エッセイ「月が綺麗ですね」 #執筆観

 成立年代は不明であるものの『竹取物語』は日本最古の物語と称される。しかしその結末において、ある西欧人の文学研究者は首をかしげたそうだ。かぐや姫は月から来て、5人の男性に求愛される。しかし、かぐや姫を娶りたいと思う彼らの気持ちや努力を尻目に、彼女は別世界である月に帰ってしまうのである。

 ここで議論されているのは「人間の力を超えた超自然に対する態度」である。日本の民話には、人間と超自然の間に決定的な断絶があると、その研究者は指摘している。

 一方で西欧の民話では「愛の勝利」がテーマになる。口づけには死者を生き返らせたり、変身の呪いを解く力がある。そして王子と姫は結ばれて幸せに暮らすというハッピーエンドが用意されている。(蛇足だが参考文献では、西欧型民話では愛の力は超自然を凌駕し、それによって西欧人の楽天的・前向き・積極的、などのメンタリティが生まれると指摘されている)

 うん、まあ分かるよ。あなた達はとても楽しそうに見えるけど、僕らは概してペシミスティックだ。

 しかし神話の段階まで遡ると話は変わってくるように思う。大洪水神話、巨人解体神話、英雄神話、ありとあらゆるフィクションが、日本・インド・北欧など世界各地で散見される。神話には普遍性がある。いや、普遍性を謳うからこそきっと神話なのだ(諸説ある)。ちなみに個人的に興味が強いのは、ギリシャ神話・オルフェウスの「振り返るな」に代表されるような『見るなのタブー』だったりする。

 〈文学〉は、差異も普遍も映し出す。優劣も平等も同時に描き得る。コタエはない。読者は出口のない迷路へと誘われ、ある程度の時間そこに留まらされることになる。歩いて迷っては、走って見失ったり、分かれ道や、来た道を戻ったりしながら、出口はないのに、なぜだか出口の光が見えてくる。そういうところが、文学の一番好きなところだ。

 先日、好きな人に写真を送るために、慣れないカメラアプリを駆使して月の写真を撮った。

(2017.12.3. 望遠レンズなしでここまで撮れた。月が綺麗ですね)

 ……その翌朝、通勤路には重い霧が立ち込めていて、なぜか東の空にまた〈月〉が顔を出したのを、確とこの目が捉えた。
『えっ? 昨晩もそこにいたよね?』
 じつは霧の調光作用によって、昇りゆく太陽が〈月〉に変身していたのだ。
『愛の力でも、この変身は解けなくていいよ』
 そう考えた矢先に霧は晴れていき、〈月〉は太陽の姿に戻ってしまった。呪いというか、魔法が解けてしまった。やはり僕と超自然の間には、乗り越え難い断絶がある。僕は〈日本人〉なのかもしれない
 ここまで書きながらも、漱石のことを語らないのは、僕が天邪鬼であり、彼を心底尊敬しているからでもある。こんなアンビバレントな想いも、いつか文学になればいい。


参考文献谷本誠剛(1997)『物語にみる英米人のメンタリティ』


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