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神様の言うとおり......。

 1981年2月14日の朝。渋谷駅構内で、考え込んでいた。手には、2枚の受験票。A大学とK大学。自己嫌悪で、イラついていた。全く単純極まりないミスである。同じ日に2つ願書を出してしまったのだ。

 どっちでも良かった。大学で勉強したいことなんてない。当時は、どちらも50倍以上の競争率なので、こんな大学でも落ちるのかよと、自己意識は被害者ヅラに変えた。

 どちらかに決めなければならない。そういえば、どちらも神様の学校だ。プロテスタントと神道。そこで、自分では決めないことにした。「どちらにしようかな。神様の言うとおり。ラララのラ」指さしていたのは、A大学だった。素直に、従った。

 さあ、宮益坂を上ろうか。その1歩で尻餅ついた。その日は雪だった。ローファーだと滑るわけだ。真っ白のコーデュロイのズボンの尻は、グレーの瓢箪型に汚れた。

 それを隠すわけでもなく、歩き始めた。渋谷は谷底だ。結構急な坂を上った。後ろからクスクス笑う女の子の声がした。

 社会科は地理Bを選んだ。私大の問題は、最後の1問が難問だ。席は、入口側の端っこだった。試験監督は、スーツを着た結構美形の女性が座っていた。最後の問題に行き詰まり、その女性を観察することにした。

 いろいろな趣向で観察した。タイトスカートで足を組んでいた。そして、顔と正対した時、バッチリ目が合った。彼女との目線は、しばらく繋がっていた。そして、彼女の目が笑った。目をそらすわけにはいかない。

 急に足を組み直した。見えた。そこだけがスローモーションのようだった。その動きが見えた。結構近かったので、白の模様まで見えた。暇つぶしのお礼に、少し笑った。彼女も、どういたしましてと笑った。

 それでも、まだ時間は残されていた。地理Bに戻った。最後の問題がすり替わっていたのだ。SD予備学校でやった問題と同じだった。彼女が、記憶が蘇るスイッチを入れてくれた。全問できた。地理Bは、満点だろう。

 終了の合図。解答用紙は机上に置いたまま退室を指示された。彼女も立ち上がり、脇の戸を開けた。そこを通って、すれ違う瞬間に何も言えずに、彼女を包む空気を思い切り吸い込んだ。ここに居た記憶をを吸い込んだ。

 吸った空気を、鼻腔からゆっくり出した。いい空気が出てきた。柑橘系のいい香りを感じた。芥子粒程のオンナの香りもした。それを逃すまいと、もう一度吸い込んだ。酒に酔ったような心持ちになった。

 彼女は何者か。その問いから、抜け出すことはできなかった。結局、W大学、R大学などの「本命」には落ちたので、A大学生になった。どこかにいるかもしれない。顔もスタイルも詳細に覚えている。フォーマルに近い服だったから、記憶は確かだ。

 女子学生に流行っていた、ニュートラやハマトラなど着る感じではなかったが、何となく大学4年生、または院生かなという雰囲気があった。ヘアスタイルも、普段着では違うだろう。学生に違いあるまい。

 4月の履修登録期間、敷地に見合わぬ学生の多いこと。人と人の隙間が、ほとんどない状態が続いた。まさに人混みの中で、2号館の受付まで書類を渡すべく、ひとをかき分けて進む中、3人ぐらい隔てた場所から、私の名を呼ぶ声が聞こえた。

 戻ろうとした。すみませんと連呼もした。しかし、大きな流れに逆らうことは、無理だった。声の主は、あの人だと確信した。会えるチャンスは、その時だけ。困った時の神頼み。あの人に会えますようにと、柄にもなく蔦のからまるチャペルにも通ったもんだ。

 それから、40年以上の時は過ぎ去った。青春の記憶のひとつとなったが、年を重ねる度に美化されていて、自分がやらかしたことなんて、笑って済ませることができるようになってきた。今となっては、他人事のようなレム睡眠で見た夢のような、温度も下がり切り、乾き切った記憶である。

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