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今さらながら贈り物が自己満と気づかされた昨日
聖バレンタインデーの今日。
今まではチョコを買っていました。
いわゆる、推しってヤツに。
最近?もう数年前から?推しって言葉。
アタシはそう呼ぶのは嫌だけど好きな人、応援してる人の事を推しって言うんですよね。
そう言えば芥川賞受賞作は推しがテーマだっけ?
その好きな人をどう表現すればいいのかな。
推しって言うと頑張れ頑張れって踊ってるみたいだし、オタクと言うと支払うお金もいとわない感じだし。
幼き頃から知っている隣の家の男の子って言うのが一番しっくりするかも。
バレンタインデーに限らずお誕生日とかクリスマスとかに雑貨屋に出向く。
これ役に立つかな、これ可愛いな、これ面白そうだなって隣の家の男の子の顔を浮かべる。
喜んでくれるかな?
驚くかな?
彩りのない日常でその贈り物を選ぶ時間が一番好きだ。
毎日でもいいぐらい。
それが今、コロナ禍による贈り物禁止令が発動しています。
劇場のスタッフに手渡しできない。
ファンレターでさえも。
魅かれる品物を手にしながら去年一度も贈らなかった。
ああコレ素敵なデザインなのになって。
ああコレ肌触りがいいのになって。
イベント日が近づくと贈ることが出来ないのがもどかしかった日々。
そして昨日。
ゲーム会社やサッカーチームなどがコロナ感染リスクを理由にチョコ等をお持ちいただいても(選手等に)お渡しはできませんと呼び掛けた、とTwitterで読みました。
そりゃあまあこのご時世だもん、しゃあないよな。また来年だな。
そんなこと思いつつ、みんなのコメントを読んでみて衝撃を受けました。
送られて来たチョコなんて会社が全部捨てるに決まってる。
中に何が入ってるかわからない物を選手が食べるわけがない。
どこの誰から送られて来たのかわからないのに手をつけるわけがない。
などなど。
よく考えたら自分だって街中のポケットテッシュやサンプルでさえ断わるもんな。
食品ロスになるのに、なぜわからないのだ。
だの
ひとつひとつ送り主の住所等を破って廃棄する手間を知らないのか。
だの
辛辣なコメントで埋め尽くされていました。
ずっと今まで、誰かにプレゼントすれば喜ばれるだろうと思っていました。
でもそれは顔見知りの場合だけなんですよね。
自分が勝手に隣の家の男の子にして、贈り物をすれば喜んでくれるだろうと思い込んで。
それってただの自己満でしかなかったんですね。
ただのプレゼント欲。
毎回、贈られた物をどう思っていたんだろう?
そもそも手に渡らなかったかも知れないけど。
何万もする物ならともかく雑貨屋にあるものなんて有り難くも思わなかったかな?
手紙をシュレッダーに掛ける手間を与えていただけだったかも。
ごめんね、ごめんね。
でもさ、手渡した時の笑顔は営業スマイルと思いたくないんだ。
家に帰ったらゴミ箱に放り込む姿なんて想像できないんだ。
だってアタシが好きになった人だもん。
ずっと好きでい続けてる人だもん。
これからどうしようかな?
昨日の今日だから何も考えつかない。
いつかコロナが収束して平和になったら、収束祝いとして1回だけ手渡してもいいかな?
その日まで贈る物、探す日々にしてもいいかな?
*大地震があったりして心の休まらないバレンタインデーですが皆さん頑張りましょう。