適切な資本主義との関わり方 〜資本の奴隷の脱し方〜

昨今、「資本主義」や「グローバル化」、「新自由主義」に関する論述について多く見かけます。
https://note.com/lib_arts_journal/n/n6982f5f7f1d4
筆者は上記でも述べた通り、元々競争社会についてはそれほど反対の立場ではなく、むしろ競争自体は賛成の立場です。一方で、昨今これらについて違和感を感じることも多いです。

「資本主義」が世界のメインストリームとなったのが、1991年の「ソ連の崩壊」などによる「冷戦の終結」にあると見て良いと思いますが、対立軸を失ったことで「資本主義」そのものが絶対化してきている可能性を感じます。

さて、今回の記事ではそんな「資本主義」をどのように理解し、今後関わっていくと良いのかについてまとめたいと思います。副題を「資本の奴隷の脱し方」としましたが、どのような形で資本主義を理解すべきかについてまとめてみました。以下が目次になります。(後半だけ有料としました)
1. 改めて資本主義とは何か
2. 冷戦の終結と資本主義・グローバル化
3. ナショナリズムは何故出てくるか
4. 日本の政治の劣化と批判は悪の風潮
5. 資本の奴隷の脱し方

1. 改めて資本主義とは何か
1節では資本主義について簡単にまとめます。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/資本主義
上記に記載があるように、資本主義は「営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている経済的・政治的システム」とされています。ざっくり理解するなら、「営利の株式会社を基本的な個々の主体として構成される経済的・政治的システムである」ということと理解しておけば十分だと思います。

2. 冷戦の終結と資本主義・グローバル化
2節では冷戦の終結と資本主義・グローバル化について取り扱います。こちらもWikipediaの記載によると、「西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営」とされています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/冷戦
この対立についてはイデオロギーの対立などとも言われていますが、1989年に終了し、1991年にソ連が崩壊したことから主に西側諸国の勝利とみなすのが妥当だと思います。この際に「社会主義」に基づく経済は結果平等となりがちなため社会が停滞したというのが一般的に言われている内容です。

この冷戦の終結後の2000年前後頃からグローバル化やIT、規制緩和などが世の中で多く報じられるようになりました。日本では橋本内閣による行政改革や小泉内閣による郵政民営化などが有名だと思います(1985年の中曽根内閣の頃にも言われていますが、厳密な前後関係について論じるのがテーマではないのでここでは流します)。

3. ナショナリズムは何故出てくるか
3節では近年出てくるナショナリズムについて少々触れてみたいと思います。ナショナリズムはグローバル化の反動として出てきたと考えるのが妥当だと思います。グローバル化によって世界が統一市場化することによって、そのメリットもありつつ、デメリットの影響への反動です。たとえば先進国における移民問題が例としてあげられると思います。

グローバル化に伴う企業の多国籍化に伴い、国家における雇用の取り扱いが非常に難しい状況に陥っています。グローバル化に伴う世界標準化の流れの中で単純労働者と知的労働者の二極化が進み、単純労働者は自国の労働者ではなく移民で賄うというのが先進国の対策となっています。この移民政策に伴い、元々その国に住んでいた中流階級が没落しその反動としてナショナリズムが生まれているというのが背景にあるようです。近年は元々移民の国であるアメリカだけでなくヨーロッパなどでも移民を受け入れています。日本では移民という名目ではないですが、近年首都圏を中心に実質移民のような形でコンビニなどの単純労働者が入国するようになってきています。

移民などの外国人労働者が増えると、市場原理により国の中での労働者の賃金の引き下げの圧力が高まります。これにより、単純労働については外国人に置き換わることで、該当職種については物価の安い外国人との競争になります。多くの先進国ではこの反動として、ナショナリズムが生じてきたと言われています。

4. 日本の政治の劣化と批判は悪の風潮
筆者の見解として、このグローバル化の流れ自体はそれ単体で見て批判すべきではないと思うものの、国家という枠組みでの政治を考えるにあたっては「無批判で礼賛すべきものではない」と認識しています。とはいえ、現行の自民党政権からはかつての「思考の坩堝」であったと思われる懐の深い自民党の姿が見えません。昨今強行採決が多く行われたり、国会中継を時折見ても議論というよりは「詭弁とはぐらかし」が多く見受けられます。

なぜここまで無茶な国家運営が可能になってしまったのでしょうか。
https://note.com/lib_arts_journal/n/n8e7a6251e21b
理由としては上記にも述べたように、選挙区制の改変が大きいと思います。これにより派閥政治が衰え、党執行部の権力が強くなったとされています。派閥を中心とする政治は時に悪い面もあったようですが、擬似的な政権交代が何度も行われており結果として権力監視がうまく働いていました。

最近では「批判は悪」のような風潮も出てきたと聞きます。「政治家が頑張っているのだから」は言語道断です。というのも国家権力は全国民のものであり、誰もが声をあげる権利はあるからです。もちろん一時期のマイノリティ団体によるデモなどについては筆者もそれほど良い印象はありません。が、「なんか言ってるやついるよー」が「批判をするなんて悪」のように変わると国家権力の暴走の可能性が出てしまいます。

何かのトピックで騒いでいる奴がいるくらいの程度の話は放っておけば良いのです。権力は分散しているというのが近代以降の国家を運営する基本です。批判をする人がいなければ権力は集中し、だんだん腐敗していくので注意が必要です。

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