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文系と理系はインスタントコーヒー

「僕は37歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた」から始まる村上春樹の『ノルウェイの森』をコーヒーを飲みながら....なんて割に合わない始まり方になってしまったんだけど僕が気に留めたのはノルウェイの森の方じゃなくてインスタントコーヒーの方笑

インスタントコーヒーってまずコーヒーの粉末を入れてからお湯を入れると思うんだけど、その時完全に綺麗に混ざるやつと混ざらないやつがあってコーヒースプーンで混ぜる.ココアなんか飲む時は特にダマになるし.

でも一回混ざって仕舞えばダマになることはないし一方に味が偏ることなく美味しい味を維持してくれる.最初は粉末とお湯でしかなかったのに両者が合わさることで美味しいコーヒーができると.

この前、高校の選択で文系に進むか理系に進むかで悩んでいる人がいて話したことがあった.その人は自分の将来の夢が決まってなくて、テストの結果も文系理系科目共に平均点らしく自分の将来像が掴めず不安だと.

その人の悩みは僕にとってはどうでもいい話なんだけど確かに文系と理系で学ぶ分野が別れた瞬間、何かの族に入ったかのように他族と関わりを持たなくなって族の中で成長していくような変な感覚はある.文系を選んだら古典はやるけど微分積分は全くやらなくなってしまう感じに.逆に理系を選べば極限(微分積分の基礎概念)はやるけどウィトゲンシュタインは知らないし知ろうともしないような.

でも実際の社会は理系と文系で分かれているなんて事はありえない.企業の話ではなくて社会生活を行う上で必要になる教養という面でも理系と文系は排反の関係ではない.注目されるAIの話題を考えてみるとよくわかる.AIの基盤はディープラーニングと呼ばれるニューロンの結びつきの脳のモデルを模式化したものなんだけどもその中のディープニューラルネットワークの活性化関数の最適化に用いられるハイパボリックタンジェント関数なんかは完全に理系の分野.シグモイド関数とTanh(ハイパボリック)関数の最適化要素の比較には両者の微分を用いて比較する訳でAIの基盤を考えると理系要素がてんこ盛りである.そんなAIを世に送り出そうと考えるときに必要になるのが倫理観.AIによる最適化学習で多くのことが効率化されるけども、本当に正しい効率化はされているのかを考える必要がある.例えばAIを利用した自動運転技術の社会応用ではAIの最適化出力に問題が生じてしまい事故が起こったときに責任は誰が取るのか?の議論は倫理観の必要になる分野である.これに関して言えば理系の生み出したものに文系が手を加えて世の中にイノベーションを起こしていく.という印象になるだろうか.

理系文系を細緻化が徐々に細緻化していくことで専門性を高めた学問が増えているが実際の社会導入を考えると理系文系は排反の関係にない.正にインスタントコーヒーのように混ざることで完成されるものである.

だったら高校の間は文系理系で別れる必要はないだろう.と思う.

大学に入った後で専門性が高まっていくのに基盤である教養が理系に偏っていたり文系に重鎮が置いてあるようだと両者が排反の関係に成りかねない危険性がある.

少し前に『政治批判をする若者とは』という話を書いてみたが、正に中にいるのは教養の基盤が偏ってしまった専門家である.政治への知識と意欲は素晴らしいものだが、そのほかの教養が全くといっていいほどない.政治のシステムというのは政治的知識だけでは成り立たないのは周知の事実であろう.何党と何党のマニュフェストがどうこうではなく、政治的決定が社会に与える影響力であったり既存のシステム、文化に対する思考のアプローチは哲学的であり数理的面がある.

やはり理系という族を選んでも教科書に載っているような結果しか書かれていない医学書ではなくて山脇東洋の解剖書(蔵志)も見てみるべきである.ドビュッシーの音楽を聴いてみるべきである.文系も微分積分の基礎である極限までは理解しておくべきである.それが自分の将来に影響を与える可能性が著しく低いものでも結果的な出力のアプローチには含まれているかもしれない.その思考回路が案外いい影響を与えるかもしれない.

その面から文系理系と二極化の排反システムを高校の教育に取り入れるべきではないと思う.独学には壁があるし、一歩を踏み出せない人は多い.大学で高校の内容を教えるわけにもいかないし社会に出てから学ぼうとしても難しい.だったら高校のうちから思考の基盤の構成要素に数理的文系的な教養は含めておくべきである.

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