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28 乾杯の音は夜毎鳴る 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】
連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』です。
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28 乾杯の音は夜毎鳴る
アシュディンは楽師の気持ちを察していた。
《ハーヴィドは俺に気を遣って言わないけど、移動民族と楽器の始祖であるエル・ハーヴィドの運命を自分の使命として受け入れようとしている。もしかしたら出逢った時もファーマール帝国に向かっていたのかもしれない。本当は今すぐにでも行って確かめたいのだろう。俺だって真相は知りたい。でも俺はもうあそこには……》
後日、ハーヴィドは舞師にこう言ってきた。
「妙な話ばかりしてしまったが、忘れてくれていい。伝統は変わっていく方が自然だ。今の時代に生きる俺たちが、ましてや新しい道を模索しているお前が、わざわざ古びた伝統や怪しい呪術に固執することもあるまい」
ハーヴィドは一連の話に終止符を打とうとしていたのだ。しかしそれはアシュディンが見た映像、ハーヴィドが聴いてきた声を無かったものとして扱うことと同じだ。そんなことが果たして出来るのだろうか。
「ん〜あ〜、俺、自信ない! だってもう見ちまってるもん」
〈魅惑を放つ〉の控え室でアシュディンは頭を抱えながら独りごちていた。
「でも、団に戻れる自信はもっとないか……」
ふたたび、老師たちと恋人と姉の幻影が脳裏に浮かんできた。みな冷ややかな目をアシュディンに向け、まさに針の筵だった。
「クビよ」唐突に背後から声が飛んできた。
アシュディンが振り返った先で、店のオーナーであるダルワナールが腕を組んで仁王立ちをしている。この日は彼女らしい露出の多い赤いドレスを纏って。
「は?」青年が面を食らっていると、
「言ったでしょう? クビよ。腑抜けた踊りばかりして。あなたはもう〈魅惑を放つ〉のステージに立たなくていいわ」と吐き捨てるように言われた。
冗談には聞こえなかった。アシュディンは彼女に向き直ってきちんと正座した。
「3つの職場で3つの舞踊をテキトーに披露して、生活費を稼いでそれで満足? 大好きな相棒がいればそれでもういいのかしら?」
皮肉を交えた激励のはずだった。しかしアシュディンは真に受けてひどく落ち込んだ。《俺はここも追い出されるのか》と。
「ミーシャちゃんやマーサちゃんが踊る脇でよくもそんな中途半端なことができるわね」
ふたりとも他国から身ひとつでやってきた〈魅惑を放つ〉の踊り娘だ。ラウダナ国人気No.1の座を目指しているミーシャと、家族の病気のために自ら稼ぎ頭になっているマーサ。対照的なふたりは、仕事への情熱も真剣さも青年よりずっと勝っていた。
「それは職場をひとつに絞れってことか?」
アシュディンがそう言うと、ダルワナールはあからさまに不機嫌な顔になって声を張り上げた。
「違うわ。あなたの心意気に問題があると言っているの。そんなの、客にすぐ見透かされるわよ!」
現・人気No.1の踊り娘の的確な指摘には、ぐうの音も出ない。
口籠ってばかりのアシュディン。ダルワナールは出来の悪い弟を見るのと同じ目を向けてきた。
「何か置き忘れてきたものがあって、先に進めないんじゃないの?」
その問いかけに、アシュディンの意識が胸の奥にある暗い場所に向いた。
「ハーヴィドから聞いたけど、あんたにも姉さんがいるんですってね」
「あいつが? いったいなんて?」
「あんたがその姉さんに裏切られたって。でもハーヴィドは〈本当にそうなのか?〉って怪訝な顔をしていたわ」
《あいつが俺のことを人に喋るくらい悩んでいたなんて……》ハーヴィドが自身のプライベートを漏らしたことは、怒るべきというよりも意外性の方がずっと大きかった。
「あたしも、ハーヴィドの気持ちに同意するわ」
その言葉にカチンと来て、再度ふたりの間に火花が散った。
「それはあんたがハーヴィドのことを好きだからだろ? ふたりとも俺のことも姉さんのことも何も知らないくせに!」
「あんたのことは多少知ってるわよ! 挑発はすぐ真に受ける。仕事欲しさに騙される、そんで自分を陥れた人間にさえ優しくする。本当に馬鹿よね。心根を真っ直ぐにせずにはいられない、どうしようもない馬鹿」
〈あんた〉合戦はダルワナールの圧勝だ。アシュディンは途中から、けなされているのか褒められているのかも分からなくなった。
「もし狡猾で弟を陥れるような女が姉さんだったら、多分あんたみたいな馬鹿は育たないわよ。これは姉としての経験からね」
ああ、慰められてるんだなと、青年はその時になって理解した。
「ダルワナール、カースィムのこと好きか?」
「当たり前でしょ。あんたエルジヤド家の何を〈見て〉きたのよ? 馬鹿な男は好きよ。だってあたしも負けず劣らず馬鹿なんだもの。兄弟ならなおさらよね」
ダルワナールはアシュディンの肩をポンとはたいた。アシュディンへの初めての接触は、ハーヴィドへの艶かしいボディタッチとは全然違った。それが妙に可笑しくて、青年の胸に温かい気持ちが込み上げてきた。
「気持ちを整理するなら若いうちがいいわ。間違ってもあたしみたいに後回しにしちゃダメ。色々片が付いたら、もう一度この店の門を叩いてよね。またあたしが直々にオーディションしてあげるから」
口では散々厳しい事を言っておきながらも、優しい笑みを浮かべているダルワナール。
アシュディンはこの時ようやく気付いた。かつて団を追い出された時は、今みたいに人の顔をちゃんと〈見て〉いなかったことに。
*
「ハーヴィド。やっぱり俺、ラウダナ国を発つ。いちど帝国伝統舞踏団に戻って、ちゃんと〈けり〉をつけるよ! お前も一緒に来るよな?」
「無論だ。エル・ハーヴィドの旅は俺の代で終わらせる。それにお前とはまだ、転居先の〈けり〉もついてないのだからな」
*
旅立つ前に〈あれ〉をクリアしなくてはならなかった。ふたりは市民街の或る家へと向かった。
「おお、アシュディンさん、ハーヴィドさん、よくぞいらっしゃいました!」
快く迎え入れてくれたのはザインの叔父だ。ふたりは明日にもこの国を発つことを話し、宿の口利きをしてくれたことに礼を述べた。
その部屋の隅っこで、ザインが机に向かって手を動かしていた。どうやら木材を手に、穴を開けたり縁を削ったりしているようだ。
「あの子、木工にハマり出したんですよ。近くの工場に潜り込んで端材をもらったりして、見よう見まねでやってるんです」
叔父にした話はおそらくザインの耳にも届いているはずだ。アシュディンとハーヴィドは気まずさに耐えながら、ゆっくりと少年の背後に近づいていった。
「ザイン。俺たち明日、また旅に出るな」
アシュディンが言うと、ザインは振り向かずに「……わかった」とだけ答えた。
「絶対またここに帰ってくるから」
少年はまだ振り向かず、手も止めずに「……うん」とだけ返した。しょぼくれた声だ。
アシュディンと叔父が顔を見合わせ、ほとほと困った顔を浮かべていると、
「ザイン、これを」
ふとハーヴィドが少年の目の前に木の枝を差し出した。それはハーヴィドがマホガニーの乱伐に心を痛めていた時に、ザインが渡してくれた〈落ち枝〉だった。
「お前、まだそれ持っていたのかよ?」
アシュディンは目を見張った。あの日、ハーヴィドは西の砲兵たちの集団暴行を受け、瀕死の状態でテントまで帰ってきた。そのあいだ中も枝を手放していなかったのだ。
ザインが枝を受け取ると、ハーヴィドはマントのポケットから楽器の糸巻きを取り出してそれも手渡した。
「その枝でこのネジみたいな形のものを作ってほしい。うまくできなくても失敗してもかまわない。俺がお前の最初の客になろう」
ザインは左右の手に握られた枝と糸巻きとを交互に見た。
「枝が細いから難しいか? もっと良い木材を用意するか?」
「ううん、これでやる!」
ザインの声に張りが戻った。たったそれだけで場に明るさが帰ってきた。
それからアシュディンとハーヴィドはラウダナ国で世話になった人たちに御礼行脚をして、最後にふたりで〈魅惑を放つ〉の舞台に立った。
およそ二月前に彗星の如く現れたふたり。伝統を武器に観衆の常識に立ち向かった舞師、どんな舞踊にも超絶技巧で応えた楽師。店内に賑わう客たちの中にはもうファンの輪ができており、ふたりには惜しみない喝采が送られた。
ラウダナ国都で過ごす最後の夜は、いつも通りあちこちで乾杯の音が響いていた。
── to be continued──
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