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ベトナムで学んだこと②~幸せを運ぶバイク~

2月29日。
「今日で2月も終わりかあ。」昨夜はそう思った。
ふとカレンダーを見てみるとそこには「29」の文字が。 

「あ、今年は閏年か。」

「閏年」とは。地球は太陽の周りを回るのに365日かかる。でも実は1年あたり6時間ほど足りないらしい。4年経つと、6×4=24で1日。
つまり、約1日の時間が、地球が4年前にいた元の位置に戻るために必要とのこと。

僕からしたらありがたいこと。24時間余分な時間が与えられたから。今日は何をしよう。いつも通りYouTubeを見て、気が向いたら家を出て、浦和のスタバで友人と会って話したり、本を読んだりするのもいいなあ。

でも今日はなんとなく普段しないことがしたい。そう思ってこのnoteを書くことにした。

テーマは「幸せの定義」(え、、重くない、、?)

そう決めて、結局いつものスタバへ向かった。

ここまでは長ーい前置きで、こっからが本題です

時は遡って2月16日

ベトナム行きの飛行機に乗るため、僕は成田空港へ向かっていた。その途中、京成スカイライナーに乗り、ぼーっと外を眺めている時、なんとなーく「幸せ」について考えていた。

今日はその時思ったこと、それを踏まえてベトナムで感じたことをゆるーくかきます。


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僕は今大学1年生。
厳密にはもうすぐ2年生。

部活に勉強に追われていた高校時代とは一転、今年は比較的時間に余裕があったため、自分の将来について考える時間が増えたような、、?

その中で
自分が生きる意味はなんだろう
そんな風に自分に問いかけることも多々。

あくまで自論だけど、僕を含め日本人は「自分とは何か」「自分の夢は何か」「自分の好きなことは?」「自分の長所、短所」といったように、「自分」について考える時間が少ないように感じる。

自分」つまり「アイデンティティ
単一国家である故に異民族に出会う機会が少ないからか、はたまた比較的裕福な中で育ってきたからか、宗教的な関心が少ない民族だからか、、、

うまく形容できないけど、「自分の中に深く根ざしているもの」に触れることなく、表面上で生きている人が多い。自分もその内の1人。

しかし、僕は幸運にも1年次に「グローバルゼミ」という授業を取ってて、その授業内で「自分の未来のビジョン」を考え、発表することに。

「あなたは将来何をしたいの?」「どんな社会で生きたい?」「じゃあ大学で何をするの?」

担当の先生に深く、強く追及され、そこで初めて自分の考えの甘さに気付かされる。

ここでもう1度初めの問いへ

「自分が生きる意味はなんだろう?」

それは「幸せを追求し続けること」概して見れば、これは全人類に共通することだと思う。

ではどこで違いが生まれるのか。それは「幸せの定義」だと自分は思う。

僕の幸せは、簡単に言えば「好きなことをして有名になること

自分の好きなことを際限なく続けたい。そしてそれを通して人に「凄い」「自分もあんな風になりたい」と思われたい。

かっこよく言えば、自分の生き方を見て1人でも多くの人が「私も自分の好きなことをやり通そう」と思うようになり、より人生を楽しめるようになってほしい的な。まあ正直、有名になって周りの人に憧れられたいというのが本心かな(急にクズ)

なにはともあれ、これが自分の幸せの定義、そしてこの幸せを追求することが生きる意味、という結論に今年1年で至った。

そんなことを思っていたのがスカイライナーでの話。時は少し進んでベトナムに到着した翌朝。僕は友人とホテルから留学先のベトナムの大学へ向かってた。

そこで初めて(詳しくは二回目。到着したのが早朝の1時で、先輩とホテル周辺を探検してた。)ベトナム、ハノイの町を見回した。

「え、、、日本とこんなに違うのか。」

今まで受けたことのない衝撃だった。そりゃ初めての発展途上国だし、前々から友人から話は聞いていたのである程度予想してたけど、それでも衝撃的だった。

1つは建物の見た目。「最近めっちゃ経済成してるらしいし、首都のハノイはどんな町並みなんだろう。けっこうビル群とかあるのかな。」そう思ってたけど、、、
実際はお世辞にも綺麗とは言えない建物が乱立している状態だった。(正直な感想です。許して)

2つ目は人の数。日本よりも人口は少ないはずなのに、街に出ている人の数は段違いにベトナムの方が多く、活気に溢れてる様子。(ベトナムは9,467万人。対する日本は1億2600万人。)

そして更に目を引いたのは、店の前でベトナム人が5~10人くらい集まって小さい椅子を並べ円になり、タバコやコーヒーを片手に談笑したり、カードゲームをしたりしている光景。めちゃめちゃ楽しそう(笑)

「彼らは何を話しているのだろう。ベトナム語が出来たらなあ。」

と思わず胸が躍った。(笑)

他にも、公園の中で、裸足で夢中になってボールを追いかける少年達、野外で散髪をするおじさん、バイクの群れの中で1人自転車で混ざるおばさんといったように色んな人を見た。また、新たな発見に出会うたびに、徐々にベトナムという国、文化、人に自分の心が侵されていることに気づいた。

そして彼らに共通するもの。

それは「笑顔」

たしかに彼らが構える店、着る服、バイク、座る小さな椅子は日本に比べると、小さく、みすぼらしく見えるかもしれません。

しかしそこには彼らにとっての「幸せ」があり、その「幸せ」には「ベトナムの文化」が深く根付いていたのだ。

そして極めつけは「男女のカップルが互いに微笑みながらバイクの二人乗りをしている光景」を見たとき。その幸せそうな姿を見たとき、

「彼らにとって、高級なブランド品を身につけたり、高級な料理を食べたりする時間よりも、大切な人と一緒にバイクに乗る時間の方が大切で、価値があるのではないか。」

と思いました(笑)「なに言ってんだこいつ」って思われているかもしれませんが、マジです(笑)本当に、真剣に思ったんだってば

一般的には「豊かさ」=「幸せ」という等式は成立しているように思われる。特に日本のような先進国においては。でもこの世界のどこかでは例外もあり得るのではないか、そんな気もする。

一般的には、国民の生活水準は国が発展するに従って向上するとされる。

でも彼らベトナム人にとっては、国の発展よりも、自分たちの身近な幸せ、つまり家族や恋人のような愛する人と過ごす時間や、友人と談笑したりのんびりコーヒーを飲むことの方が大事なのかもしれない。と思う。

文化が違えば「幸せの定義」も変わる。ベトナム人は僕たち日本人とは別のベクトルの「幸せ」を持っているのかもしれない。

言葉にしてしまえば当たり前のように思えるけど、いざ目の当たりにすると説得力があり、かつ刺激的だった。

まだ世界には自分が想像もできない「幸せの定義」が眠っているのかも、、、。自分とは別の価値観に出会うことが自分を見つめ直すきっかけになる。それが自分が外国に行く理由の1つです。

皆さんも是非。特にベトナム。まじでオススメ(笑)機会があればぜひー

最後まで読んでくれてありがとうございます。長くなってすみません(笑)