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29 クロスロードに笑う 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

29 紀行の交差点クロスロードに笑う


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【エル・ハーヴィドの日記】

帝国暦97年10月14日
 愛するディ・シュアン。君はそろそろ目を覚ましただろうか? 俺はファーマールの国境付近でこれを書いている。終日ひねもす独りだ。そのおかげで気付きも多いがな。
 君は星が鳴いているのを知っていたか? 虫でも鳥でも風でもない、あの星がだ。夜の砂漠ではその声が明澄に聴こえてくる。ヴィシラの音によく溶け込む、それは美しい唄なんだ。君にも聴かせてあげたい。

帝国暦97年11月23日
 親愛なるディ・シュアン。俺は今、ラウダナという小さな町に来ている。ファーマールの砂漠を越えてすぐのところにある、腕の良い職人たちの町だ。あちこちでつちのみの音が心地よく響いている。ここはきっと栄えるぞ。山や樹林に囲まれ、産業に必要な材料は何でも揃うそうだ。気候も穏やかだし、何より酒が美味い!
 宮廷に居た時には知らなかったことばかりだ。いつか君をここに連れてきたい。

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 アシュディンとハーヴィドの新しい旅路は来た道を戻るだけのものだ。ふたりはその軌跡を忠実になぞっていった。
 ラウダナ国領西の山林。木々の生い茂る小丘を幾つか越え、次第に緑が深くなっていく先に〈あの墓地〉はまだあった。
「おー、やっぱりひでぇな、この有り様」
 乱伐されたマホガニー樹林の跡地、死んだ切り株が散らばるさまはまさに墓地そのものだった。
「木の命と人の命が同じかどうか、俺には分からないけど、こうして見ると死んだらほとんど区別ないよな」と、アシュディンは眉尻を下げた。
 往路でもそうだったように、今回もハーヴィドの希望でここに立ち寄ったのだ。それは人の手で乱伐されるという非業の死を遂げたマホガニーたちを弔うためだった。
 アシュディンが辺りを見回して、葬舞ダアルを舞う場所を定めようとした時、
「アシュディン……葬舞はめだ」ハーヴィドが肩を震わせながらぽつりと呟いた。
「は? お前がやりたいって──お、おい!? お前、なに泣いてんだよ?」
 自律心ある大人が必死に前を見据えながら涙を流している。唐突に感極まった楽師にアシュディンは動揺を禁じえなかった。この惨状は予想できていたはずだ。
 ハーヴィドは「水の匂いだ、見ろ」と言って、荒れ地の中心を指差した。
「え!?」
 その光景は以前とまったく変わりないように見えたが、アシュディンは期待を煽られて中央へと駆け出した。するとひび割れた大地を歩くたびに湿った土が靴裏にこびりついた。よく見ると雑草がまばらに顔を出している。
「水だ! ハーヴィド、水だよ! 水が戻ってきている!!」アシュディンはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
 楽師は手を組んで跪き、祈りを捧げた。
《ひとつの山には一体の神がいると言うが、その神はこの樹林を見捨てなかった。周囲の樹木たちも必死でこの地を守ってくれたのだろう。自然の力とはなんと尊いのだ》

「来た甲斐があったな!」
 アシュディンが傍に戻ってくると、ハーヴィドは急に気恥ずかしくなって涙を拭った。そっぽ向いたままで「ああ、本当に」と答えた。
「葬舞なんて辛気臭いものは止めだ!止めだ!」
 アシュディンはまだ生き返る可能性のある樹林を向いて大きく腕を開いてみせた。そしてふと、首だけでハーヴィドの方を振り返った。
「なあ、代わりと言っちゃなんだけど、ここで舞楽ダアルの占断っていうのをやってみないか? 俺たちふたりで」
「アシュディン! それは駄目だ。また妙なものが見えたら──」ハーヴィドは提案を一蹴しようとしたが、舞師の朗らかな笑顔にその口を塞がれた。
「大丈夫だって。なんか軽〜いやつもあっただろう? あの日記出してくれよ」
 ハーヴィドは渋々、エル・ハーヴィドの日記を取り出した。ダアルで恐ろしい光景を見た当人が言うのだ、それなりの考えがあってのことだろうと信頼してのことだった。
 アシュディンは書の頁をめくりながら言った。
「俺さ、占断なんてまだ信じてないし、舞楽ダアルでそれができるとも思っていない。でもさ、もしそういう伝統があったのなら少しくらいは知りたいって思っているんだ──ほら、これなんてどうだ? 〈風向きを予見する舞楽ダアル〉。こんくらい占いじゃなくても簡単に出来そうだろ!」
 快活な声だった。ハーヴィドにはもう、彼が空元気からげんきなのか真に元気なのかの区別がよくついていた。今は紛れもなく後者だ。何か吹っ切れたのだろう。
「まったく、お前の様子がおかしくなったら即座に中止だぞ」
 ハーヴィドは荒れ地の手前の草むらに座すと、ヴィシラの布を剥いで構えた。楽器に使われている木と、ここで仮死状態にある木々は兄弟だ。その邂逅には感慨深いものがあった。

 アシュディンはハーヴィドと樹林跡地の間で〈風向きを予見する舞楽ダアル〉の始まりの構えをとった。
 ハーヴィドがもっとも低い弦から順にはじき、音階を駆け上がっていく。一音一音、流れ込む風との共鳴を確かめながら、一方でひとつの楽曲として成立させながら。至難の技のはずだ。長らく書を持ち歩いていた楽師はその理論をそらで言えるくらい熟読していたが、実践に移したのはこの日が初めてだ。
 音階は最も高いところまで達すると、次はものすごい速さで駆け下りていく。そして昇っては降りての速弾きが執拗に繰り返された。日頃の修練の甲斐あって楽師の指はまったくもつれない。
 アシュディンは音階の途中から動き始めていた。風に煽られ、風から逃げる、風に引かれて、風を抱きしめにいく。全ての所作を風との相対関係に置き換える。足捌き、体重移動、回旋、あらゆる動作に置き換える。付け焼き刃の舞は初めこそぎこちなかったが、彼はすぐに持ち前の芸術性を取り戻した。思えば〈凪に木立〉で不意の音に俊敏な反応を見せたアシュディンにとって、風を捉えることは決して難しくなかった。
 しかし森林に吹き込む風は気まぐれだ。アシュディンは神経を集中させ、それにきめ細やかな舞で応えた。微細な関節の動きから、情感豊かな大きな動きまで、多種多様な振りが展開された。その複雑難解な動きを統合するのはおよそ脳ごときには不可能で、霊魂の所業にすら思われた。そして難儀のさなかにありながらも、舞師は舞の本質を損なうことはなく、遠くから見れば悠然と舞っているようにしか見えなかった。
 楽師が風に傾向と法則を見出すと、彼の爪弾く音とアシュディンの舞が所々で揃い始めた。バラバラだったふたりの芸術が統合され、次第にひとつの舞楽ダアルになっていった。

 短い演舞が終わった。手探りで始めたふたりの最初の舞楽ダアル。おぞましい憑依トランスどころか大した恍惚も生み出されなかった。
 舞師は構えを解き、楽師は立ち上がった。それぞれが自信満々の顔を浮かべ、向かい合いながら歩み寄った。
「よし、あとは占断の〈一致〉だよな」
「ああ、〈一致〉は占断の必須条件だ」
 ふたりは力強く頷いた。
「「せーのっ」」

「東だ!」「西だ!」

 揃って声を上げた途端、北風がピューンと吹き込んできた。
 目をぱちくりさせる舞師と楽師。
「なんだよ〜、俺たち全然ダメじゃん!」
 互いの当てずっぽうを馬鹿にして笑うふたりを、山と木々が微笑ましく見守っていた。

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帝国暦98年2月11日
 愛するディ・シュアン。聞いてくれるか? 俺に旅の仲間ができた。そいつはなんと、荒くれの盗賊だ。あいつ、俺のヴィシラを奪おうと襲いかかってきやがった。二束三文にもならないことを教えたら「じゃあ聴かせろ」だと。しぶしぶ弾いてやったら、そいつなんだか楽しそうにしててさ。即席で太鼓を作ったやったんだ。そうしたら夢中になって叩いてるんだよ。盗賊がだぞ? おかしいよな。なんか好かれちまって付いてくるって言うんだ。盗みをしないことを条件に出したが、果たしていつまで持つかな? 続報を期待して待っていてくれ。

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── to be continued──

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