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子どもの本音


子どもの言葉を額面通り受け止めてはいけないと思います。
子どもの言葉はこんな意味だったりします。
「なんとなく」→言えない理由がある
「大丈夫」→大丈夫じゃない
「わかんない」→言ったって、どうせわかってくれない

大人だって似たようなもんです。
「お金ほしい」→「あれ買いたい」とか「ギリギリの生活は疲れる」とか「人にバカにされたくない」とか、
思いがストレートじゃなく歪んでいます。


子どもは本音を言いません。
自分自身が本音を整理出来てないからです。

いわゆる思春期の時、
今まで親や大人に与えられた価値観と、
自分が子ども社会から感じた価値観を、
混ぜ合わせて新しい自己の価値観を構築し葛藤し迷走している最中です。
それなのに、もう既に知っている大人の価値観を親が言ってくると、
「そんなことはわかってんだよ、わかった上でどうしたらいいかを考えている」
この様に考え、黙るか、「うるせえな」という反応をします。
だから、親が優しく言おうが、厳しく言おうが、見守ろうが、同じ結果になります。
「人生が大変なのは知ってる。どうやって生きるのが正しいのか知ってる。自分の知らないことを教えてくれ!」という気分でしょう。


子どもがどのように答えを作り出していくか。
そもそも、世間は誤解している部分があります。
子どもの個性は、自由から生まれません。
適度な制約から生まれます。

よく子どもに絵を描かす時、個性が大事とかで「自由に描いて〜」と言っても、ロクな絵が出てきません。当たり前です。
大人が良いお題を出してあげる。興味をそそるテーマと禁止なことを与える。制約が意欲となります。
さらに上のレベルでは、
様々な技術を見せ、試したくさせる。違いを観察し整理させる。
自分の行為を説明させると、自分を客観視出来る。
上手くいく結果を褒めず、考え創意工夫した過程を評価する。
などでしょう。

子どもの悩みを、子どもに任せると、まあ拗れることが多いでしょうね。
子どもに考える材料が圧倒的に足りません。
塩と小麦粉で料理しろというようなものです。むしろ高度です。
大人が子どもに考える材料を与える、様々な料理の過程を教える。
いろいろな大人の良い行為が大事だと思います。

拗れるのも人生だと思いますよ。
拗れるのも学びだと高次元の方は言うでしょう。
親もその子どもの葛藤に、本人の意識となって参加すれば、自己葛藤の一部となり一緒に構築することになると考えます。


さあ、偉そうな子育て論で叱られそうです。
文句言いたい大人の本音を私にぶつけないでくださいね。
前の偉そう子育て論です。


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