熱海さんぽ 昭和の香りとモンブラン
突然ですが、わたしの住んでいる静岡県は、大相撲九月場所での熱海富士の活躍でやんややんやと盛り上がりました。兄弟子の翠富士(静岡県出身)を贔屓にしている母と、熱海出身の熱海富士を全力で応援していた父、二人とも楽しい九月場所だったようです。
その熱海富士の出身地である熱海、といえば、梅園と温泉と花火大会の街。わたしにとってはちょっと時代遅れの(ごめんなさい)ちょっと寂れた温泉場(のイメージ)
ところがどっこい!
なぜだかよくわからないけれど、改札を出るのも並ぶくらいの賑わい。商店街も行列だらけ、ワイワイと観光客がひしめいています。すっかり元気な街に変身しているではありませんか。
ぶらり熱海さんぽ、お茶でも片手にどうぞお付き合いくださいませ。
まずは海に向かって降りていきます
残念ながら熱海駅の写真を撮ってありません。駅前の様子も撮ってきたらよかったと後悔していますが、後悔先に立たず。
駅前にはキレイどころ(芸者さん達)が熱海温泉の宣伝をしていたのでしょうか、ずらり並んでお出迎えでした。駅を出て、右手に歩いていきます。賑やかな商店街、二つの目抜通りがありますが、右手を歩いていくとよし。左手からいっても途中で右に曲がれます。
四角いシュークリームを売っている店や、食堂、喫茶ミルク(入ってみたかった)どこも賑やかに営業中でしたが、私たちはひたすら下って参ります。途中、ドイツ料理の店やロシア料理の店、国際色も豊かです。
帰りは登るんだなあと思いながら、坂道を下っていきます。
ここは熱海銀座です
海は澄んでいました
実は熱海の海=あんまりキレイじゃないというイメージ。どこまで熱海へのイメージがよくなかったのでしょう、わたし。本当にごめんなさい。近くまで行ってみたら、とってもキレイな澄んだ海で、お魚をたくさんみました。多分イワシの稚魚の群れがキラキラし、黄色と黒のシマシマのトラオサンみたいな魚達もチョイと不思議な動きで縦に並び。
そぞろ歩きながら、たぶん日に焼けました。帽子を忘れたんですの。そしてあと2組となったあたりで、モンブラン屋さんに戻ります。
和栗菓子kiito-生糸-
こちらに参りました。
わたしはまだわかっていませんでした。この先何が待っているのかを。「モンブランを食べにきた」というカジュアルさは店内で席についた瞬間に粉々に。笑
店員さんがうやうやしく、膝をついてご案内してくださいます。ドキドキ。お値段にもドキドキ。でもやっぱりここまできたら楽しまなくっちゃ!
これ全部食べた頃には、もう夕飯いらない、というくらいお腹がいっぱいでした。しかし、熱海駅ではんぺんを買って帰り、家族に大好評だったという。わたしも食べました。
実は途中で、トラオさんから電話がかかってきたのですが、無視。ごめんね。だってモンブランに集中したかったんです。日本はカフェでは電話はできないのだ。きっと大した用事じゃないだろうと思っていましたら、後から掛け直したら「今朝はビーチに散歩に行ってきて、ものすごくゴージャスな景色だったから見せようと思って」と言われて、とっても反省したことをここに懺悔いたします。これだから「キミハツメタイ」と言われるのでありました。
まとめ
熱海は大フィーバーしていますが、商店街には昭和の香りが漂っていました。そして、なんだか入ってみたくなるようなお店がいっぱい。午後からぶらりと出掛けて、暗くなる前には家に着くという、本当にぶらり散歩でした。
日本に帰ってきてから、そのほとんどを家の中で過ごすという体たらく。大阪が1番の遠出、次が熱海になりました。親孝行に帰ってきているのでそれでいいんですよ。
おまけソノイチ〜母の巻
母はカツサンドが大好きなのです。普段あっさりしたものを少量しか食べませんが、カツサンドだけは好き。その秘密をこの日知りました。
「わたし、高校出たばかりの頃、お友達が熱海で働いていたから遊びに来たの。それで、熱海銀座の喫茶店に連れて行ってもらってね、人生初のカツサンドを食べたの。それが天にも上る美味しさで忘れられないわ」
あら。そうだったんだ!あのどこかに母の青春があったのね。
おまけソノニ〜父の巻
父は昔、熱海駅に勤務したことがあります。わたしが熱海の話をしていたらふと、
「もう一度、熱海駅に行ってみたいなあ。駅ビル(新しい)をみたいんだよ。それから駅の周りを歩きたい。商店街の入り口の右の方に喫茶店があって、よくそこに行ったからもう一回行きたいな。まあ膝がアレだから(悪い)坂は下れないけどな」
あらま。そうなの?連れて行ってあげようか?と言ったら、いや結構です、と断られました。まだ自分で行けるつもりのようです。エレベーターが整っているので、行こうと思えば行けると思いますが、最近息切れがひどいので心配だから、一人で行くのはやめてと頼みました。
そう、熱海は両親にとっても思い出のある場所だったんだと帰ってきてから知って、ちょっとしみじみしたのでありました。
いただいたサポートは毎年娘の誕生日前後に行っている、こどもたちのための非営利機関へのドネーションの一部とさせていただく予定です。私の気持ちとあなたのやさしさをミックスしていっしょにドネーションいたします。