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「禅の響 -ZEN no OTO- | 別伝 鹿の遠音」アバンギャルドな生き方

言葉でない伝え方ができるとしたら、
私たちの生き方はどうなるのだろう。
嬉しい時、怒った時、おかしい時。
動物からすると、人間の伝え方はどう感じるのだろう。
不自由、虚、無感情。
野生は心に溢れいている。

「別伝 鹿の遠音」は音源になっているものが少なく、またそれぞれが技術も含めて全く異なる曲となっています。別伝とありますが、通常の「鹿の遠音」と比べることが出来ない別の曲です。かなり前衛的で江戸時代に作られたとは思えないほどです。

 推測するに、私が知っている曲とは全く異なる「別伝 鹿の遠音」があり、口伝で伝わる中で、フレーズを整えたり、フレーズ間の辻褄を合わせていったのではないかと思います。海童道の道曲「鹿の遠音」も聴く限り、骨格部分になっており、江戸時代の雰囲気を想像させます。

 この前衛的、アバンギャルドな演奏は今の時代に必要な課題だと私は感じています。全てを綺麗に、整えるようとするような。人間の本質とは異なるモラルで固めようとしている世界。野性の心に問いかけるような、私はそんな、この曲が好きです。

 話は変わりますが、人は理解できないものを置き去りにしがちです。もし動物たちが言葉を話せたのなら、今のこの人類主体の社会を猛烈批判するでしょう。知性があるならば、おそらく人間を一番に襲うかもしれません。

 現代、対話の時代と言いますが、それは人類だけの語り合いだけの世界。自然は?動物は?虫たちは?地球は?

 私たちが生きてしている事は人類のためだけにしている事が殆どです。それはとても悲しい。

 私は鹿が住む森がとても好きです。寂しそうな、幻想的なような、野性に満ち溢れている声。

 声をあげることを忘れてはいけない。頭の良い人間達の思うままになってはいけない。言葉にならない声こそが本当の力があるのだから。


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