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内田先生のご講演を聴いて③「日本の組織ではいったい何を重視しているのか」

先日、内田樹先生のご講演を聴くチャンスがありました。
とても貴重な時間だったので、
心に残っていることを、
私の主観が混じりながら、
備忘的に記録しようと思います。その3です。


先生のお話:日本のコミュニティの現状

コミュニティというと、なにも地域だけのことじゃない。
人と人がいると、コミュニティになる。
多くの人が集まれば、どんなことがおきているのか。

諸外国と比べると日本でおきていることは異質。
日本では、人が集まっているというのに、
その効果は、本来めざしたものとは違う方向になる危険性がある。

たとえば、世界で感染症が発生し、
感染症対策のチームができる。
世界各国から集まり、チーム、コミュニティになる。

目的はただ1つ。
治療と感染症の抑制。

そこに集まる人は「何ができるか」を話し始める。
「私は電気配線ができます」
「私は上下水道設備工事ができます」
「私は感染症専門家としてゾーン計画ができます」
「私は看護師として患者のケアができます」

ジョブ型として、何ができるか、
できるスキルを持ち寄る。
チームとして、コミュニティとして、
共同体として機能的に行動しようとする。

日本において、チームをつくると何が始まるか。

「どこの大学を卒業した?」
「何の学部の何を専攻した?卒業年次は?」
「役職は?」
「年齢は?」

何ができるかではなく、誰が決めるのかを決めようとする。

できる人、知っている人が現場の判断として決めるのではなく、
外形的条件で、決める人を決めようとする。
その人が何ができるか、何を知っているかではなく、
学歴、年齢、外観的要素で。

だから「報連相」が必要になるチーム、コミュニティができる。
決める人に報告し、連絡し、相談しなければならない組織になる。

何がおきるか。
判断が遅くなり、事態が悪化する可能性がある。
そのうえ、
専門家が判断すべき判断なのに、
権限があるからと、何も知らない人が下した判断そのものが、
間違えていることもある。

それが行き過ぎて、
「私が首相だ」
「私が大臣だ」
「私がトップだ」が横行し、
間違えてますよ、こっちがいいですよ、と、
誰も言えない、言わないチームになっていく。


先生のお話:コミュニティはどうすればいいか

日本が世界と比べて得意なものから、
どうすればいいか考える。

世界でトップクラスのものといえは、マンガ、アニメ。
なぜトップクラスなのか。

これは、戦後、10代の伸びゆく才能が、
フロントラインとして、
自由に才能を発揮したから。

マンガの共同体もそう。
同じ家に住み、隣の作業所にいて、マンガを書いた。
誰かが見つけた技術をマネしあう共同体。
マネを批判しない、足を引っ張り合わない共同体。
技術を出し惜しみすることなく、
共同体に参加する人は全員がその技術を共有することができる。

日本のパン職人の世界も同じだそう。
パン職人も共同体で技術向上に取り組んで、
世界一だという自負があるそう。


重要なのは。
まず1点め。
若い伸びゆく才能が、うんと伸びるよう、自由を与えること。
若い人たちが新しい技術への渇望を満たすように裁量権を与えること。
自由があれば、想像しない方向に、
その可能性を伸ばす人が出てくる。
2点め。
技術をクローズするのではなく、共有する。
独り占めするのではなく、助け合うこと。
共有すること。

私の職場(市役所)の場合

私の職場では、内田先生のご指摘通りのことがおきている。

何ができるか、ではなく、誰が決めるか。
そんな組織です。

私は職場で、
「気になるけど、あれは私の仕事じゃない」
「なんとかできそうだけど、私には権限がない」
みたいに、引いていることがある。
そう言われてきたから。
まずは担当がいるんだからと、黙ることを強いられている。

自分の与えられた権限だけを行使する。
「できること」を持ち寄るジョブ型とはまったく異なる。

今まで気になっていたある仕事があって
私の仕事じゃないからと、
気になっている方面の情報収集、スキルアップは
特に手を付けていません。
越権行為だと言われてしまうからと、
情報収集やスキルアップすら気になるのにしていません。

私ならできそう、得意そうだと思ってもそうは考えないように。

気になっているなら、やればいい。
仮にもできそうだと思ってるならなおさら。
私は○○ができます、そう言えるようになればいい。

学び直し、リカレント、リスキリングに
チャレンジしてみようかなと、やる気が出ました。

私の「できる」を説明できるようにしておきたい。
それなら、今の仕事にいても、今の仕事をリタイアしても
通じるスキルが身につきそう。

ありがとうございます、内田先生。
主催者が出したテーマにバッチリなお話でした。


アジアで最も大人が学ばない国、それが日本

↓ 調査結果をわかりやすく書いているページ

↓ この記事のソース

学歴が重視されている日本。
学習していること、学び続けていることが、
18才の時の学力よりも重視されていないのが日本。

私もときどき、学歴をほめていただくことがあります。

高校の話であれば、
「ありがとうございます。15才の時の学力ですけどね」

大学の話であれば、
「ありがとうございます。18才の時の学力ですけどね」
と言うことにしています。

学歴があるからといって、何ができるのか。
学歴があることは、
10代の時に教科書をたくさん理解し、覚えたという過去の説明。
今、何ができるか、ではない。
年齢を聞かれても、生まれた年がわかるだけ。
何ができるか、ではない。

いったい、私には何ができるのでしょう。



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