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16 シュールかマニアか 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

16 シュールかマニアか


 舞踊対決ダンス・マッチ開始 スタート

 アシュディンは上衣を脱ぎ捨てて、よく均整の取れた肉体を惜しげもなく晒した。男たちの囃す声、女たちの色めく声が乱れ飛ぶ中、彼は舞台の中央にゆっくりと出て直立の構えをとった。両腕をやや前に下ろし、力みのない自然な立ち姿で、音を待った。
 斜め後方に坐すハーヴィド。楽器ヴィシラを構えると、観衆の中から「おい、見慣れないリュートだな」「どんな音がするんだろう?」などと不審のどよめきが起こった。ざわめきの内に多様性が増していった。

 ダアルの演目〈なぎ木立こだち〉の幕が上がった。まずハーヴィドが二本の弦を鋭く爪弾いた。単純な和音がカンッと鳴ったが、すぐさま酒場の喧騒に埋もれて消えた。ふたたび鳴ったがすぐに埋もれた。鳴っては埋もれ、鳴っては埋もれた。観衆たちが静まる気配はひとつもない。それでもハーヴィドは同じ和声を同じ音量で弾き続けた。
「まったく聞こえねーよ! ちゃんと演奏しろ!」「いや、お前が騒いでるからだろうが」などと野次が飛んだ。その矛先はアシュディンにも及んだ。「おーい異国の坊や、突っ立ったままじゃねえか!」「ちゃんとやれ〜」

 歓声にも野次にもまったく動じないふたり。あまりに見応えのないさまに閉口する客が現れはじめた。しかし不思議と誰も立ち去ろうとは思わなかった。ダルワナールのショーが控えているということもあったが、普段は情熱的パッショネート攻撃的アグレッシブな踊りが繰り広げられている舞台に、まったく見慣れない雰囲気が落とされていたからだ。フロアは妙な緊張感に支配されて、少しずつ静かになっていった。

 アシュディンは極めてゆっくりと腕を持ち上げていった。「おっ、動いたぞ!」「始まったか」フロアから飛び出した声に、舞師はほんの短い時間、小刻みに身を痙攣させた。そしてすぐさま腕のゆったりとした動きに戻る。「退屈な踊りだな〜」声が飛ぶと、舞師はまた反射的にばらばらと関節を震わせた。そのような不可解な応答が繰り返される度に、観客たちの中で動揺が膨らんでいった。その間も、楽師はずっと楽器ヴィシラの二音和音を鳴らし続けていた。

 アシュディンは両腕を上空の一方向に伸ばして、ようやくひとつの姿勢に落ち着いた。足の爪先から手指の先まで、しなうように斜めに伸びた〈一本の枝〉だ。
 観客たちはアシュディンの肉体美・曲線美に見惚れたが、やがてステージに近い客から順に〈ある事〉を理解していった。左脚の後ろでクロスさせた右脚が宙に浮いている! ひねりとりとで大きく傾いた体幹を支えているのは、爪先のたった一点だった。
 こともなげにやっているように見えたが、そうではなかった。全身の筋肉は絶えず緊張し、血管が隆々と浮き上がっていた。青年の胸に浮かび出てきた汗の玉は、照明に煌めいたかと思うと、胸筋や腹筋の溝を伝って流れていった。

 フロアにはこれまでとは違う色の、どよめきの波紋が広がった。「よく倒れないでいられるな」「一体どんな体の構造してるんだ?」「すげえな、あいつ!」

 しかしダアルの真髄は、身体能力の誇示でも自然の模倣でもない。不安定な姿勢を続けながら、歓声や驚嘆を刺激として反応する肉体、繰り出される震えや痙攣。それらは、決して同じようには再現されないかぜに対する、枝の刹那の応答だった。
 物音のしない時には見事な姿態を保っているアシュディンは、客の咳払いで危なげに膝を崩し、わずかな靴音にすら奇妙な肩の動きで応えた。
 超現実シュールで無常なる世界観。不気味さに耐えきれなくなった観衆は、そのうちにみな声を上げるのをやめた。緊張の緩和を求めて、逆に緊張して声を押し殺した。中には息を止める者もさえいた。「しーーっ」と誰か咎めたはずの男が、周囲の客に睨まれた。

 いつしか酒場は完全な静謐に包まれた。

 アシュディンが凪いだのではなく、フロアがおのずと凪いでいったのだ。〈無〉が現れるためにまず現れた〈有〉それが舞台上の舞師だった。観客達の方が一本の枝を取り囲む〈凪の木立〉を演じさせられ、その佇むさまを舞師が見ていた。
 主客の入れ替わったステージには、ハーヴィドの爪弾つまびく音だけが規則正しく鳴り響いていた。深い静寂の中にある時計の針のごとく、舞とは無関係に初めから刻んでいた音、その存在に客がぽつぽつと気付き始めると、止まっていた時間があちらこちらで俄に進んだ。
 ぱらぱらと拍手が起こり、それらはすぐさま大喝采に発展した。扇情的な踊りを好む酒場の民たちが、この夜、伝統舞踊ダアルの中でも異質な演目〈凪に木立〉の虜になった。
「すげーな!あんたら!!」「こんなの初めて観たぜ!」「なんでだろう、あたし涙出てきた」
 アシュディンは構えを解きながらふわっと一回転して、フロアに向けて深々とお辞儀をした。ふたりにはスタンディング・オベーションが送られた。

 アシュディンは高難度のダアルの成功とフロアの喝采に舞い上がり、今にもハーヴィドに駆け寄りたい気持ちだった。しかし勝負の真っ最中であることを思い出してぐっと堪えた。肩で息をしながらステージを降りていくと、向かう途中のダルワナールとすれ違った。
「まさか客を盛り上げることを打ち捨てて、逆に黙らせるなんてね。注視を強制する美しい姿態、音への素早い反応、不気味さを煽る運動、なかなかやるじゃない」
 ダルワナールは〈凪に木立〉の構造と本質をつぶさに指摘しつつ称えた。
「でもね、そういう小賢しい〈発想の転換〉は好きじゃないの。客の激しい情欲を煽ってこそ舞踊。横綱相撲を見せてあげるわ」

 後攻の踊りが舞台に上がって準備をしているとき、ハーヴィドは元々ステージにいた中年のいち楽師へと歩み寄って「すまないが楽器を貸してくれないか」と頼んだ。楽師は「普通のリュートだけどこんなんでいいのか?」と訝しげに差し出した。ハーヴィドは頭を下げて受け取ると、自身のヴィシラをかたわらに置き、ステージに登ってリュートを構えた。

「やっと真打登場だ!」「ダルワナールさま! 頑張って!」「異国の男なんかに負けるなよ!」
 一斉にダルワナール・コールが巻き起こった。

「さっ、派手に行くわよ!」
 ダルワナールは攻撃的な顔つきで構えた。胸から腰にかけてのS字ラインが強調される。彼女はまずリズミカルなタップで舞台をリードした。異国情緒を漂わせながら、ダイナミックかつ官能的な踊りが繰り広げられていく。
 ハーヴィドはその動きに注視して、直ちに的確な曲調を選んでリュートを搔き鳴らした。初めてとは思えない見事なコンビプレイがすぐに出来上がった。ハーヴィドの奏でる超絶技巧を受けて、ダルワナールはますます精彩を放った。
 踊り娘はところどころで舞踊劇の要素を見せた。恋愛物語の男女二役をこなし、情事を想起させる踊りは人々の官能をことごとく刺激した。
 観客はみな昂奮に我を忘れた。歓声のために酸素不足となり、熱気に恍惚となり、そして──

 この晩、北東の酒場〈魅惑を放つケレシュメ〉が最高潮に達したのは、ダルワナールが客に背を向け、あでやかに仰け反った瞬間だった。


「ま、負けた〜」
 アシュディンはテーブルの上に突っ伏して、拳をダンダン打ち付けた。
「まあまあ、あんたもよくやったよ」
「そうよ! わたしファンになってあげてもいいわよ!」と相席の夫婦が慰めの声をかけた。
 ただアシュディンは悔恨の一方で手応えも感じていた。《俺、もしかしてこの国でやっていけるかもしれない》 誰にも相手にされず腐りかけていたが、負けても伝統舞踊ダアルをやって良かったように思えた。   
 しかしそれも束の間……
「あ〜ら、残念だったわね、綺麗な坊や」
 ダルワナールがハーヴィドを引き連れて戻ってきた。完全勝利と言わんばかりのしたり顔が心底憎たらしく、アシュディンは額をテーブルに押し付けた。
「約束通り、ハーヴィドにはあたしの専属楽師になってもらうわ。2階に店のオーナーの部屋があるから、まずは挨拶に行きましょう」
 ダルワナールは声を弾ませながら、楽師の腕を引っ張って行った。去り際、ハーヴィドはアシュディンに気を遣って言った。
「すまないが勝負は勝負だ。それに滞在費用はどうしても必要になってくるしな」
「どうぞお構いなく〜、俺は俺で頑張りま〜す」
 突っ伏したまま生返事をしたアシュディン。ふたりが階段を昇っていく音がその耳にこびり付いた。


── to be continued──

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