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引き寄せ“られる”法則

観測するから実体化する。
観測しなければ存在しない。

素粒子の重要な性質の、私なりの表現です。

肉体を持つ私たちは、半分納得して、半分疑ってます。
なぜなら、私たちはいつも主語が”私“になってるからです。
主語が対象物にもあります。
だから主語が、半分私で、半分対象物になるから、このようになると考えられます。


さやかさんのところのアシュタールさんが非常に興味深いことを教えてくれました。

「彼らには彼らの自由意思があります。それがあなたの見たくない世界であれば、彼らはあなたの目の前から消えていくでしょう。」

アシュタールさん

たとえ自分自身が決めたとしても、対象の決め方によって結果が変わるようです。
量子論の言い方をすれば、観測することによって現象は変わりますが、対象を観測すると決めても、観測される方は同意しなければ観測されず消えることになります。
という事は、自分と対象が共振した結果による現象があり得ると考えられます。

多くの人が引き寄せの法則を同意しても、主語である自分の100%状態ではない事に、不可解になる人も多いでしょう。半分信じ、半分疑う。
対象との同意で、様々な現象となり得るようです。それが共振することになると考えられます。


以前に自分の記事で、私が観測しているだけでなく、観測された結果であると考えたこともあります。セルフペタリンコ。


私はあなた。
あなたは私。
主語は、私であり、私たちであり、あなたであります。

すべての現象は自分の意識次第です。
自分の意識で全てを引き寄せます。
これが自力の発想です。
しかし同時に対象が主語になり、対象が自分を引き寄せるのです。
これが他力の発想です。

以前に私がアシュタールさんに質問した回で、私が最も感銘を受けたことの一つです。

他力は全て自力であると教えてくれました。
私はこれを教わり、後のものの見方が変わったような気がします。
他力に見えることが、形を変えた自力であります。
同時に、自力の中に他力が内在しているとも言えます。
つまり、自分と対象が一体となった自力、狭い私という主語ではなく、広義の自力が共振して現象化していると思います。
だから、狭い私からすれば、引き寄せているとも言えますし、引き寄せられていると言えます。
また、対象の意識になって、狭い私を引き寄せる意識が重要で、俯瞰という言葉を超えた俯瞰が視座としてあるのだと考えられます。

めまいしてきましたか?
めまいするぐらいが、”狭い私“の視点を超える兆候かもしれませんよ。
小さい船は船酔いするけど、大きい船は船酔いしません。
狭い私ではめまいするけど、広い私ではめまいしません。



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