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私小説1 Exam 1Q80-1Q81

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一浪した大学入試は、通算1勝13敗1補欠という結果であった。田舎から脱出したい思いだけで、その唯一の手段として臨んだ。その時々に小さな事件が発生して、刺激を受けた。もう半世紀も前…
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フシミノ サケ

フシミノ サケ

 高校3年生になって、大学進学を決めた。企業城下町に生まれ育ち、そのサテライト企業でも給料はいいと聞いていた。また、安定という言葉を連呼していた奴は、町役場職員試験に臨んだ。「平凡」という雑誌が売れていた。プー太郎も良かろうとも考えた。

 一応、進学クラスの一員だった。まだ高校生なのに、貫禄すら感じる女生徒が筑波大学に、小学校からの同級生の男が上智大学に、推薦入試で受かったそうだ。また、国税専門

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神様の言うとおり......。

神様の言うとおり......。

 1981年2月14日の朝。渋谷駅構内で、考え込んでいた。手には、2枚の受験票。A大学とK大学。自己嫌悪で、イラついていた。全く単純極まりないミスである。同じ日に2つ願書を出してしまったのだ。

 どっちでも良かった。大学で勉強したいことなんてない。当時は、どちらも50倍以上の競争率なので、こんな大学でも落ちるのかよと、自己意識は被害者ヅラに変えた。

 どちらかに決めなければならない。そういえば

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大蛇のように

大蛇のように

 W大学は、現役・浪人で、都合5回受けて落ちた。第一志望校なれど、合格できそうもないと、現役終了後に思っていた。

 月15,000円の安アパートが、西武新宿線の下井草と井荻の中間にあったので、迷わず入居。浪人生活は、沿線にある高田馬場駅横のW予備校の格安コースから始まった。

 この駅の出口は2ヶ所ある。右に向かうのはW大生で、左は予備校生。右と左では、空気が全く異なっていた。当然、右側が燦然と

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都落ち

都落ち

 奴と私は、特急はつかりの車内にいた。下り線である。空いた車内の座席を対面スタイルにして、2人は、向かい合わせに座っていた。会話は、なかった。ただ、外の景色の流れを見ていた。

 受けた大学の合格発表は、ためらわず全て見に行った。自分の受験番号は、1回も見なかった。50倍以上の競争率を克服するのは無理だった。W大学など、自分の受験番号の前後100人以上がなかった。

 京都のR大学の結果は、バイト

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