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17 深紅と珊瑚赤 (R18) 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

【注意】本話には性的表現が含まれます。ネット小説レーティング同盟の定義に賛同しており、本話はR18(性描写そのものに重きを置き、具体的に描写しているもの)に該当します。


17 深紅クリムゾン珊瑚赤コーラルレッド


 アシュディンはまだ項垂うなだれていた。腹は料理と酒でいっぱい、脚はダアルで疲労困憊。胸にひしめく悔しさを解消する手立てが見つからない。
 舞踊対決の幕引きにより、酒場の客はぽつぽつと帰り始めていた。まだ騒がしさは残るものの、周囲の声がだいぶはっきりとしてきた。
「今度の犠牲者はあの楽師かぁ、可哀想なような、羨ましいような……」
 ふと隣の席から聞こえてきた言葉に反応して、アシュディンはガバッと身を起こした。
「素敵だったものね、あの楽師さん。でもわたし最初っからそんな気がしてたわ」
 相席の夫婦の会話だ。貴族の踊りを絶賛していた先ほどまでとは声色が違う。きな臭い空気だ。
「お、おい。犠牲者って、それどういう意味だよ?」
 アシュディンは思わず身を乗り出して訊ねた。夫の方がまた面を食らいながら「お前さん、本当に何も知らないんだな……」と困惑の色を浮かべた。彼がふたたび口を開くまでの気まずい一瞬がとても永く感じられた。
「ダルワナールはな、異国の男前の血が大好物でよ、いや血ってのはたとえで、つまり〈あれ〉のことだ、分かるだろう? 三児の母って言ったけれど、父親はどれも違って、皆たまたまこの国を訪れていた旅人なんだ」
「彼女に見初められて正気でいられる男なんていないわ。二人目の父親おとこなんて、大嵌おおはまりして国都ここに定住した挙句、相手にされなくなったら自殺未遂騒ぎまで起こした──」
〈バンッ!〉アシュディンは両手をテーブルに叩きつけて勢いよく立ち上がった。 

 遠い国の言葉に訳すと〈Owner's Room〉と書かれた扉の向こう側。
 床に脱ぎ落とされた舞台衣装、その深紅の山から上にすっと伸びる脚があった。付け根には、細いショーツでは覆いきれない豊かな尻と、くびれた腰が浮かんでいる。露わにされた乳房ちぶさつややかな髪がしなだれ掛かっていた。
「……服を着ろ。オーナーはどこだ?」
 ハーヴィドはその裸体には目もくれず、ただ女の顔を見据えて静かに言った。
「あら、言ってなかったかしら? この店のオーナーはあたしよ」
 ダルワナールは自慢の肉体に興味を示さない男にますますそそられて、ドレスを乗り越えて歩み寄っていった。男の両肩に手を置き、豊かな乳房を押し当てると、されるがままの楽師の唇に挨拶程度の接吻をした。
「オーナーにちゃんと挨拶して?」
 ハーヴィドは眼下に待つ女の紅い欲情をしばし見つめて、みずから唇を重ねにいった。その小さな領域のいたる所をついばみながら、お互いの弾力と滑らかさを確かめ合う。やがて女の方から舌を差し入れてきて、男は仕方なく肉厚の舌で応じた。階下の喧騒が漏れてくる一室に、淫らな水音が潜んではたびたび弾けた。
「あなた大きいから、脚がつらいわ。支えて下さる?」
 ダルワナールは、ハーヴィドの腕を取って腰に回させた。丈夫じょうふは女を抱きかかえながら、冷たい白亜の天井を仰いだ──

〈キィー〉扉の開く音がした。
 ハーヴィドが視線を下ろしていくと、入口の木枠きわくの内にアシュディンの立ち姿が収まっていた。目を見開いたまま硬まる青年。ダルワナールが面白げに振り向こうとした刹那、パタンと扉の閉じる音が鳴り、続いて廊下を駆ける音が、階段を降りていく音が、次第に遠のいていった。
「あら、誰か来てたのかしら」
 ダルワナールは言いながら逞しい胸に横顔を預けた。ハーヴィドがため息を漏らす。
「……情事ことが済んだら、解放してもらえるのだろうな?」
「冷たい言い方をするのね。でも踊り娘あたしと肌を重ねていて、いつまで踊らないでいられるかしら……」
 女は服の裾から手を差し込むと、背中から腰にいたる溝をゆっくりとなぞった──


 無我夢中で市街を駆けるアシュディン。脳裏にはそう遠くない過去がフラッシュバックしていた。男女のまぐわいを目撃するのは初めてではなかった。俺が悪いのか? 俺が迂闊だったからいけないのか?
〈ただ気持ちいいから皆やっているだけ〉
 快楽主義者の言う通りだ。たかが情事じゃないか。他人ひとがただ気持ちよくなろうとしているのを、咎められるわけないじゃないか。
 心臓の鼓動が、脚の速さを越えている。まるで駿馬に横を抜かれたような焦りと虚しさがあり、その背を追おうと脚をかせて、ますます苦しくなる。うまく息が吸えない。ちょっとの時間走ったくらいで悲鳴を上げるような鍛え方はしていないはず。なのに、どうしようもなく苦しい──

「俺に踊る舞台を下さい!!」
 気付けば西の歓楽街の酒場〈葡萄の冠グレイプ・クラウン〉のカウンターで深々と頭を下げていた。店のマスターにではなく、酒に堕落した快楽主義者の男に。
 男はにやにやしながら「控え室を借りるね〜」とマスターに一言ひとこと告げると、アシュディンの腕を引っ張っていった。男の青白く骨張った腕を見下ろしながら、舞師は《もうどうにでもなれ》と自棄になっていた。「おい、妙な真似をしたらまた出禁にするぞ!」マスターのどやす声が後方で虚しく響いた。

 店の奥にある控え室は灯りをつけても薄暗かった。小部屋と物置の中間くらいのそのスペースは、踊り娘一人が過ごすには充分だったが、男二人が入ったならば接近はやむを得なかった。
 アシュディンが入口に佇んでいると、男は衣装の山を漁って「これを着て」と一着のドレスを差し出してきた。珊瑚赤コーラルレッドの鮮やかな生地にひだが幾重にも波打っている。アシュディンは黙ってそれを受け取ると、元々着ていた帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの舞踏衣を躊躇ためらいなく脱ぎ捨てた。
 慣れないドレスに手こずるアシュディンの耳に、カチャカチャと何かを漁る音が届いていた。
「お肌きれいだからファンデーションは要らないね。チークは僕キライだし、もうアイシャドウだけでいいかぁ」
 男は棚に置かれた化粧道具の群れからパレットを取り出して、着替えを終えたアシュディンに向き直った。顔に手が伸びてきて思わず眼を閉じた瞬間、片方の目蓋にサッと指が走る感触があった。驚いて目蓋を震わせると「閉じてて」と念を押され、もう片方にも撫でつけられた。

「ふふ、元の顔が良いと楽でいいね。ほら」
 男が身を退けると、そこに鏡が現れた。女性用のドレスを纏ってアイシャドウを入れただけ、たったそれだけでアシュディンは見違えるような美しい踊りに化けた。すすけた目元が奥にある生来の瞳の煌めきを際立たせていた。ゆったりとしたドレスは体のラインをうまく隠し、正直自分でも見分けがつかないほど女性らしかった。
「でもこれだけはちゃんとやらないとね〜」
 男はポケットから小瓶を取り出すと、葡萄酒のような赤黒い液体を指に垂らした。どろっとした質感、指の上で妖しく艶めいている。男はその指でアシュディンの唇を優しくなぞった。下唇を右から左から。上唇を右へ左へ。
 そして血をこすったようになった指を口元に近づけながら「舐めてごらん? 美味しいから」と勧めてきた。青年は従順にその指をくわえた。ベリーのような甘酸っぱさの後に、アルコールとはまた違った刺激が脳を突いてきて、軽い目眩めまいを覚えた。
「本当にきれいだよ。僕みたいな落伍者らくごしゃでも、生きてて良かったと〈ちっとは〉思えるくらいにね」

 男はアシュディンの背に手を回しながら、酒場のステージへと続く扉の前に立たせた。
「さあ、君の舞台だよ、行っておいで」
 男はその背中を押した。


── to be continued──

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