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8 黄金樹を抱く男 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

1〜7話

8 黄金樹を抱く男


 オアシスを発ち、丘をひとつ越えると、道の両脇が次第に緑を帯びていった。斑状に散らばる草原に泥沼、砂漠よりも雑然としたステップが広がる。陽射しはその手を緩めていた。ぐっと過ごしやすくなった地域を、アシュディンたちは北に向かって進んでいた。
 三日月の儀の翌朝、「少し寄り道をさせてほしい」と言い出したのはハーヴィドだ。緩やかな道程を北東に歩けば、二日ほどでラウダナの都に辿り着く予定だった。しかし一同は彼の願いをすんなり受け入れ、進路をわずかに修正した。これまでの旅の功績を思えばハーヴィドが信頼を置ける男であることは間違いなかったし、あまり自らを主張しない彼の言い出したことだから何かしら事情があるのだろうと察したのだった。
 アシュディンはその理由を聞くタイミングを逸していた。三日月の儀の後から、ふたりの間に流れる気まずさに気圧けおされている。不器用に間を取り持とうとして、ザインの、幼いながらも旅に奮闘するさまを褒め称えたり、その逆に小ささをからかったりしてみるが、ハーヴィドからは薄い反応しか得られなかった。

 アシュディンは前髪の触れる感触で、風がじっとりとしてきているのが分かった。草木が明らかに増え、土が靴裏にへばりつく。それらは気候帯の境目を予感させるものだ。
 いったいどこまで目的地から逸れた道を行くのか、アシュディンはいよいよ不安になって訊ねた。
「なあ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
 ハーヴィドはその問いかけに足を止め、ゆっくりと一帯を見渡した。そう大きくないタカ科と思しき鳥たちの影が空を横切って、樹木の密な方へと向かう瞬間だった。
「昼食にする」ハーヴィドはそう言って、駱駝らくだの背から荷物とザインを下ろした。そこはザインの膝下くらいまで草が茂っていて他の場所よりは涼しかったが、賢い少年はさらに快適な場所を求めて一本の広葉樹の下へと駆けて行った。三人はそこに腰を下ろした。
 オアシスで用意しておいた干し肉と、塩水で戻した豆がふるまわれた。素朴な食事だったが、汗をかいた身によく沁みた。

「俺たちがいま向かっているのはラウダナ国領、西の山林だ」
 ハーヴィドがようやく重い口を開いた。
「その一隅には湿地帯に接してラウダナ・マホガニーの樹林がある。俺はその木を求めてこの地にやって来た」
「村落で行商人と話してたやつか?」
「ああ、一昨年おととしはわざわざ樹林まで行かずとも手に入ったのだが」
 アシュディンはハーヴィドと行商人の会話を思い返した。ファーマール帝国が材木を買い占めているという話だ。そしてさらに古い記憶と照らし合わせて、符合する一点を見つけた。
「そういえばここ数年、宮廷の家具や建築がやけに華美になっていたけど、あれは全てマホガニーを使っていたんだな」
「赤みを帯びた肌と、木目の極めて美しい木材だ。黄金樹などと称されたりもする。かつ、軽くて丈夫で加工しやすい」
「きっと、それと関係あるんだよな?」
 アシュディンが楽師のすぐ傍に置かれた楽器を指差すと、彼は手に取って覆い布を剥がして見せた。
 赤みの強い褐色のさおが、アシュディンとザインの面前に置かれる。板の伸びる方向に走る木目が、角度を変えて見ることで僅かに揺らめいた。ふたりはその炉中の焔のような美しさに見惚れた。
 次にハーヴィドは楽器の側面を差し出しながら「棹が反り返っているのが分かるか?」と訊ねた。ふたりはしばし目を凝らして、瞬きを交えながら注意深く観察した。
「……いや、ぜんぜん。真っ直ぐに見える」アシュディンが首を傾げてザインの顔を窺うと、少年もまた首を横に振った。
「三日月の儀にはじいて分かった。こいつはそろそろ限界のようだ、残念ながら」ハーヴィドは棹を右肩にもたれさせ、愛おしそうに抱いた。その表情は穏やかで、間もなく到来する相棒の寿命を受け入れているようだ。
 アシュディンはまた記憶を辿りながら言う。
「宮廷楽師たちの使っていたものとは素材が違うんだな。あっちはもっと肌色っぽかった」
「ファーマールで使われているリュートの棹はおそらくメープルだな。秀でた素材だが、あれではこの楽器の持ち味は出せない」
 アシュディンは違和感を覚えた。なんだかハーヴィドが楽しそうだ。饒舌だし、いつものしかめっ面が少しも見られない。

 ハーヴィドの弁は尚も続けられた。
「マホガニーは今でこそ様々な用途で重宝され、各地で人の手により伐採されているが、元々はこの一帯の先住民たちの神木だった。彼らは樹林を聖地とし、さまざまな儀礼がそこで執り行われた。その際に場を音で彩ったのがこいつだ」
 楽器全体が見えるように差し出しながら「名をヴィシラという。ファーマールのリュートよりも弦の数は多く11本、棹は20センチ長い」と言って、全ての弦をひと掻きに鳴らした。深みのある柔らかい音が樹下の一同を包んだ。
「しかしなあ、神木をって作った楽器を儀礼で使うだなんて、本末転倒だな」とアシュディンが言った。
「ははは、良い勘をしているな。ヴィシラはマホガニーの〈倒木〉からしか作られなかったと伝えられている。あまりに古い話だから確かめようがないが」
 ザインが「とうぼく?」と訊ねると、ハーヴィドは機嫌良さそうにその意味を教えてやった。
 アシュディンがハーヴィドの笑い声を聞いたのは、おそらくこれが二度目だ。前のようなこらえ笑いではなく、大きく口を開けた笑い。気を許している証拠に思えて、アシュディンはにわかにこれを好機と捉えた。
「へぇ〜、この世にそんな楽器があったとは。でもどうして移動民族ロマのお前がその古楽器を使っていて、ダアルの曲まで弾けるんだよ? 三日月の儀での弾きぶり、どこかで見聞きしたようなレベルじゃなかったぞ」と、やや白々しく、気に掛かっていたことを交えながら訊ねた。
 するとハーヴィドはすぐさま、元のつれない態度に戻ってしまった。
「……俺はこの楽器の由来を話したが、お前の方はどうなんだ、アシュディン。ダアルの発祥について何も知らないのか?」
「え。いや、考えたこともなかったな。生まれた時から身近にあって当然だったから」
「そうか……」呟いて押し黙るハーヴィド。
 アシュディンは、せっかく縮まった距離がまた離れてしまうことを恐れ、声の調子を一層明るくした。
「まあ、つまり、これからマホガニーを伐りに行くってことだよな。協力するぜ。楽器作りとか面白そうだし」
「いや、マホガニーは伐らない。少々、嫌な予感がしているんだ」
 ハーヴィドは含みを持たせた言い方をして、すっと立ち上がった。
「樹林はもうすぐそこだ。駱駝とテントはここに置いて、歩いて向かおう」と、広げた荷を片付けながら、珍しく気が急いているような素振りを見せた。しかしアシュディンは気付いた。ハーヴィドが、いつもの断定的な口調ではなく、同意を促す柔らかな物言いになっていることに。

 小一時間ほど歩いて、樹木の立ち並ぶ小丘を越えると、緑が急に深くなる一帯へと入った。樹の密生する場所で過去に訪れた記憶があてになるはずもなく、ハーヴィドは精度のそれほど高くない羅針盤を頼りに、探り探り足を進めて行った。
 その先で、彼の予感は見事に的中してしまう。
「こ、これは!?」
 ハーヴィドは唇を噛んで身を戦慄わななかせた。
 草を掻き分け、三人の前に広がっていたのは、干上がってひび割れた灰色の大地だ。もはや何の木かも分からなくなった数多の切り株が散らばっている。どれもすっかり乾ききっており、新しい樹が伸びる気配はない。乱伐のために土の蒸散量が増え、根の深くまで死に絶え、大地はますます水を保持できなくなってしまった。そこはハーヴィドの言った「湿原のマホガニー樹林」とは程遠い、見るも無惨な姿だった。
「ひでえな」
 アシュディンが眉をひそめて言った。
 その横を通り過ぎて、ハーヴィドがひとり勝手に歩を進める。切り株のひとつひとつに黙祷を捧げるように、頭を垂れて、ゆっくりと、ゆっくりと。
 荒れ地の真ん中に、伐られることなく立ち枯れた一本のマホガニーがあった。まだ若木だったのか、周囲の切り株とくらべて幹はずっと細く、背丈はハーヴィドより少し高いくらいだ。しなびた木肌に手を置くと、生命の徴候がないことを悟る。
「すまない……」
 ハーヴィドはおもむろにその樹を抱きしめた。頬に鈍色にびいろの枝が交叉する。その抱擁は、長年連れ添った妻の遺体に別れを告げているかのような、深い深いものだった。
 ──どれほどの時間が経っただろうか。アシュディンは声をかけることも道を戻ることもできず、荒地の手前に留まっていた。
 するとザインが突然ハーヴィドへと駆け寄っていき、彼のマントを掴んで何度か引っ張った。彼が驚いて下を見やると、ザインは背中に隠していた何かを差し出してきた。それは、どこで拾ってきたのか、マホガニーの落ち枝だった。少年がたやすく振って遊べるくらいのささやかな枝だ。
 ハーヴィドは受け取って、逆の手でザインの頭を撫でてやった。砂嵐に耐えた少年を褒め称えたときとは趣の違う手つき、むしろ今はハーヴィドの方が頭を撫でられているような、不思議な光景だった。
 逞しい丈夫じょうふの瞳に、きらりと光るものが浮かんだ瞬間のこと──

 爆発音が轟き、森から鳥の群れが一斉に飛び立った。


── to be continued──

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