目にしたが、私が一番感銘を受けたのはこちらのYoutubeだった。

神奈川県でピアノ教室を経営している野口幸太さん。

穏やかな口調で語られるそれは、私のように悩む親のことはもちろん、練習をしない子どもを否定することもなく、ピアノや習い事が今の時代子どもの人生にとってどういう立ち位置になりえるのか?についてだった。

ピアノが弾けること自体が豊かさではない。
仮にピアノが好きじゃない、向いてないな、と気づけるときがきたとしたら、それはその子にとっては大きなステップ。嫌いを知るということは、好きを見つけるきっかけにもなる。人生という大局でみるとオールオッケー。

そのように考えていらっしゃる、というお話だった。

個々人の人生の中において、ピアノと心地よい付き合いができるということがたしなみである、か・・・
なるほどなあ、と深く頷くとともに、私自身心が救われる思いがした。

野口先生のYoutubeを拝聴した後、息子のピアノに対する思いをもう少し聞いてみたいと思い、色々と話をしてみた。

曰く彼にとって「ピアノを習う目的」は、弾いているところをパパやママやお客さんたちに見てもらう(発表会にでる)、ことなのだそう。

普段、結構恥ずかしがりの息子が、ヤマハの教室で一人で発表するときに堂々としているのは、ここに繋がっているんだということが改めてわかったりもした。

日々どれだけ練習して完ぺきな状態でレッスンに行けるか!?に必死になっていた近視眼の自分が恥ずかしい…

息子はもしかしたら、ちょっと人前でピアノが披露できたらそれでとても幸せなのかもしれない。
そしてももっと言うと、それはピアノである必要は必ずしもなくて、演劇でもダンスでも水泳の記録会でもいいのかもしれない。
人前で何かを披露する、それで喜んでもらう。それが彼のモチベーションなんだから。

とはいえ練習をしなければ、いつかはついていくのが難しくなる時もくるだろう。ピアノに限らず、何かを身につけるってそういうことだ。
でも「練習しないとうまく発表できないんだ・・・」と気づけたら、彼はその気づきを、今度は力にかえることができるだろう。

それくらい広い視野をもって温かく見守りたい。
親って難しい。でも最高に楽しい。

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