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24 初舞台は異変のフラグ 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

24 初舞台は異変の旗印フラグ


「市街だ」「郊外だ」
 ふたつの口から同じタイミングで違う言葉が飛び出した。
 ぐぬぬと肩に力を込める青年。譲ってたまるかと睨みつける男。
「通勤に便利な市街だ。俺は舞踊の仕事を三件もはしごしてるんだ。ダアルに集中するためにも絶対に市街」舞師は力強く主張した。
人気ひとけの少ない郊外しかあるまい。自宅でも楽器ヴィシラの修練は必須だ。ご近所迷惑を考慮して絶対に郊外」楽師は頑なに意見を曲げない。
 向かい合って座り、互いに牽制し合うふたり。火花が散る真下にはラウダナ国都の地図が広げられていた。
「市街東のベーカリーは絶品だぞ? 並んでも買えない日だってある」とアシュディン。
「郊外南の牧場の近くなら、うまい牛乳を毎朝届けてもらえるぞ」とハーヴィド。
 この状態が小一時間も続いていた。ふたりは〈物件〉を探していたのだ。ラウダナ国に来て職も見つかり、生活も安定してきた。いつまでもザインの叔父に口利きしてもらった宿に居続けるわけにはいかないと、相談した結果だった。しかし──
「市街だ!」「郊外だ!」
 議論はどこまでも平行線を辿りそうだ。
 そのやり取りを少し離れた場所から冷ややかな目で眺めている女性がいた。腕組みをして不機嫌な顔を浮かべる彼女は、見かねてとうとう口を出した。
「あ〜ら、あんたたち、意見が食い違っているようね。いっそのこと別居しちゃえば?」
「「別居はしない!」」
 女の提案に声をぴったり揃えて否定したアシュディンとハーヴィド。その仲睦まじい様(異国の言葉でイチャイチャというらしい)に、女は苛立ちを禁じ得なかった。
「こいつら一発ずつぶん殴っていいかしら? いいわよね? 読者の皆さん
 硬く握った拳を震わせながら迫りくる女に、ふたりはまた声揃えて言った。
「「お前、誰だ!?」」
「ちょっと! あたしよ、ダルワナールよ。いくらなんでも見違えないでよね!」
 化粧が薄くて分かりにくかったが、目鼻立ちや輪郭は確かに彼女そのものだった。それにしても、日頃目にしていた姿とは全く違った。
「いや、でも、その格好……」アシュディンが差した指先を上下させた。
 ダルワナールが身に纏っているのは全身黒のドレスだ。襟の詰まったシンプルなデザインのもので、そこには彼女の代名詞とも言える赤色や露出はおろか、ラメやレースのひと欠片も見られなかった。
 彼女も《こんなのあたしらしくないわよね》と、アシュディンたちが気付かなかったのも無理はないといった様子でスカートをほんのちょっと摘んでは離した。
「これね、実はさ──」

 どうやらエルジヤド家の前当主、つまり三兄弟の父親が昨夜、息を引き取ったらしい。死因はアルコールによる肝硬変。以前アシュディンたちが邸宅を訪れた時にはすでに病床に臥しており、しばらくは最期の時を待つのみだったそうだ。
「で、兄弟で話し合ったんだけどさ、告別式であんた達に葬舞を披露してもらえないかって。3人の意見が一致したのよね、珍しく。どうにかお願いできないかしら?」
 ダルワナールは手を重ねて丁寧に頭を下げてきた。洗練された所作が兄によく似ていて、改めて貴族の娘なのだと感じられた。
「俺は別に構わないけど、あんた達の父親ってスファーディ教の信徒だったのか?」
 アシュディンが念を押したのは、貴族階級にはスファーディ教の信徒が少なかったからだ。葬舞ダアルはあくまで信徒に向けた儀礼文化の一形態であって、見せ物の類ではない。
 ダルワナールは髪を掻き上げながら答えた。
「母がね、信仰していたみたいなの。例の駆け落ちして家を捨てた母よ。まさかとは思ったんだけど、父の書斎から母の置いていったスファーディ教の聖典が出てきてさ。もう15年も前の話よ? そんなもの、どうして手元に残していたのかしらね……」
 彼女はまるで自身の15年間を悔いているかのように表情を翳らせた。
「俺たちに断る理由はない。精一杯務めよう」
 ハーヴィドは直ちに引き受ける意思を見せた。アシュディンもそれに続いて頷く。
「助かるわ。告別式は明日の11時、貴族街の斎場で待ってるから。もちろん謝礼はちゃんと用意するわ。引っ越し費用の足しにでもしなさいよ」
 ダルワナールはふたりに背を向けると「あんた達には世話になってばかりね」と言い残して立ち去った。

 ややあって「あいつがしおらしくしてるとなんか調子狂うよな」とアシュディンがぼやいた。
「まあそう言うな。いつもの強気に振る舞っている彼女が本物とは限らない」
 ハーヴィドはアシュディンより少しばかり多い人生経験をもとに答えた。
「ところで、もしかしてさ、明日はそいつの初舞台デビューになるんじゃないか?」
 アシュディンはそう言って、部屋の隅に立て掛けられた楽器ヴィシラを指差した。マホガニーの赤が〈待ってました〉と言わんばかりに煌めいた。
「ああ、そうだな」とハーヴィド。
 修繕が済んでからはまだ、ふたりでダアルの共演をしていなかった。酒場のステージでハーヴィドはヴィシラではない普通のリュートを使っていたからだ。アシュディンの言う通り、明日の葬儀が新しいヴィシラのお披露目の席ということになる。
「俺、なんかすげえ楽しみ……って、さすがに不謹慎か」
 アシュディンは途中で口を慎んだが、ハーヴィドはそれに穏やかに首を振って《不謹慎でもあるまい、それも俺たちの仕事だ》と、ヴィシラの初披露に向けて期待を滲ませた。


 ラウダナ国でも用いられているファーマール帝国暦の265年6月1日、故コルドイ・エルジヤド(伯爵)の告別式がしめやかに執り行われた。
 祭壇に最も近いところに立つ喪主・長男ユスリー。一列に並ぶ遺族たち。ユスリーの妻子、長女ダルワナールとその子息3人、そして次男カースィム。カースィムは真っ赤に目を腫らしており、元々のやつれ顔がさらに強調されていた。
 祭壇の中央には、故人が現役時代に画家に依頼して描いてもらった肖像画が置かれている。活力に溢れた表情を浮かべており、顔の造りはユスリーにそっくりだ。長年愛用してきた酒盃、元妻が残していったスファーディ教の聖典、他にもいくつかの思い出の品が飾られた。
 屋外に設けられた大斎場にはおよそ200名が訪れた。列をなし、めいめいが祭壇に向いて故人の冥福を祈った。祈祷を済ませて帰る者たちもいたが、多くはその場に残り、用意された椅子に腰を下ろした。座れなかった者たちは後方で立ち見をしてまで〈その時〉を待った。

 遺族らの並びとは逆側に置かれた〈つい立て〉の影から舞師アシュディンが現れ、ゆっくりと登壇した。上半身はいつもの舞踏衣を変形させたロングベスト一枚、下半身は白の緩やかな下衣で隠し、舞台中央で立ち止まって弔問客の方を向いた。
 つい立ての前側に楽師ハーヴィドが現れて坐した。手には真っ赤な楽器ヴィシラが握られている。元々閑静な貴族街の一隅、静謐な空間がどこまでも広がっていくようだった。
 楽師が調弦を始めた。
 その間、舞師は微動だにしなかった。ヴィシラの音がやけに近く聞こえる。斎場の静寂のせいか、修繕されて鳴りが良くなったせいか、それとも……神経の昂りのせいか?
 調弦からさほど間を置かず、ハーヴィドはダアルの演目〈不帰の輪を統べる葬舞〉の序奏を弾きはじめた。和音と共に奏でられる陰鬱なメロディ。

 アシュディンは両腕を下から真横へ広げ、肩の高さで前に持ってきた。指と指とを交互に絡めてゆるやかに組む。そうして二本の腕と胸の間に出来た輪を、倒した8の字を描くように回し始めた。次第に動きを大きくして肩まで使ってぶん回すと、手の位置によって形を変える輪は蠢いて見えた。まるで心臓が血液を飛ばすために収縮と弛緩を交互にするように。
 アシュディンは舞台手前に躍り出たかと思えば、祭壇のある奥へと引っ込み、手前に、奥にと俊敏な足捌きを見せた。その往復で生まれる遠近感がヴィシラの旋律と相まって昂奮を高めていく。舞踏衣から伸びるふたつの前裾がはためいて、ダアルにはあまり見ない類の躍動感が生まれた。

 つと組んでいた手が弾けた。離れていったふたつの腕はそれぞれが宙を自由に舞い、無関係なふたつの銀河になって惑星の軌道を描く。そこに舞師の自転と勝手気ままな公転までが加わり、なんとも華やかな舞が繰り広げられた。
 幾何学模様と出鱈目な手書き模様とが無作為に描かれた。秩序にも混沌にも属さない動き、どっちつかずの舞。永遠にねじれの位置にある銀河。弔問客らは期待と苛立ちに揉まれながら、いつしか恍惚に飲まれていった。
 ハーヴィドは旋律のパターンを次々と変えていった。陰鬱から優美へ、優美から神秘へ。新しいヴィシラはすぐに奏者の意図を汲み取って、それにふさわしい響きで応えた。楽師は《このヴィシラは完璧だ》と矜持を滾らせながら、弦の一本一本を丁寧に爪弾いていく。

 ──アシュディンは楽師の方に一切の視線を送らなかった。それは必ずしも悪いことではないが、以前〈三日月の儀〉を舞った時はしきりに彼の弾く様子をうかがっていたはずだ。〈不帰の輪を統べる葬舞〉にも、ふたりがタイミングを合わせる箇所が幾つもある。最低限の目視は必要なはずだった。
 ハーヴィドは視線を送るたびに目が合わず、不安を募らせていた。《……妙だな、大丈夫か?》
 そんな楽師の心配をよそに、舞師は完璧なタイミングで次々と舞を展開していった。音を汲み取り、同化し、先導すらしている。アシュディンの没入は凄まじく、もはや音に取り憑かれているようだった。楽師の奏で方次第では、どこまでも遠くへ、どこまでも深くへと行ってしまいそうだ。それこそ二度と戻ってこられないような所まで。
 アシュディンが見ていないのは楽師だけではなかった。弔問客も、遺族も、祭壇も舞台も、一切が彼の視界から消え去り、まるで異次元空間でも見据えているようだ。現実界では音の感覚だけを頼りに、悠々と舞いながら。
 ハーヴィドは恐ろしさすら感じ始めた。
《アシュディン、お前いったい〈何を見て〉舞っているんだ?》


── to be continued──

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