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四十肩を治した話のつづき(左肩編)

四十肩を治した体験のつづき、後編(左肩編)です。

右の四十肩のときにカン違いをして、まちがった対応をしてしまった私。
「このまま動かなくなったら困る〜」という不安からムリに動かしてしまい、
かえって悪化させて、炎症が長引いて治りがおそくなる……という苦い体験が「前編(右肩編)」。

数年後に、こんどは左肩の先に違和感がでてきました!
やっぱり最初は筋肉痛の肩こりだと思っていましたが、
シップをしたりマッサージに行っても鈍い違和感が残っていたので、
「あー、こりゃ四十肩かもしれない」と気づきました。

そこで、整形外科を受診しつつ、さっそく療養の準備をはじめました。


それまで使っていた硬めで低めのマクラをしまって、やわらかい羽毛マクラを二つに増やし
マットレスも、体が沈むようにクッションを柔らかくするために重ねて
かけ布団はもともとダウンでしたが、より重くならないようにして(ちょっと巣ごもり前のリスか北極熊のようですが…笑)
四十肩・五十肩になった人はお分かりだと思うんですけど、
 よく「マットは硬めの方が腰に良い」とか言われて硬めのものを使っていると、肩が痛いときはそれがものすごい圧迫と負担になるんですよね。
体がポスンっと沈むくらいが、痛い肩の負担にならないと思います。

服はTシャツ型だと着替えにくいから前開きをえらび、下着で着るシャツもぱつんぱつんだと着脱ぎにググッとチカラが入ってしまい、それが激痛(涙)につながるので、できるだけダボダボしたゆとりのあるものを選び。

痛いほうの手を先に入れるようにして着る。(たいてい右手を先に着ていたので、左肩痛だとこれまでと手順が逆になりました)

いやマジで。うまく着替えないと、左袖を通したまま右手が袖に入れられずクルクルと回転してしまったことがあるので(マンガで描いたらおもしろかったでしょうけど)

よく着るであろう服を、出し入れしやすいようにクロゼットの手前にもってきて並べる。

あと、家にあるツボ押しやマッサージグッズをまた引っぱり出して、
それを使うための「マッサージコーナー」を作って(床にゴロゴロを置き、仰向けに寝そべって背中をグリグリやったりしてました)
あと、小さめのホカロンを箱買いで準備

じつは、その頃にはYL社のアロマ製品を使いはじめていたので、
毎日のシップがきつい時はペパーミントなどのアロマ精油を塗布したり。

痛みがジワジワと強くなるなかで準備を万端にしていきました。

あとは、

できるだけ患部を安静にして、人とぶつからないようにし、

首と肩と背中と腰が張ってくるのをその都度そのつどマッサージ器具をつかってほぐす、ほぐす、ほぐし続ける……毎日毎日。

整形のリハビリも電気治療も、民間のマッサージも活用してしのぎました(笑)。

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気をつけたいのは、痛くない方の肩。

たとえば、目の治療のときなど、
片目をいためて眼帯をしていると、そのあとに逆の目が悪くなることがありますね。腕や足も同じだと思うんですが、片方が使えないことでもう一方に過度の負担がかかって、いち段落する頃にどーっと疲労があらわれるケース。

前回、右肩の炎症で使えなかったとき、左肩はどれくらい頑張ったんでしょうか?
右手が使えないから、そのぶん2倍の働きをした?
ちがいますね。

・右手が使えないから、その分も活躍してまず2倍のはたらき、
・痛む右腕を揉んだりケアする役、
・しかも左手が疲れてもそれをケアしてくれる右手はいない、
3倍も4倍もがんばっていることに気づきました。
・さらに、右利きだからほとんどのこまかい作業は右手がやってきたので、左手は苦手な作業に神経を使うことにもなる。

自分(左腕)は毎日二人分の仕事をしながら休みがなく疲労が倍溜まっていても、
助けがないどころか苦手な作業まで加わって、それが延々とつづく状態だったわけです。
キミは「鬼滅の刃」23巻202話の冨岡義勇か?ってくらいの酷使され方(涙)。

私は、マンガ家時代に陰謀論の作画を担当してその資料を読んだことがあって、
病原体やウィルスの話にしても
「もし人口削減のためにウィルス兵器を使うなら、強毒過ぎるとすぐに症状がでて感染者があっというまに重症になったり死亡してしまうから、感染が一部地域にとどまって広がらないので大量殺戮はできない。
弱毒性で感染者が気づかないうちに拡散されるように作らなければならない」などという余計な知識をもっていたくらいなので、

たとえば、
戦争でつかう地雷は、むかしは殺傷能力が高かったけれど、
今はあえて火薬を少なめにして爆発させ、殺さずに手足を吹き飛ばすように(あえてケガをさせるように)作っている。
それだと、火薬の節約になって大量に作れるのと、
戦場では死者はあるいみ後回しにできるけれど、負傷者は助けないわけにいかないから、戦力をそこで削ぐことができる。民間人の負傷なら病院を満杯にして戦意を喪失させ、その民族や国の生産性を下げられる。
というのを聞き、地雷って本当に「悪魔の兵器」なんだなと思ったことがありますが

なぜそんなことを思い出したかというと、

炎症で重荷になっている左肩にたいして、
いまの右手が全面的に背負っているその状況が、地雷でやられた兵士や民間人を背負って戦わなければならない(避難しなければならない)軍人さんのように感じてしまったから。

擬人化というか、これが「マンガ脳」だと思っているんですけど(笑)。

「右腕よ、本当によくがんばってくれている。
疲れきったお前を癒してくれるものはないから
ムリはしなくていいんだよ」

と思って、ふだんの1/2以下になるように作業を減らし、
実家に住んでいたので家族にたのめることは頼んで、便利道具をつかいまくって過ごしました。

前回の失敗を糧に、左肩の戦い…じゃなくて「左肩の治療」には勝利しました☆

おかげさまで、
左肩が治ったときに、右手が疲れきるということもなく
約半年で左の四十肩は治りました!

3ヶ月目で年齢が50歳になったので、
「左腕が四十肩になったんですが、今日から五十肩です」とかジョークを言えるくらい余裕があって、
6ヶ月目でだいたいの痛みが消え、
7ヶ月目には、あちこちに残っていたすべての違和感も消えて普通に動かせるようになっていました♪

私の肩はうしろで合掌できるくらい、背中のまん中まで指がとどくほど可動域が広かったんですが、
当時は、やはり一時的に背中に手がまわらないくらい硬くなりました。

でも、背中がかゆくなるとついつい手を回すので、
結果的に、完全なもとの動きまでもどりました(笑)

これが裏合掌(うしろ合掌)の証拠写真

ちなみに…なぜ背中で合掌できるほど指がとどくくのかというと、
身体がやわらないわけでも関節が柔らかいわけでもなく、
私が過去25年間アトピー性皮膚炎だったから。
身体中かゆくてたまらなかったので、背中をふくめて全身のどこにでも指が届くようになってしまったのでした。

当時は、ステロイド軟膏づけの生活をしていましたが、
自力で離脱して、今はステロイドを使わずに生活しています♪
このお話は、また別な記事でシェアしますね。

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