知ることで、知らなかったことを知る。自認できずに情けなくて、失うのがこわくて、逃げた。「後悔」というズルさをもって、今ふりかえってみる。

たくさんたくさんやりたいことがあって、とりあえず、ほぼほぼトライしてきた。

ただ、去年の夏〜年末にかけて(沖縄はほぼほぼ夏だけど)たくさんの挑戦を一気に抱えた私は、たくさん逃げた。逃げて逃げて、逃げ続けた。

あんまり「後悔」ということをしたことがない私だけれど、さすがに後悔している。「後悔」ってズルいんだけどね。結果が全て見えた後で、ぐじゅぐじゅ言う、滑稽さ。「後悔」はもうどうにもならない。

逃げると、きっと後悔する。逃げる過程で結果が見えてくるから。結果が見えると後悔はしやすくなる。泣きたくなるし、泣くし。でも、こわくてこわくて。

完璧主義の人間は、自意識過剰で、
「私はこれくらいできる」と思っている。
できるから、できない自分を見せたくない。嫌われたくない。そうこうしてるうちに「できない」という結果を晒し続けていることになる。
「できごと」にだって、消費期限があるのだ。

そうなると、信頼を失ってしまう。嫌われてしまう。たくさんのいろんなものを失い、取り返しのつかないことになる。結果が見えてきて、「後悔」する。


そうか、後悔は、逃げた人しか味わえないのかもしれないな。

何度もそういう経験があるはずなのに、わかってはいるのに、途中でも気がつけるのに。きっと今回は甘えてしまった。弱さだと思う。私にも、まだ弱いところが残っていたんだ。こんなところで知りたくなかったけれど。

とにかく、後悔している。どうにもならないのだけれど。

「諦めて」前に進むしかない。


すると、「後悔」に引き続き、「諦める」ということもあまりしたことがないことに気がついた。「もうやめ!」とはよく言うけど、それでも本当に手にしたいもの、ことに対しては引き続きだらだらと考えたりするたちでもある。夢もたくさんあるし、もう周りからは「諦めたのかな?」と思われがちだけど、ずーっと細々と続けていたりする。ぽっ!と思い出して、またやりはじめたりする。「飽きる」ことはあっても「あきらめる」ことをしたことがないのだ。

困った。

「後悔」もしたことがないし、その対処法としての「あきらめる」もしたことがない。ああなるほど、だから私には「失敗」という経験もない。

私は今、生きている。生かされている。

何度も「死にたい」という場面に出くわしてきた。
そして、何度も「死にかけた」こともあった。
その度「生きたいっ」と本気で思った。

あきらめたことがないので、ずっと続いている。
一時的な「失敗」はあるのかもしれないけど、「あきらめず」しつこく続けるので、「失敗」と感じてないのかもしれない。だって、継続中だから。結果はまだ出てないし、これからも出ないのかもしれない。

生きている限り「過程」なのだ。私にとって。

きっと「成功」するまでやり続けるし、「成功」してもやり続ける。
やりたいことをやりきるチカラはそう見えているだけかもしれない。
私に実は、やりきるというのも存在しないのかもしれない。
10トライして、2成功して、その2をやり続ける。
そしてまた10思いついて、トライして、2成功して、その2をやり続ける。
けど、そんな中、最初の2の部分でもう「飽きちゃった」ことがあって、やってないかもしれない。逆に、うまくいかなかった8の中の何かを思い出し、またはじめていることもあるのかもしれない。
常に棒グラフの順位が入れ替わりながら、動いている感じ。
その時の「一番」は変わる。順位は簡単に変わる。
棒グラフは動き続けるし、項目も増え続けるイメージ。
ずーっとずーっと動いてる。


去年、私はたくさん逃げた。
それはたくさん出逢い、たくさん知り
たくさんのことに気づいたから。
気づくと、自信がなくなった。

看護師であることから逃げた。
写真を撮ることから逃げた。
編集することから逃げた。
本気で教育することから逃げた。
会社を作ることから逃げた。
信じることから逃げた。
幸せから逃げた。

去年はホント、逃げて逃げて逃げ続けた。
言い訳ばかりして、逆に何も言えなくて。

なぜ逃げたのか。

こわかった。

それらの全てを知ったから、
できていない自分を知ることになった。
できていない自分を認めることができなかった。
情けない自分を晒すことができなかった。
なによりも、失うことを恐れた。
絶対に失いたくない、ゆずれないものができた。

看護師である、ということはどういうことかを知った。
写真を撮る、とはどういうことかを知った。
編集する、とはどういうことかを知った。
本気で教育に向き合うとはどういうことかを知った。
会社を作る、とはどういうことかを知った。
信じる、とはどういうことかを知った。
幸せ、とはどういうことかを知った。

たくさんの出会いとたくさんの出来事と
たくさんの思いとたくさんの想いと

たくさん「知る」ことができて、たくさん「知らなかった」ことができた。
その時、きちんと逃げずに向き合っていればよかったのだろうけど、その恐怖に、自分のかっこ悪さに、耐えることができなかった。

私からチャレンジを取ったら、もうどうしようもないただの怠け者なのに、全力でごまかしながら逃げた。一番ダサい、バレないように逃げた。(と思ってるだけでバレてる)33年間で一番多くを経験し、一番逃げたし、一番ダサかった。

それでも、私の中では「やめなければ、失敗ではない」し「諦めることができない」ので、一番ダサい状態からのスタートで今年もやっていこうと思う。3歩進んで2400歩くらい反対方向に走って逃げたが、一歩一歩、また進んでいこうと思う。

もうだって、すでにかっこ悪いのだ。ダサダサなのだ。それでもあきらめきれないのならば、あとはトライを続け、チャレンジし続けるしかない。

失った信用を取り戻したり、再構築するのは難しいかもしれない。けど、後悔自体が自分に対する言い訳だし、私にできることは一歩一歩進むことでしかないのかな、と思っている。コツコツと積み上げていくしか、方法はないと思う。

今年の目標はひとつ。「逃げない」だ。
できなくても、かっこ悪くても、決して逃げない。ビビリの私にとっては本当にチャレンジだけど、もう2度と「後悔」したくない。出来ない言いわけはしたくないのだ。一度きりの人生。私の人生。逃げずに生きる。生ききってみせる。

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