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23 エルジヤド家の家訓(BL) 【蜜月の章・最終回/葬舞師と星の声を聴く楽師】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

23 エルジヤド家の家訓


「頼むよ! 兄さん! お金出してよ!」
 ダルワナールの悲痛な叫びが廊下にまで響き渡っていた。アシュディンとハーヴィドは後ろめたさを感じながらも、その部屋の戸をゆっくりと開けた。
 なんとダルワナールが長兄に向いて土下座をしている。膝を揃えて、額をほとんど床に押しつけて、艶やかな黒髪は四方に乱れて浜に打ち上げられた藻のようになっていた。
 その前を、赤絨毯にゴツゴツと靴音を立てながら往復するユスリー。やがて頭上から冷たい声が降ってきた。
「貴族の血を怨み? 父を憎み? 兄を蔑み? 散々男を足蹴にしてきた女の土下座を見られるとはな……」
 その言葉を聞いてアシュディンは憤慨して飛びかかりそうになるが、ハーヴィドが抑えて何とか留まらせた。
「そんなお前が、弟のためにか……」
 靴音が止まった。見るとユスリーは天井を仰いで感傷的な顔を浮かべている。ダルワナールの想いが届いたのか、アシュディンたちは息を呑んだ。
 しかしそれはほんの束の間のことで、ユスリーはふたたび冷血漢の顔に戻って声を張った。
「賊に渡す金など鐚一文びたいちもんもない!」
 場にやるせない沈黙が流れた。

「……だが、私があいつを助けないなどとは、ひと言も言ってない」
 ダルワナールはその言葉にはっと顔を上げた。
「エルジヤドの家名を名乗るのならこんなことで動じるな。詐欺集団の処理はすでに裏社会組織マフィアに依頼済みだ。カースィムはじきに解放されるだろう」
 ユスリーは言い放つと、眼鏡の奥にある切長の目をさらに鋭く光らせた。
 ダルワナールはいちど上げた頭をゆっくりと垂れていき、さめざめと泣き出した。大粒の涙が赤絨毯にいっときの染みを落としていった。
 ユスリーは極めて洗練された所作で身を屈めて、妹の背に手を置いた。
「こんなこと警吏官のいる前で言えるわけなかろう。いいかげん立て、ダルワナール。お前が男に頭を下げている姿など気色悪くて見ていられん。〈ラウダナ国人気ナンバーワンの踊り娘〉とは聞いて呆れるぞ」
 決して優しいだけの言い方ではなかった。ユスリーはあくまで厳しい態度で妹弟への想いを述べていった。
「カースィムもカースィムだ。たばかられてあまつさえ身代金目的の人質にされるとは情けない。〈盗られたら盗り返す!〉あいつはエルジヤド家の家訓がまだ分かっていないようだな。私が直々に手本を見せてやる。詐欺師から搾り取るのが最も〈気持ちいい〉のだからな」
 名家の当主は眼鏡の奥にある瞳のさらに奥に、賊への復讐と愉悦の炎を燃やした。その恐ろしさは、詐欺や誘拐の代償としては割に合わないものを予感させるほどだった。
 美しい兄弟愛と逞しすぎる貴族魂をまざまざと見せつけられ、舞師と楽師は冷や汗を垂らしながらこんなことを話した。
「なあ、ハーヴィド」
「なんだ、アシュディン」
「エルジヤド家で一番ヤベェ奴って?」
「……長男だろうな」
「……だよな」

 裏社会組織マフィアの暗躍で詐欺師と賊らは全員逮捕に至り、カースィムは傷ひとつ負うことなく解放された。こうしてエルジヤド家次男誘拐事件は発生から3時間あまりであっけなく幕引きとなった。
 後にユスリー・エルジヤドの先導で司法取引が持ちかけられ、詐欺師たちはマホガニーに材質偽装をした樹木の原産地情報を洗いざらい白状させられた。
 そしてもう少し後の話にはなるが、その木々を用いてマホガニー偽装品ではなく高品質類似品としての商売を展開し〈ひと山〉当てた商社があった。もちろん、かのカースィム・エルジヤド社長の功績だ。



「出来たぞ!」
 宿の部屋に大声が響いた。珍しくも嬉々として声を上げたのはハーヴィド。その腕には楽器ヴィシラが大事そうに抱えられていた。剥げたり煤けたようになっていた場所はほとんど見当たらなくなり、新しく瑞々しい木目に置き換わっていた。
「ついに楽器が直ったんだな?」
 アシュディンは自分のことのように喜んで、その器体をあらゆる角度から舐めるように見た。
 輝くマホガニーの赤を眺めていると、これまでの旅の軌跡が思い返された。材木商隊の通る村落でふたりが出逢ってから、もう二ヶ月近く経っていた。
「なあ、ちょっとだけ、聴かせてくれよ!」
 手を合わせて頼み込む舞師に、ハーヴィドは誇らしげな顔を浮かべて楽器を構えた。
 息を整え、丁寧に腕を振り下ろすと、ヴィシラの構造上もっとも美しいと言われている和音が鳴って響いた。それは修繕前の楽器と大して変わらない音だったが、
「──いっ、つっ」
 アシュディンは鼓膜の奥まできりで突かれたような痛みを覚えて、思わず耳を押さえた。
「おい、室内なんだから加減しろよ!」
「ん? いや、そんな強くははじかなかったが」
 ハーヴィドは首を傾げてヴィシラを見下ろした。自身の耳にはそれほど大きくは響いてこなかった。さおを持ち上げて対面し、つぶさに観察する。
「まだ調整や慣らしが必要なのかもしれんな」
 楽師は《まあゆっくりやればいい》と思い、ヴィシラをすみの壁に立てかけた。
 振り返ると、青年がもじもじと何か言いたげな様子で佇んでいた。
「なあ、俺たち、やったんだよな。ちゃんと互いのやるべきことを達成したんだよな」
「ああ、そうだな」
「だから……その……」
 アシュディンは、もじもじというか、うずうずしていた。
「……キス、したい」
 ハーヴィドは〈やれやれ〉と言った表情を浮かべつつ、心中はまんざらでもなかった。
 ふたりは唇を重ね、なだれ込むように二度目の交わりを持った。

 ──裸で寝そべるふたり。興奮と陶酔から覚めてきた頃合い、ふと楽師の脳裏にいつかのアシュディンの声が響いた。
 〈帰りたい〉それはカースィムに昂奮剤を盛られた時に、うなされるように繰り返していた言葉だ。ハーヴィドは腕の中にいる青年に訊ねた。
「アシュディン、無粋を許せよ。今一度だけ聞くが、お前、本当にもう団のことや恋人のことはいいのか?」
 アシュディンは首を反ってハーヴィドの顔を見ようとしたが、視界には顎しか入ってこなくてすぐに諦めた。
「俺、ラウダナ国ここハーヴィドおまえが好きだ。だからもうどこにも帰らないよ」
 相手からは見えないと分かっていながら、アシュディンは心底から幸福を噛み締めている笑みで答えた。その表情をハーヴィドの胸に写すように顔をうずめた。
 楽師は青年の想いを抱擁で受け止めつつも、部屋の片隅に置かれているものが気になって仕方なかった。新しくなったヴィシラと古い木箱が。


蜜月の章・了

── to be continued──

〈次章予告〉
アシュディンの体の異変が?
ハーヴィドが隠し持つ木箱の中身は?
謎と運命の絡み合う新章に突入!

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