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エッセイ/中秋の名月まで ③ そらなる悲しみを虚空まで

明日は十五夜。平安時代に活躍した月の歌人、西行法師にちなんだエッセイも今回でラストになります。とはいえ①では上田秋成の『雨月物語』について、②は出家遁世について仏陀に絡めてお話したので、肝心の西行自身の和歌についてはあまり触れられていませんでした。今日こそは、有名作品についてちゃんと読解したいと思います。

ところで皆さん、悲しいときーってありますよね。個人差はあれど、悲しいという感情を経験したことのない人は少ないと思います。では「悲しい」のは誰か?……私?……ですよね、ふつう。

たとえば日本語の慣用表現に、「怒りに我を忘れる」とか「無我夢中」などの言い方があります。感情の対象にのめり込んだり溺れることで、主体が解体してしまう瞬間があるのです。烈しい感情に固執しているとき、私たちは感情の奴隷です。どんな意志も及ばず、心も体も乗っ取られてしまいます。

悲しいときー、あまりにその質量や数量が多いと、自分が悲しいということに気づけないこともあります。さらに感情の負荷がかかると、自分が自分でないような、現実が現実でないような心地、つまり医学的には離人感と言われるような症状が出てしまったりもします。主体の解体、主体の喪失に、戸惑い、混乱する。世界の空間や時間から切り離されるような体験。恐ろしいことです。

こういった悲しみに対する「失感情症」や「離人感」の表現に打ってつけな媒体はマンガだと思います。
「あ、あれ? 僕/私、どうして泣いてるんだろう」
とかいうセリフと共に、笑った顔をした目から大粒の涙を溢す、といった表現をする漫画作品はいくつか思い浮かべられます。
小説ではこのような表現が難しいです。小説において人称や視点が揺らぐと一気に分かりにくくなり、読者は混乱し、つまらなく感じてしまいます。「この話し手、急に訳わからんな」と白けてしまうんですね。

前置きが長くなりましたが、悲しみの極地には、失感情症、離人感といったものを伴うことがある、という趣旨でした。それではまず、西行の歌の中で1位2位を争う有名な作品を紹介したいと思います。

嘆けとて月やはものを思はする 
かこち顔なるわが涙かな

「嘆け」といって月が私にもの思いをさせるのだろうか……そうではないのに、私の涙は「月のせいだ」と恨めしそうな顔をして流れ落ちることよ(筆者超訳)

歌集『山家集』そして百人一首にも収録されるこの歌に登場する人物は3人です。擬人化された月、擬人化された涙、そして詠者本人(読者ともいえる)。しかし見てわかるとおり、詠者のことはそっちのけで月と涙が言い合ってます。人間の感情はおかまいなしです。

月「は? 言いがかりつけんなよ、あいつが勝手に泣いてるだけだろうが」
涙「いや、お前が責めたから泣いてるんだぞ、責任とれよ!」
月「知らねーし。俺のせいじゃないって分かってるだろ、な、お前は物分かり良いもんなぁ?(モラハラ)」
涙「きぃ〜、悔しいぃぃ(ハンカチを噛む)」

と、いった歌なんですね(情緒が台無し)

たとえば友人3人で遊んでいて、他2人が突然喧嘩を始めたとき……ああ、嫌だ嫌だ。席を外したくなる気まずさ。

冗談劇場は置いておいて、使われている技法は擬人法のみで、和歌に精通していない人でも理解しやすい句だと思います。それにしても三十一文字に込められた、これだけの複雑な感情に目を見張ります。この置いてけぼりの感じは、自己「疎外」とも言えるでしょうか。

この歌に歌われる、自分にはどうしようもないほどの悲しみと、今自分を取り巻いている寂寞感は、いくら本をめくって和歌を勉強したところで体得できるものではありません。人生において底の見えないような深い悲しみに身を浸し、自身の無力さをとことん味わった人こそ、このような歌が染み渡るのではないかと、私は思います。

歌集『山家集』よりもうひとつ。

ともすれば月澄む空にあくがるる
心のはてを知るよしもがな

ともすれば月の澄んだ空へとさまよい出て行く。心の行く着くところを知る方法があればよいのに。(筆者拙訳)

「あくがる」とは現代語「憧れる」の語源とされています。「あく(本来あるべき場所)」を「がる(離れる)」という複合から「さまよう」「浮かれ出る」の意味となり、今で言う「幽体離脱」のようなニュアンスが強い語とのことです。

「ともすれば」とあるので、西行は月の出る夜空に浮かび上がっていくような心地を幾度も味わっていたことになります。心が体を離れていくような感覚、現実感の喪失がこの歌を詠ませたのでしょう。

随筆家の白洲正子さんはこのように書かれています。

「そらになる心」が、「虚空の如くなる心」に開眼する、その間隙を埋めようとして、私は書いている(後略)

「そらになる心」とは上の空で定まらない心。一方で「虚空の如くなる心」は西行伝記の中で彼を評している言葉で、大意としては、何物にもとらわれない自由な境地です。「色即是空空即是色」という仏教思想がありますが、彼は「和歌の表現を通して」そのような境地に辿り着いたのだと書かれています。

私がときどき考え込むようなことを、白洲正子さんがずっと前に指摘されていました。

「そらになる心」から、「虚空の如くなる心」に到達するまでには、どれほどの歳月がかかったことだろう。この二つの「心」には雲泥の差があるが、まったく似ていないとも言い切れない

単なる夢想家・厭世家と、稀代の歌人西行法師を隔てるものは何でしょうか? 本質的にはさほど変わらないのかもしれません。しかし西行には研鑽を積んだ和歌表現があります。その技術と元々の性向とが円環のように縁を結んで、西行を西行たらしめるのだと、わたしは考えます。この境地になると表現と思想とはもはや切り離すことはできません。

しばしば文芸の「オリジナリティ」について考えます。奇をてらった内容、独りよがりな表現だけで、オリジナリティがあると信じ込みやすいのですが、西行の歌を詠んでいるとそれがいかに浅はかであるかを思い知ります。彼の和歌はどこを取っても「西行」です。しかしそれは、彼が人の目を引こうとしたり、和歌で名声を得ようとした結果ではないことは明らかです。

生まれついての性向、出家にまつわる出来事、和歌の修練、観察と内省の日々…… こういったありとあらゆる要素が縁起を結んで、稀代の歌人・西行の本が現代の我々の手元に残っているのでしょう。奇跡としか言いようがありません。しかし未来には「西行って古いよね」とか言われ、散逸して忘れ去られるかもしれません。それとて西行の本望なのでしょうが。

彼は23歳で俗世を飛び出して、72歳でその生涯を閉じました。彼自身も、彼が嫌がった世間も、彼と世界との関係も、数十年の間に少しずつ性質を変えていったはずです。

願わくは花の下にて春死なん
その如月の望月の頃

こう詠んだ晩期の西行は、僕には安らかな面差しをしていたようにしか想像できないのです。

明日はいよいよ中秋の名月です。天気予報では地域によってだいぶバラつきがあって、もしかしたら僕は月にありつけないかもしれません。しかし西行を識る人なら、朧月に感じ入ることもできるし、一面の曇り空に想像の月を浮かべることもできると思います。雨が降っていたとしても、そのうち雨上がりの月を堪能できることでしょう。雨月物語。それもまた、悪くないだろう(ぺこぱ)

3回にわたるエッセイをお読み下さり、ありがとうございました。西行についてもっと知りたい方のために、関連書籍のリンクを貼っておきます。


エッセイ/中秋の名月まで ① 雨月物語

エッセイ/中秋の名月まで ② 出家遁世

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