![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78598797/rectangle_large_type_2_47dffefa880e263ba947618740ed1724.jpg?width=800)
25 天才舞師のアナグラム 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】
連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』です。
前話の振り返り、あらすじ、登場人物紹介、用語解説、などは 【読書ガイド】でご覧ください↓
25 天才舞師のアナグラム
〈不帰の輪を統べる葬舞〉では、アシュディンとハーヴィドがこれまで共演してきた中で、もっとも練磨された完成形に近い演舞が披露された。
しかしその終幕を知らせる楽器の音が鳴った瞬間、アシュディンは不意に頭を押さえながら体勢を崩し、舞台に両膝をついた。
「──!!」
咄嗟の機転で、彼は両腕を掲げ天を仰いで見せた。その所作のおかげで舞は自然な流れを保ったまま幕を閉じた。
そしてヴィシラが鳴り止むと、舞師は挨拶もなしにすっと退場していった。
弔問客らはみな葬舞が滞りなく遂行されたものと誤認した。しめやかな場で拍手こそなかったが、めいめいが心のうちで舞の功績を賞賛した。
もちろん楽師は舞師の奇を見逃さなかった。つい立ての裏に身を隠したアシュディンを追いかけて、忍び声で訊ねた。
「おい、大丈夫か? アシュディン?」
舞師は地べたに尻と手をつき、肩で息をしていた。ひどく顔色が悪い。ときおり身震いが彼を襲った。まるでそこだけが夜の砂漠の冷気に包まれているかのようだ。
「……ああ。ごめん、問題ない。舞は大丈夫だったよな?」舞師は声を振り絞った。
「ああ、完璧だったぞ」
その評価を聞いて、アシュディンは青白い顔で力なく笑って見せた。
事態の異常を察知したダルワナールもその場に駆けつけた。すると、見るからに体調のおかしいアシュディンだけでなく、傍に立つ楽師まで普通でないことに気付いた。
「ハーヴィド、あんたも顔が真っ青よ?」
舞師と楽師はその場でしばし休み、夜の仕事はダルワナール伝に他の者に頼んだ。そしてゆっくりと家路についた。
エルジヤド家・前当主の葬儀から1週間ほど経った頃、ハーヴィドの元にぽつぽつと苦情の声が寄せられるようになった。
ダルワナールからは「アシュディンが最近気が抜けていて、ダンスのキレがなくなっている」と。カースィムからは「完全に上の空で、化粧をしないままステージに出た日もあった」と。葬儀場からは「舞の予定を忘れてすっぽかしそうになった」と。酒場の客たちからも「あいつ最近元気ないなぁ」などと囁かれているようだった。
その度にハーヴィドは「なぜ俺に? 直接言えばいい」と返すのだが、皆がそろって言うには「到底、本人に言える雰囲気じゃない」とのことだ。
もちろんアシュディンの異変についてはハーヴィドもきちんと把握していた。舞踊を見なくとも、会話をせずとも、表情と顔色で一目瞭然だった。夜なんかはびっしょり汗をかいてうなされている。
ただ、彼が直接アシュディンの体調を問うことはどうしても憚られたのだ。そうなれば否が応でも〈互いの秘密〉に触れざるを得なくなるから。《話したら最後、もう元には戻れない》もし彼の体調を他の誰かが心配して見守ってくれるのならその方がずっとマシだと、まったくハーヴィドらしくない他力本願の果てに佇んでいた。
しかしある昼下がりに彼の元を訪れた人物の訴えには、耳を貸さないわけにはいかなかった。
「ヴィド、アッシュがへんだよ……」
ザインだ。その子の訴えは、アシュディンが年少者相手にも取り繕えずに心配までかけているとも取れた。また何の気兼ねも打算もなく付き合ってきた〈旅の弟〉にさえ心を閉ざしているとも取れた。
ハーヴィドにとっては非常に勇気の要ることだったが、その日の仕事を終えた宿の部屋で、ついに禁断の箱を開いた。
「アシュディン、少し話すか」
舞師の青年はそう言われると、黙ってハーヴィドの向かいに座った。問われる日が来ることを分かっていたのだ。
「お前〈トランス〉は知っているな?」
アシュディンが想定していた質問とは違った。しかしいずれ核心をつかれるのだろうと思い、青年は正直に頷いた。
「あれは〈神憑き〉などと恐れられているがそうではない。実際に彼らには不可解な映像が見え、不可解な声が聞こえている。その恐ろしさに理性が耐えきれず、精神が統合されなくなる、もしくは精神が統合されない〈ふり〉をする。それが〈トランス〉だ。当人も周囲の者もこの現象を説明する縁を持たない。だから神や悪魔のせいにして、呪術として片付けようとする」
アシュディンはそれを聞いて〈葡萄の冠〉で昂奮剤を盛られながら踊った日のことを思い出した。まるで全身を吊り糸で操られているかのようだった。それだけでなく、ないはずの色があちこちに見えていた。ほとんど薬が引き起こした脳の異常現象だったが、アシュディンの理性はそれを快楽のせいだと割り切ったのだ。人が抗えない何かを持ち出して身代わりにする、それはハーヴィドの言うトランスの理論と同じだった。
「先日の舞で、お前もしかして何かが〈見えた〉のではないか?」
「…………ああ」
アシュディンは長い溜めを置いてから呟くと、俯いたまま両手で頭を抱えた。
「そうか」
ハーヴィドは、ヴィシラの手前に置かれた荷物の山から木箱を取り出して、テーブルの上に置いた。鍵を回して開くと、中から古びた書物が顔を出した。その箱はアシュディンも一度目にして気になっていたものだが、今は〈見えた〉ものに囚われていてさほど関心を引かれなかった。
ハーヴィドは箱から書物を出してアシュディンの眼下に差し出した。
「ふたりでこの書を開く前に問いたい。お前は帝国伝統舞踏団の正統血統の継承者なのだろう?」
アシュディンはもはや隠す気もなく、すぐに頷いてそれを肯定した。
「何代目だ?」
「……第12代」
しばらく口にしていなかった序数だ。正統血統であることに違いはないが、正統から外され団を除名された彼にはもう必要ないものだった。
「〈お前の名前〉はおそらく〈祖先の名〉からとったものではないか?」
《なぜお前がそれを?》アシュディンは訝りながらも、問われた際にいつも答えていたものと同じ文言を並べ立てた。
「ああ、そうだよ。伝説の舞師の名にあやかって付けてもらった。舞の技法・所作から思想・哲学までの全てを完成させ、今の帝国伝統舞踏団の礎を築いたと言われている、第5代正統舞師──」
「ディ・シュアン」
アシュディンに先んじてその名を告げたハーヴィド。
「お、お前、どうしてその名前を!?」
意表を突かれて、アシュディンはこの日はじめて声を張った。
「この書は……この日記は、舞楽においてディ・シュアンと双璧をなした男、エル・ハーヴィドという名の天才楽師の残したものだ。帝国伝統舞踏団の第5代正統楽師を務めていた。そして、俺のいた移動民族の始祖でもあり、楽器の師資相承の開祖にあたる男だ」
アシュディンは俄に立ち上がった。
「お前の移動民族の祖先が帝国伝統舞踏団に?」
立ち尽くす青年に向けてハーヴィドは静かに話を続けた。
「そうだ。俺とお前の祖先はもともと同じ集団にいた。そしてこの書には日記だけでなく、およそ200年前の舞の真髄が記されている」
固唾を飲んで書を見下ろすアシュディン。へたりと椅子に腰を下ろした。
「この書に拠れば、舞は単なる冠婚葬祭の儀礼に留まるものではない。過去現在未来に至るまでの非業の死、不慮の死を遂げた亡者たちを慰めるための、鎮魂の舞踊なのだ」
鎮魂の舞踊、それは舞師にとってはさして驚くべき概念ではなかった。少なくとも〈三日月の儀〉を含むいくつかの舞には、そのような思想が浸透していた。
しかし続くハーヴィドの言葉が、アシュディンを震え上がらせた。
「そして、そればかりにも留まらない。舞はそのような数多の不幸を未然のうちに予測し、民族が生き永らえ、血を絶やさないために編み出された秘儀でもあった。迫り来る災禍、天変地異を〈見る〉ための占術だった」
「ま、まさか、そんな……」
「この日記は、第5代正統楽占師エル・ハーヴィドと第5代正統舞占師ディ・シュアンの時代を知る唯一の手がかり。かつての帝国伝統舞楽団と失われた舞楽が記された、最後の歴史書になる」
── to be continued──
*
↓マガジンはコチラ↓
ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!