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27 栄華と追放と愛と 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

27 栄華と追放と愛と


 アシュディンは翌日から、エル・ハーヴィドの日記を少しずつ読んでいった。
 占断については受け入れ難いことばかりだった。帝国暦93年の台風による帝都浸水、的中。95年の虫害による飢饉、的中。96年の地震による地盤沈下、的中。大規模な占断はその辺りだったが、小さなものも含めれば5年の間に100件近くの占断を的中させていた。
 第5代正統楽占師エル・ハーヴィドと第5代正統舞占師ディ・シュアンのつがいは、国家をことごとく危機から救い、帝国伝統舞楽団ダアル・ファーマールの矜持と地位を不動のものとしていった。
 しかしアシュディンが興味を惹かれたのはそこではなかった。彼に書のページをめくらせていったのは、ディ・シュアンとエル・ハーヴィドの美しく穏やかな日々の回想だ。おそらくはそういう関係だったのだろう。
〈聞いてくれディ・シュアン、今日俺は愛猫に手を噛みつかれた〉〈愛するディ・シュアン、今夜の食事は恐ろしくまずかったな〉〈ディ・シュアン、君に色目を使うあの給仕の女が気にくわない〉
 くだらなくも微笑ましい記録の羅列の内に、ことさら目を引いたものがあった。
〈なあ、ディ・シュアン。ふたりの香油を作らないか? 君と俺の好きな香りをブレンドするんだ。俺が選ぶのはもちろんマホガニーだ。君の好きな花や草木の香りを教えてほしい〉
 伝統の香油の始まりがこんなところにあったとは思いもよらなかった。アシュディンは自身の髪の匂いを嗅いで、他人ひとの恋愛を目の当たりにした時のこそばゆさを感じつつ、150年超の長い年月が経っても消えなかった愛の香りに沁々しみじみとした想いに浸った。

「ハーヴィド、続きを話してくれ」
 アシュディンの心の準備が整った。エル・ハーヴィドはなぜ団を追われなければならなかったのか、ディ・シュアンはなぜ伝統を塗変えたのか、そしてふたりはなぜ別々の道を歩むことになったのか。確かめないわけにはいかなくなった。
 ハーヴィドは運命の年のページを開いた。

──────────────

【エル・ハーヴィドの日記】

帝国暦97年8月3日
 愛するディ・シュアン。聞いてくれ。またあらぬ疑いをかけられていた。老師たちの陰口を聞いた。俺たちが〈口裏を合わせて〉いるのではないか、だと。馬鹿馬鹿しい! 占断がことごとく的中していることをどうやって説明するつもりなのだろうか。結局〈見えてない者たち〉に理解してもらうことなど無理な話なのだろうな。
 噂はそれだけではない。俺が君をたらし込んでいるのではないか、と。なぜこのような侮辱を受けなければならない。俺の想いは、俺たちの想いは清廉なはずだ。そうだろう? ディ・シュアン。

帝国暦97年9月16日
 愛するディ・シュアン。明日9月17日は〈星天陣の舞〉30年に一度の機会しかない大仕事だな。俺たちの代でこれを挙行できることを光栄に思う。きっと大丈夫だ、俺たちが外したことなど一度たりともないのだから。
 この占断を見事成功させて、老師たちや妙な噂を流す連中を黙らせてやりたい。二度とふざけた陰口を叩けぬように。俺たちの潔白も清廉も明日の舞楽ダアルにかかっている。いつも通り、よろしく頼むよ。


帝国暦97年9月18日
 なぜだ。どうして君は〈嘘〉をついた!? 俺には分かるんだ。君にも見えていたはずだろう? あのむごたらしい光景が。俺たちの占断が一致しないなど絶対にあり得ないんだ。俺にはどうしても君が嘘をついたとしか思えない。何も見えなかっただなんて、そんなはずは

帝国暦97年9月19日
 ひどいじゃないか。部屋に引きこもって発狂した〈フリ〉か!? 呆れて物も言えない。俺の知るディ・シュアンはこんな卑怯な男ではない。

帝国暦97年9月20日
 すまない、怒りに任せて君を貶めるようなことを書いてしまった。本当にすまない。

帝国暦97年9月21日
 ディ・シュアン。君はいったいどうしたというんだ? 部屋の扉を開けてくれ、頼む。

帝国暦97年9月22日
 親愛なるディ・シュアン。老師たちから聞いた。君が昏睡状態にあると。何かの奇病にでも侵されているのか? できることなら俺が代わってやりたい。

帝国暦97年9月23日
 親愛なるディ・シュアン。老師長にかけあってみたが、君に会わせてもらえなかった。君の傍に行きたい。

帝国暦97年9月25日
 親愛なるディ・シュアンはまだ目を覚まさない。

帝国暦97年9月27日
 ディ・シュアンはまだ目を覚まさない。俺までおかしくなってしまいそうだ。

帝国暦97年9月30日
 親愛なるディ・シュアン。聞いてくれ。俺は今日限りで第5代正統楽占師を降ろされることになった。前代未聞だ。老師たち曰く、俺は幻術使いの類だそうだ。笑っちゃうだろう? 正統の剥奪は俺が君に呪術をかけたことへの罰だとさ。舞楽ダアルの長い歴史でも、占断が幻術や呪術に陥ったことなど一度もないというのに。やっぱりあいつらは舞楽ダアルのことを何ひとつ解っちゃいなかった。
 もし君が目を覚ましたなら、君は俺の無実を証明してくれるだろうか?

帝国暦97年10月7日
 愛するディ・シュアン。俺は今日ここを出て行くことになった。除名だ。そればかりか国外追放だ。でもそんなこと、もはやどうでもいい。
 最後に君に会いたかった。ひと目でいいから君の顔が見たかった。
 それが叶わない今、君がいつか目を覚ましてまた元気に舞ってくれることだけを祈っている。占断などではなく、伝統も血も関係なく、君がただ踊りたい衝動に任せて、自らの意思で体を動かせる日が来ることを、これからもずっと祈り続ける。

 さようなら、シュアン、愛しい人。

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 アシュディンの瞳から溢れ出た涙が頬を濡らした。
「この日付を最後にエル・ハーヴィドは放浪の旅に出ることになる。その後もディ・シュアンへの想いは綴られ、次第に舞楽ダアルの真髄が記され始める。まるで美しい思い出を消させまいとする執念が筆を走らせているかのように」
 ハーヴィドは眉を顰めた。アシュディンは涙を拭って言った。
「このむごたらしい光景ってのは何だったんだろう? 〈星天陣の舞〉でエル・ハーヴィドには見えたのに、ディ・シュアンには見えなかった光景って」
「それは……この書の最後の頁に記されている」

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【エル・ハーヴィドの日記・最後のページ

 この書を手放すと決めたときから、どうしようもなく血が騒いで、悪あがきをしろと叫んでいる。しかし俺にはもう占断の力が微塵も残されていない。だから最後にもう一度だけ君に問いたい。〈エル〉の名の下に。
 第5代正統舞占師ディ・シュアンよ。君はやはり〈見えて〉いたのではないか? あの〈星天陣の舞〉の舞台で、俺が見たものと同じ惨劇が。半年後に迫っていた〈隕石襲来メテオ・ストライク〉が。
 結局あれは的中したのだろうか? 俺には確かめる術がなかった。誤断だったらどれだけ良いか。でもな、やはりどう考えても、俺たちが占断を外すことなどありえないんだ。

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「〈隕石襲来メテオ・ストライク〉!?」
 アシュディンは固唾を飲んだ。悲恋の余韻など一瞬で覚めた。
「信じられないだろう? お前、何か知らないか? 帝国暦98年に当たる年だ」
「98年……帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールでは帝国正史の座学もあるんだ。隕石の襲来なんて天変地異があったらさすがに覚えているはず。ん〜、でもその年号、何か引っかかるんだよな」
「どんな小さなことでもいい」
「……あっ!」
 アシュディンの脳裏に一枚の絵が過ぎった。
「あれだ。〈コメルト族の侵入〉帝国は族を撃退したけどそれで帝都が半壊したって。絵画の主題としても残されていたはず」
「……妙だな。この辺りの民族史は俺も散々調べてきたが、コメルト族という名は聞いたことがない」
「俺も不思議に思っていたんだ。帝国を半壊させるほどの民族が突如現れて、後に何の名も残さずに消滅しただなんて」
 ふたりは向かい合って互いの瞳の奥をじっと見据えた。何かが繋がりそうで繋がらないもどかしさを感じながら。
「正史が改竄かいざんされたのかもしれんな。〈隕石襲来〉はさすがに信じがたいが、何かが隠蔽された可能性は充分にある」とハーヴィド。
「手がかりは……ファーマール帝国と帝国伝統舞踏団に……か」
 アシュディンはそれ以上は言わなかった。楽師と舞師は互いの持つ情報をほとんど出し合っていた。パズルの完成には程遠い。
 舞楽ダアルの謎にこれ以上深く踏み込むためには、おそらくふたりはラウダナ国での生活を中座する必要があった。

 ハーヴィドはアシュディンの横に立つと、両肩を掴んで立ち上がらせた。
「もし良ければ話してくれないか? お前は先日の〈ダアル〉で何を見たんだ?」
 アシュディンは彼の眼差しから、問い詰められているのではなく、心配してくれているのがよく分かった。
「……分からない。そんなにはっきりと見えたわけじゃないんだ。ただ、空が震えて、大地が揺れ、山が崩れていた。映像はどれもほんの一瞬だけだ。ただ恐ろしくずっと耳に響いてきたのは、人々の悲鳴や呻き声」
 青年は身震いをした。思い出そうとするとまたその声に囚われてしまいそうだ。そうなる前にハーヴィドが彼の身をしっかりと抱きしめた。
「話してくれてありがとう。ずっと、怖かったのだろう?」
 頑強な胸と腕とにきつく締められ、ろくに動きもしない首で頷くアシュディン。
「俺もな、半年ほど前から何か嫌な予感がしていたんだ。夜になると星が騒いでいた」
《お前も何かを予感していたのか?》
 アシュディンは恐怖を抱えているのが自分だけではなかったことの安堵と、占断などという突拍子もないことを受け入れ始めている自分への不信感で、胸がいっぱいになった。
 そんな複雑な思いには気付かずに、楽師はもう少しばかり話を続けた。
「しかしその声が、お前と出逢う少し前からはたと聴こえなくなった。おそらくその頃には楽器ヴィシラの調子が狂っていたのだろう。これは俺の憶測だが、ヴィシラが直ったことで、お前の中に眠る血が動き出したのかもしれない」
 これからどうしようとか、どうしたいとかいう話には一切触れずに、ふたりの長い告白が終わった。身を寄せ合うくらいではどうしようもない不安がそれぞれに残った。


── to be continued──

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