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燃え盛る嫉妬、そして慈悲

本投稿は若干語調が激しめです。
どうぞご注意下さいませ。

嫉妬深い方である。初めてのお付き合いは僕の嫉妬深さのせいで終わった。その他にも過去に1度だけ、お付き合いしていた方の浮気が発覚したことがあり、その時は燃え盛る嫉妬心に我を忘れた(お別れした)。noterの素晴らしい投稿を見れば100%賞賛、120%嫉妬である。笑
しかし齢とともに嫉妬心が薄らいできているのも事実で、その激しい感情もある程度冷静に受け止められるようになってきた。なぜだろうか?

以前までは、嫉妬は競争原理に結びついた、人間に本能的に備わっているような感情だと思っていた。「人より優位に立っていたい」とか「人より賞賛されていたい」などといった。しかし静かにその感情を見つめてみると、燃え盛る炎の中心には暗鬱とした弱い何かがありそうだ。濃い煙が薄らいでいき、少しばかりその輪郭が見えはじめた。

浮気をされた当時、僕は大爆発を起こした。噴火した僕の脳から口から、おびただしい量の後付ける言葉が噴き出してきた。「倫理」「道徳」「法律」「貞節」「不潔」「不浄」etc.
自分を守るための鎧のような言葉はたくさんあった。しかしどの言葉も自分に寄り添ってはくれなかった。解決してくれたのは時間だけであったと思う。
思うに嫉妬とは、激しい形象をとった、もっとも暗く弱々しい感情ではないだろうか? それはすなわち「無力感」といった類のもの。

恋愛における嫉妬の根底には、おそらくは恋人を100%満足させられない(と勘違いする)ことに対する自身の「無力感」があるのではないだろうか? そもそも100%相手を満足させられる人なんていないのだけど。。。
浮気や不倫では、それまで(例え非力であろうとも)無力ではないと思っていた自分が、他者の登場によって一挙に無力の方へと突き落とされる。そのイベントは自分の外で起こっていることだから、自身の力では如何ともし難い。そんな突如現れた危機から、卑小な自分を何とかして守る必要が出てくる。守る行為は、恋人を罵倒したり、恋人と浮気相手の倫理観を咎めたり、友人や法律を味方につけたり、といった形で現れる。また他人のブログや知恵袋を見て、仲間を探したりもする。
自分が「無力の奈落」へと落ちていくことだけは、何としてでも阻止しなくてはならない。

浮気や不倫をする人は、自身が想像している以上に残酷なことをしている。他者を「無力化」させることは、監禁や殺人と親しい関係の行為だと僕は思う(害する対象が、その人の〈部分〉という点で違いはあると思うが)。
時折、カフェやバーで嬉々として武勇伝を語る男がいる。また以前、不倫を僕に告白してきた既婚の女友達もいた。それらは全て、あたかも快楽殺人の独白のようである。非常に気色悪い。僕は彼らを「ブラインド・マーダラー(無自覚の殺人者)」と呼ぶ(ブラインドという語はかつて盲人に向けられた差別語である。ここでは敢えて使用するが、視覚障がい者への差別の意図は一切ない)。

いっときの衝動や欲望や、官能や愉悦を完全に否定はしない。ただ、それはやはり罪である。人定法ではなく、自然法的な意味合いで。今や民法に取り入れられて規制が緩和されているようだが、そのくらい真摯に罪と向き合っても良いのではないだろうか。
個人的には、誘惑に抗えない人には確かに独特な魅力があると思う。自分の感性はその事実を否定できない。罪を隠して墓場まで持ち込もうとする気概には、タナトスによって宿るエロスを感じざるを得ない。
しかし罪の意識なく情事のことをベラベラ話すような人間にエロスは感じない。カッコ悪い。彼らはただ我執の欲に溺れた、みすぼらしいだけの存在である(この「存在」の部分に、「罪人」「囚人」「畜生」「石ころ」などを置き換えてみようとしたが、いずれの対象にも失礼なように感じられた)。もし自分のパートナーがそんな人間はだったら、安心して捨ててしまえ。男も女も35億(故事)。

罵詈雑言が続き、読者にはきっと不快な思いをさせてしまったと思う。本当に書きたかったのは、人に「無力化」されないためにはどうしたら良いか、ということだ。嫉妬の噴煙に取り囲まれないためには、ということにも繋がる。
それはきっと簡単なことで、「無力に感じること」も、その逆に「自信があること」も、他者との関係においてのみ生じる〈まやかし〉である、ということに気付くことだ。そもそも〈力〉と呼ばれるものが、ある日・ある一瞬を境に現れたり消えたりするはずがない。〈無力感〉はあくまで〈感〉だ。
(脱線するが、人間は本来赤子が泣きじゃくる以上の〈力〉を持ち得ないのではないか、とさえ思うことがある)

昨日まで、仕事をして、家事をして、友人とお喋りして、歩いて食って寝ていた自分がいるなら、それがホンモノの自分の〈力〉だ。 その〈力〉さえ見失わなければ、ちゃんと生きていける。
そして間違っても、ブラインド・マーダラーと戦ったり、更生させようとして、本来の自分が培ってきた〈力〉を手放してはいけない。
マーダラーとの良い思い出もあるかもしれない。それは紛れもない事実である。しかしその人はおそらく、良い思い出と共に人を殺すことを厭わない、残酷な人間である。
一方で被害者には、人と良い思い出を培い、愛おしむ〈力〉がちゃんと備わっている。それはきっと慈悲の力だ。〈慈悲〉とは相手を肯定する力。〈慈(マイトリー)〉は深い友愛の心。〈悲(カルナー)〉は人と共に悲しみ、苦を取り除いてらあげたいという気持ち。浮気・不倫をする人とは真逆のエネルギーの持ち主なのだ。
慈悲の心さえあれば、マーダラーでない相手と、きっと真っ当な恋愛を楽しめるのだろう。

ブラインド・マーダラーという造語は、セーラーマーズの必殺技バーニング・マンダラーに音が酷似している。炎は嫉妬を喩えることもあれば、慈悲を象徴もする。いいよね、セーラーマーズの激しさ。

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