関節リウマチ完治への道のり

リウマチになったら絶対言われること

リウマチになったらよく言われる、
’’年取るとなるやつでしょ?''
’’おばあちゃんとかがなるやつでしょ?’’

皆言われてきたと思う。

’’簡単な、節々の痛み’’

私も多分、リウマチになる前はそういう認識だったかもしれない。

自分がなってから学んだことは多い。

まず、この二つは同じ名前を使っているが、全く別の疾患だということ。

ー関節リウマチ(rheumatoid arthritis: RA)
(多くは30-50代の働き盛りの女性が発症し、関節に炎症が起こる)

ーリウマチ性多発筋痛症(polymyalgia rheumatica:PMR)
(主に50歳以上の中高年に多く発症し、筋肉に炎症が起こる)

全く違うと言っても、免疫系疾患なことは同じみたいで、辛いのも変わらない。

英語を見るとわかるように、この二つは筋肉と関節、という点でも結構違う。そして、Rheumatica/Rheumatoid(リウマチ)という意味は、もともとは’’流れる’’という意味らしい。
要するに、私も毎日痛い部分が全然違くて、ヘンテコな病気やなあ、って思ってたけど、この名前がちゃんと説明してくれていたのだ!感動 :D


’’痛い’’ の表現がもっとほしい


他にもいろいろ学んだことはあるけれど、リウマチになって感じたことは、病気って、やっぱなってみないとわからない、ってこと。

’’痛い’’という言葉は使うのは簡単だ。
実際のその’’痛い’’を、それを体験したことがない人に対して表現するのが難しい。

関節リウマチになった人の体験談や経験談のインタビューなんかを聞くと、’’這って学校に行きました’’とか、’’足を引きずってトイレに行く日もありました’’とか、’’包丁を握れなくなりました’’とか、よく聞く。

’’這う’’って、ただの表現の1つで、実際本当に文字通り’’這った''わけじゃなく、それくらいの痛みだったんだろうな、って私は自分がなっていなかったら思っていたと思う。

でも今の私には、その表現の一言一句が、決して大袈裟やただの表現だという受け取り方はない。本当に、この人は這って行き、足を引きずって行ったことが目に見える。それは自分も実際日によってそういう日があるからだ。

リウマチについて人生をかけて研究してきてくれて、勉強してくれている病院の先生方には本当に感謝しても仕切れないし、ありがとうございます、って言いたい。でも、そんな人生をかけてリウマチのことを考えてきてくれた先生でも、この痛みと、それと向き合う毎日の心情はわかりえないのかもしれない。(先生は、研究者として、一度実際にわかってみたい、って思っていると思う。)
だから、リウマチになって一番の難関は、どうやって今現在の’’痛い’’を先生に伝えられるか、にいつも悩んでしまう。

先週開けれなかったチャックは開けれるようになったけれど、それまで痛くなかった他の部位まで痛くなってきてたら、今週はそれは良くなっているととるべきなのか、悪くなっているととるべきなのか?薬が効いているの?効いてないってことなの?

こういうことは私にも先生にもわからない感じが、先生たちの反応を見てきて、してきた。
自分の感じる痛みや毎日くる予測不可能なこの状況を何週間に1回かお会いできるだけの先生にちゃんと全部伝えることが一番の難関なのだ!

わかってきたのは、基本的に、リウマチは、患者さん始動の治療だということ。

’’先週より痛いです。’’
と言ってしまえば、どの先生も
’’じゃあお薬増やしましょう/変えましょう。’’
としか言えない。そんな気がする。
と言っても、痛む部位が毎日変わりすぎて、それによるメンタルのアップダウンも大きすぎて、先週より’’痛い’’か、先週よりは’’痛くない’’のかすら、自分にもわからなくなってくる。

’’私、先週より悪くなっていますか?’’
の答えが先生にわかるのは、目に見えて明らかに腫れているか、レントゲンを撮って明らかに曲がっているか。それくらいなのだろう。

レントゲンなんて多くて半年に一回しか撮れないし、痛みは酷くても腫れない場合もたくさんある。

だから、自分を今までで一番よく見つめる時間が必然的に出てくる。


自分との対話。
それが、リウマチ完治までの道のりなのかも! :))



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