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ルーティン-怠惰+5α

珍しく続いているジム通い。

数年前までは幽霊会員がデフォルトだったのに、今年は平均週3〜4回程度、継続して通えている。ホント珍しいことだ。笑
そうなるに至ったのは、たぶん自分でこんなルールを決めたからだと思う。

ひとつ、ゴキブリのように現れる。
ひとつ、20分以上は滞在しない。
ひとつ、ゴキブリのように去る。

20分と決めていると、ルーティンがままならないこともある。どんなに集中して頑張っても、「ルーティン+α」が関の山だ。
しかしそんな逼迫した時間設定のおかげで、集中力はだいぶ高まっている。
だらだらしてると、トレーナーさんや他の会員さんが目に入ってきて、つい比較したり、それで落ち込んだりしてしまう。
だからサッと現れて、サッとやって、サッと去る。
これぞゴキブリ戦法!
「20分だけ頑張れば良い」という気楽さもまた、ジムにちゃんと足を向かわせてくれる要因なのだ。

何かを頑張りたいとか、成長したいとかいう時、あれこれ考えずルーティンにすることが大切だ。
「ルーティン±α」の継続、これに勝るものはない。
ただ、どうしてだろう。
「ルーティン+3α」を求めてしまったり、
「ルーティン−怠惰+5α」が可能だなんて思ってしまうのは。

おそらくはこんな心理だ。
「自分はもっと頑張れる」と思って、+3αしてしまう(そして息が切れるw)
「自分はできる奴なんだ」と思いたくて、-怠惰しても+5αできると思い込んでしまう(+5αは訪れないw)
そこにはもしかしたら、「自分の体の声を聞いていない」という落とし穴があるのかもしれない。

こうして考えてみると、創作に携わる自分はドキッとする。ルーティンができているか……そして、、と。
たしかにジムトレに比べたら、精神的作業はよほど多く、ルーティンにし難い部分もある。
また発想や啓示次第で(www)+5αどころか+10αが得られる場合もなくはない。

ただ後から振り返れば、書けてないときは、殆どが(ルーティン−怠惰)<ゼロ、のときだ。
表現することの発火、精神作業の起点は、やはり身体的なルーティンからなのだろう。
紙に向かう、パソコンに向かう、本を開く、noteを開く……などなど。
当然といえば当然なのだが。


よく誰かとの比較をしないために「敵は自分自身だ」とか言われる。
しかしこの表現は好きじゃないし、たぶん正しくない。
「敵は自分の中にあり」も、まずまず。

「敵も味方も自分の中にあり」と僕は思う。
まず自分を味方につけなければ、何者とも戦えないじゃないか。
まずは味方の声を聞こう。
ルーティンはきっとそのためにある。

ジム通いの話に戻る。
たった20分で運動能力の維持やダイエットに果たして有効なのだろうか?
20分いるだけでおそらく15分も運動していないから、きっと一般的にも科学的にも不十分と評されてしまうだろう。
ただ僕の体は胸を張ってイエスと言う。それは、ただひたすら、経験的に。

最後に、自分に決めたルールをもうひとつ、

ネットの情報よりも、
自分の体の声を聞く。

地に足つけて頑張っていこう!

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!