見出し画像

フシミノ サケ

 高校3年生になって、大学進学を決めた。企業城下町に生まれ育ち、そのサテライト企業でも給料はいいと聞いていた。また、安定という言葉を連呼していた奴は、町役場職員試験に臨んだ。「平凡」という雑誌が売れていた。プー太郎も良かろうとも考えた。

 一応、進学クラスの一員だった。まだ高校生なのに、貫禄すら感じる女生徒が筑波大学に、小学校からの同級生の男が上智大学に、推薦入試で受かったそうだ。また、国税専門官とかいうのに決まった奴もいた。

 大学とやらに行ってみようと思った。せめて、この県から出てみようと思った。大学で何を勉強するのかなんて決めてはいない。入った所で決められた勉強をする。そん程度で全く問題ないと思った。

 5、6人の目的のないグループのメンバーだった。喫茶店で、一緒に暇つぶしをする程度の仲だ。誰かの提案で、同じ大学に行かないことになった。服屋のボンボンが、東京と言った。後は次々と、北海道、仙台、新潟と決まっていった。残りは、関西ということになった。かくして、京都に割り振られた。

 共通一次試験の自己採点や今までの模試結果により、学部は度外視した志望校選びをした。そして、 京都のK K大学とR大学を受けることになった。受かる自信などなかった。

 京都で受験するには、宿が必要だった。通常の流れに遅れてしまって、取れたのは二条城真向かいの「観光」という名称のついた高そうなホテルだった。修学旅行で見学済みだったが、鶯張りの廊下には、ちゃんと行ってきた。平屋建てのお城には、どうも違和感があった。こういう「名所」が生活の一部だったら楽しかろうと思った。

 入試前日には、勉強はするなという『螢雪時代』の教えに従って、夜は何もすることがなかった。それで外に出て、バドワイザーの缶ビールを買ってきた。白地に赤のデザインが、カッコよかった。また、驚くほど薄味だった。あっという間に、飲み干した。

 夜も更けて11時になった。寝ようとフカフカのベッドに潜り込んだ。しばらくすると部屋が小刻みに震えているように感じた。部屋の入口を見た。白い煙の塊が見えた。まだタバコは吸わなかったので、火事かとも思い起き上がった。

 煙は徐々に形を変えていった。雪だるまのようになり、人の形に近づいていった。張りを緩くした大太鼓を柔らかいマレットでゆっくり叩く音がした。煙は消えた。メガネが曇っていたからだと思い寝た。

 京都の南東部の伏見にあるK K大学は、単科大学らしく、こじんまりとしていた。学生さんたちは、お茶を振舞ってくれた。アットホームという感じだった。受験票を見て、アッと驚いた。共通一次800点以上とされる難しい方に願書を出していた。

 二次試験は、小論文等々で終わった。終わってすぐに、「合格電報」を申し込んだ。バイトの学生らしき人が、説明してくれた。合格の場合と不合格の場合の文面を教えてくれた。「ここ伏見は、酒造会社が多くて」という話から始まった。

 これで現役生の大学入試は、終わった。京都駅から、特急「白鳥」に乗った。家に帰るのだ。卒業式もあることだし。

電報が来た。「フシミノ サケ ノメズ」
当然の結果だ。全部落ちた。当然の結果だ。

 高校の仲間たちとの飲み会があった。恥ずかしげもなく、参加した。みんな顔馴染みで昼間からビールを飲んだ。受かった奴と落ちた奴。入試の話題は、するはずもなかった。

 小さい輪ができた。その時気づいた。それぞれの背中にゼッケンが付けられていた。◯◯大学と大学名がついたゼッケンと白紙のゼッケン。この2種類の人間が一緒に酒を飲んでいる。どちらのゼッケンであっても、楽しそうだ。

 高校生活は、終わった。ここにいる意味はない。有金集めて、特急いなほ号に乗って上野に向かった。上野駅の近くの高架下に、原チャリがたくさん並んでいた。ホームに降り立つと、排気ガスの臭いがした。友人のアパートに居候して浪人生活が始まった。

「後日談」
二条城向かいのホテルで見た煙のような物の正体は、祖父の魂。理由は、その夜に息を引き取ったという確たる事実あり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?