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薔薇の牧場に舞う者は (2020/01) 新春#03 『神々は公平にして』【2】

  “ 狼たちも満腹。羊たちも無傷。”

      上記写真:作品の一部


  (2020/01/11) @名古屋・日本

「父親は?」
「何!?」
「父親のことは聞いているか?どんな顔をしていて背格好は?そもそも名前は?」
「知らん!興味もない!!」
「母親からは聞いていないか?」
「聞いていない。話そうとはしなかった。」
「その理由については?何も言っていなかったか?」
「何・も・き・い・て・な・い!同じことを言わせるな!
 いいか!モノは言ううちに聞け!!覚えろ!!!そして理解するんだ!!!!わかったか?」
「・・・」
 Nicholaの表情が一瞬凍った。だが直ぐに口の端をニッと歪めた。
「知りたくはないのか?」
「どうでもいい。今の俺には関係ない。」
「確かにそうだ。今の貴方には。だが、明日の貴方には関係あるとしたら?」
「関係などあるはずがない。」
「あるから『Nicholaの話を聞け』と言ったのだと思わないか?母親が!」
「あんたは俺の母親をよく知っているのか?」
「知っている、と言ったら?」

 つと所長は立ち上がりキッチンに向かった。ヤカンに水を入れ、コンロにかけ点火する。取手付き金属製の湯呑み+お盆を用意して茶葉を取り出す。その間も背後への注意は怠らない。
 振り返ると、Nicholaは本棚の前にいた。本の背表紙・タイトルを見ているようだ。
 湯が沸いた。茶を淹れる。2人分を盆に乗せ、Nicholaの座っていた前に置く。チラ見すらしない。

「じっくり聴かせてもらおうか。
 俺の父親は誰だ?どんな男だ?名前は?何をしていた??母との出会いは???あんたとの関係は????」
「ここにある本は全部読んだのか?」

またしてもはぐらかしやがって!まあいい。ここまで来たら徹底的に引き延ばしてやる。その方がこっちは有利になるんだ!!

「読んだ。」
「塩野七生氏の『ローマ人の物語』(新潮文庫)が全巻揃っているじゃないか。歴史は好きか?」
「元々好きではなかったが前所長に会ってから変わった。彼は言った。
『歴史は研究に値する。学んだ方がいい。今の専攻分野以外のもので本を読むのなら断然、歴史を勧める!』
 それ以降、彼の勧める本を手当たり次第に読んだ。今では本棚に欠かせない。」
「それじゃあ尋ねよう。
 歴史を学んで得られる最大の智慧は何だ?」

「喧嘩のやり方だ!」

「ほう!そうか!!その内容を具体的に詳しく教えてくれ?」
「人類の歴史は闘争の歴史だが勝ち方は色々だ。勝って当然という勝ち方もあるが、中には『奇跡』と言える勝利がある。
 不利な状況であるにも関わらず、逆転勝利を収めた例も多数存在する。」
「例えば?」
「西欧史では、サラミスの海戦・イッソスの戦い・カンナエの戦い・アレシア攻防戦・アウステルリッツの戦い。
 日本史では、桶狭間の戦い・厳島の戦い等がある。
 これらは小が大を倒した好例だ。
 もっとも・・・」
「もっとも何だ?」
「『小が大を倒す』というのは『戦いの王道』ではない。」
「ならば聞こう。『戦いの王道』とは?」
「敵に数倍の兵力を備え、大軍をもって戦いを有利に進めて圧倒する。これが『王道』だ。
 だが、口で言うほど容易ではない。
「大軍になれば、装備・弾薬・燃料・食料等の消費は凄まじい。それらを事前に準備し、戦いが始まったらそれを途切れることなく終戦まで維持しなければならない。
 そのための管理体制・組織を創り上げ要員を確保して維持せねばならない。何よりも膨大な資金が必要になる。
「それを史上最も巧みに実践し手本になるのは、古代ローマだと、俺は思っている。」
「それだけか?」
「いやまだある。人材の発掘だ。これまた神業とも言える例が歴史にはある。」
「というと?」
「西欧史では、カエサルとオクタヴィアヌスが一番だろう。
 カエサルが遺言状で指名し、後継者の座に就いた時、オクタヴィアヌスは若干18歳の若造だった。無論、カエサルは長生きして後見するつもりだったろうが彼は暗殺され、遺言状が公開された際には『オクタヴィアヌス?誰?』となった。それくらい注目されていなかった。
「だが、その若造は見事に後を継ぎ、帝政への道を切り開いた。」
「日本史では?」
「近代では、山本権兵衛と東郷平八郎のそれだろう。
(1904)日本とモスコスラヴィヤとの開戦が不可避になった。日本海軍の連合艦隊司令長官を誰にするか?
 前評判では日高壮之丞だと言われていた。『成績優秀者』だったからだ。
「だが海軍大臣の山本権兵衛は、当時、舞鶴の鎮守府長官という“閑職”にあった東郷平八郎を抜擢した。
 時の明治天皇が尋ねた。
『なぜ東郷なのか?』
 権兵衛答えて曰く

『東郷は運のよか男でごわす。』

「戦の現場において最後の命運を分けるのは
『運・幸運=フォルトゥーナ』であることを権兵衛は知っていたのだ!
 この瞬間、対馬海戦の勝敗は決まったも同然だ!!
 カエサルも権兵衛も共に『神の眼』を持っていたとしか思えない。」
「『神の眼』・・・か!」
「ああそうだ!可視化された物差しを超えたものを見抜く眼力だ!!
 凡俗な者は、可視化された物差しでしか判断が出来ない。
 だが『神の眼』を持った者は可視化できないレベルまで見抜き、見通す。凡俗な奴らはそれが見えないから、
『何でアイツが?
 何でコンナことを?』
と訝しがるが、その結果が『大正解』と解って驚愕する。 
「前所長曰く、
『人の上に立つ者は須く “神の眼” を持たねばならない。
“人の上に立つ者”とは、国・社会のリーダー/経営者/教育担当者/タレント・スポーツ選手のスカウト・コーチ等全てを言う。
 自分はそれを訴えたくて、この作品を創作した。且つ、これは自分自身に対する戒めでもある。』
 その作品がこれだ!」
「『神々は公平にして』だな?」
「そうだ。」
「この作品の釈文だが・・・
 コバヤシテルオの話では、発表当時(2003)年と今とでは異なっている、ということだった。」
「それは事実だ。発表当時(2003)年正月は前年(2002)年ノーベル賞の話でもちきりだったんだ。
 (2002)年、島津製作所の田中耕一氏が、ノーベル化学賞を受賞した。」
「そのことなら俺も覚えている。
『生体高分子の同定及び構造解析のための手法の開発』というのが受賞理由だった筈。」
「そう!レーザーイオン化質量分析技術の開発→血液一滴でアルツハイマー病や前立腺がん等の早期発見への貢献が期待できるんだ!
「だがマスコミが騒いだのは、業績内容というよりは、田中耕一氏のキャラクターだった。
 彼は象牙の塔に君臨している博士・研究者ではなく一介のサラリーマンだった。しかも人柄と言えば、温厚・朴訥・職人気質で、オレが!オレが!と、前面に出てくるタイプではない。
 2002年末の「NHK紅白歌合戦」に『審査員として出演して欲しい』という依頼が来た時も
『自分は芸能人ではありませんので』
と言って断ったそうだ。
『一億総タレント志向=目立った者勝ち』で、眼をギラギラさせている奴らが主導権を握っている日本では信じがたいキャラクターだ!!
 ノーベル賞を受賞した後、サインを求められた際も全て断っていたそうな!!!
 そういうキャラクターの人が世界最高権威の賞を受賞したというので日本中が沸いたんだ。
「これが前所長の胸に刺さった!
この世には、国・社会・組織において、

『他人には気づかれにくい、もしくは他人は全く気づいていないが、実はダイヤモンド』

という人材が眠っている。
「このダイヤモンドには2種類ある。

(1)自分がダイヤモンドと気づいていない者
(2)自分がダイヤモンドと、はっきり認識していて自分の力量に相応しい活躍の場を与えられていない、と日々実感している者

(1)のタイプは、不幸だと感じない。少なくとも『屈辱』を感じることはないだろう。
「問題は(2)のタイプだ。
 彼にとっては毎日が生き地獄だろう。自分が適正に扱われていないばかりか、自分より劣る奴がのさばる様を日々静観しなければならないのだ!『屈辱』以外の何者でもない。
 こういうタイプに限って、一匹狼だ。寂しく自分だけの想いを抱え悔し涙をどれだけ密かに流していることか!!!。
「だが、観る眼を持った者が上に立ち、正当な評価を与えて彼に相応しいポジションを与えてやれば『水を得た魚』のように生き生きと活躍し始める。
 野球のことは解るんだよな?詳しくはない、とは言え・・・」
「一応は。」
「イチロー選手は解るか?」
「解るとも!いくらなんでも!!」
「あのイチローが、ORIXに入団当初、万年2軍扱いだったんだ。!」
「何故だ?」
「当時の監督に『生意気な奴』というレッテルを貼られて一軍に上げてもらえなかったんだ。
 それが監督が代わり、一軍に挙がった途端、アレよアレよとスター街道爆進だ!!
 人材を活かすも殺すも『上次第』なんだ。

 力量がありながら、
①上位者に観る眼がなかったり
②周囲の嫉妬を受けて脚を引っ張られたり
③上位者の派閥争いに巻き込まれ志半ばで業績を完成させられなかったり
④挙げ句の果てに無実の罪を着せられ、陰謀=罠に嵌まって失脚したり
そういう者の怨嗟の声が、この世には至る所に満ち溢れているのだ!!!

「『その声に耳を傾け、引っ張り上げて救ってやり、才幹に相応しい仕事をさせてやる』
これこそが人の上に立つ者の責務ではないか?
『このRUCAにも色々な生徒が来る。しかも多国籍だ。人種・宗教・言語等も様々だ。だが、そういう表層に惑わされるのではなく、一人一人の素質や美質を見抜き、彼らに表現の場を与えてやれ!』
 これが、RUCA所長を引き継ぐ際に前所長から贈られた言葉だ。
 『神の眼』を持て!!とはそういう意味だ。
 だから、(2003)年当時の釈文は、田中耕一氏のノーベル賞受賞を主題にしたものだったんだ。」
 
 所長の長口舌に口も挟まず、Nicholaはただ所長の熱く語る様を黙って見つめていた。
 だが、長口舌が終わり一瞬間を置いてから、黙って聞いていたNicholaが、ポツリと言った。

「RUCA所蔵の作品中では、一番人気だよな?」
「そうだ。
 隣りの展示室が目的で来館した客が、この作品の展示室の前を通る。出入り口でこれを観た途端、引き寄せられて入って来てしまう!!というアクシデントが毎年必ず頻繁している。
 入ってくるまでには至らなくとも、出入り口で眼にした途端、立ち止まり、暫くマジマジと見つめている。例外なく、だ!その後写真撮影を始めようとするのを阻止するのに毎年手を焼く!
 これが年初の恒例行事だ。」
「まさしく展覧会の『目玉』という訳だ!!」
「その『目玉』という呼称は誰から聞いたんだ?コバヤシテルオか?」
「いかにも!この作品については何度も聞かされた。『目玉』が!『目玉』が!ってな!!」
「世間では『RUCAの眼』とは言っているが、『目玉』というのは内部の者だけだ。何故貴方がそれを知っているのか不思議だったんだ。」

「それはさておき、これの釈文なんだが・・・今や(2020)年!田中耕一氏ノーベル賞受賞から18年も経過している今日、釈文は今のものの方が相応しいと思うぞ。」
「前所長の了承を得て俺が改めたんだ。」
「大正解だ。」
 Nicholaはニヤリと笑い、振り返ると改めて現所長の本名を呼んだ。
 昨晩の訪問以来、二度目のことだった。


※3回に渡り『神々は公平にして』の写真を部分的に掲載してきました。

  次回は、全体像を掲載予定です。且つ、 RUCA所長の本名も明らかになります。

 


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