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脇目を振らずに【note書き初め】

2つの人生を生きている。
という感覚が朧げにあって、分断した2つの生は時折交わったりはするのだが、融合することはなくここまで続いてきている。
端的に言うと、人に求められて手を引かれる人生と、自分の足で歩んでいる人生の2つということになるだろう。
そういった感覚や経験は誰にも多少なりともあるものだと思う。ただ周囲を見回してみると、自身の2つの人生の背反はそこそこ甚だしい方なのではないか、と感じることが多い。

2つ目の人生(おそらく元々は1つ目だった人生)は「書く」ことと共にある。この人生を大切にしようと誓いを立てたのがおよそ8年前のこと。
ただ「成果の出ないことを続けていくことは馬鹿馬鹿しい」という1つ目の人生の訓戒が、この2つ目の人生に時限を設けさせた。これくらいまでに成果が出なければ止めよう、というありきたりなものだ。
そして、その刻限は来年に迫っている。

成功した自分をイメージしろと、時間と場所を変えながらいつも誰かが言っている。
ただ残念ながら1年後に成果を出している自分はなかなか想像できない。
そもそも成果とは何か?
文芸を志す者なら、賞受賞、デビュー、出版、雑誌掲載、などだろうか?
そういうものを目指したことがないわけではない(実際、詩集の自費出版もしているし)
しかし僕がこの8年で得た知見は、直接的にそれらを目指すのは「なんか」違うということだった。
(『バガヴァッドギーター』はそれを「明らかに」間違っていると断言するのだが、今は深掘りしないでおこう)

なぜなら、それは1つ目の人生と同様、人に求められていることを為していくレールに乗ることだからだ。
結局、自分の人生を生きたいという欲求も、人に求められることの侵襲に常に怯えて暮らしているのだ。
そこで「成果」の見直しが必要になってくる。
改めて成果とは何か?
それはおそらく自分で成長の道を打ち立て、自分の成長を自覚できることにあると思う。

以前よりも多く書けた、良く書けた、分かりやすく書けた、書いたものが知らなかった場所を照らすことができた……こういった経験こそが成果なのだろう。
成果をあまりにも簡潔に並べてしまったが、どれもなかなか難しいことだと思う。
少なくとも人に求められながら書いていると、達成し難いように感じる。

たとえばウイルス対策が医療と経済の併立させるのが困難だったことと同様に、2つの軸を満足させるのはたいへん難しいことなのだ。
どこまでも個人の活動なのだから「交わらないものは交わらないままで良い」のではないかと最近は思う。
まずは自分なりの成果を求めよう。
すべて結果論で良いから、まずは脇目を振らずに書こうと思う。

2つ目の人生は「書く」ことではなく、「脇目を振らずに書く」ことと共にある。

幸い、今連載している小説『花の矢をくれたひと』では、脇目を振らず自分の書きたいことを書けている。充実感があり回を重ねるごとに成長できているように思う。
読者ゼロでは困ってしまうが、ちゃんと読んでもらえているし、リアクションもあるのでとてもありがたいm(__)m
2022年はこの小説をしっかり完走することを第一の目標にして、その先にも続いている2つ目の人生をしっかりと歩んで行く。つまり、刻限延長10年パック追加である。

自分を満足させられる文芸作品が、結果的に読者を満足させられれば一番いい。最初の読者は自分自身とはよく言ったものだ。
ただ単なる自己満足に陥らないよう、読者のフィードバックも忘れずに。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!