9 西の無神論者たち 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】
連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』です。
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9 西の無神論者たち
突然の轟音にアシュディンは身を硬直させ、ザインは驚いてその場で尻餅をついた。あまりの大音量と森の反響で、ふたりにはその音がどこで鳴ったのか全く分からなかった。
突如、荒地の中央にいたハーヴィドが、森の一方へと駆け出した。
「おい! どこ行くんだよ!?」
アシュディンが大声で呼びかけるが、ハーヴィドは振り向きもせず、木々の生い茂る中へと姿を消した。
「ハーヴィド! はぐれない方がいいだろ! おいっ!」声は虚しくこだまするだけだった。
アシュディンはザインと合流すると、彼を背におぶって後を追いかけた。
常人より遥かに聴覚の発達したハーヴィドは、その爆発音の出所をただちに把握していた。林間を全速力で駆け抜ける。逃げ惑う小動物の群れと行き違い、己の進んでいる方角が正しいことを確認した。
次第に木がまばらになっていき、森林の終わりを予感したとき、行く先に人の声がするのを感じとった。ハーヴィドは駆ける速度を緩め、ひとつひとつ木の影を辿るようにしてその声の発信源へと近付いていった。
「いや〜、ほんと我が国の学者たちには恐れ入ったぜ」
「おい、学者じゃない〈物理学者〉だ。きちんと峻別しないと怒られるぞ」
「お前たち、無駄口を叩いてないで次の砲弾の準備をしろ」
「小隊長だって思ってますでしょ? この射程距離にこの精度、恐ろしいこと恐ろしいこと」
ハーヴィドが茂みの影から窺う先で、三人の男が輪を作って談笑していた。みな同じ軍服に身を包み、顔の空いた簡易的な兜を被っている。小隊長と呼ばれた男だけが、左腕に白と黒のシンプルな腕章を付けていた。
「あの紋章は……」ハーヴィドは見覚えのあるその腕章をつぶさに見ようと身を乗り出した。すると三人の奥にある大砲、木製の台座に据え置かれた凶々しく碧い大筒が目に飛び込んできた。
《先ほどの轟音はあれか》重厚な青銅砲の向く先を見やると、だいぶ遠いところに、幹の中ほどで上下に引き裂かれた樹木の姿を見取った。
遅れて辿り着いたアシュディン。ハーヴィドの後ろ姿を見つけると、彼のまるで密偵のような行動を察して、自らも忍び足で合流した。
「おい、何してるんだよ?」と声をひそめて問いかける。
ハーヴィドは唐突に話しかけられて背中をびくつかせた。振り返ってふたりの姿を一瞥すると「こっちに来い!」と言って、慌てて砲隊たちと距離を取った。
ハーヴィドはふたりをいったん引き離して、アシュディンだけに告げた。
「アシュディン、お前は今すぐザインを連れてテントに戻れ。いいな」
「は、何でだよ? いったい何が──」
「おそらく西の国の軍隊だ。何があってもザインの眼に触れさせるな」
「なっ、西の……」アシュディンはハーヴィドの思惑を悟ってすぐに口をつぐんだ。
そこにいる砲隊はザインの母の命を奪った連中か、もしくはその仲間たちだ。西の国とはラウダナより西、ファーマールより西に、その存在を囁かれている謎の国家。実は国名や首脳の名前さえも知られておらず、本当に国家かどうかも定かではない。彼らはたびたび隣国の領土に姿を現しては、勝手に最新兵器の訓練を行っていた。科学技術の発達した国、一方であらゆる信仰を捨て去った国と目されている。
「分かった。でもハーヴィド、お前も一緒に帰ろう。別にあいつらに用なんてないだろ?」
「いや、奴らには何としても聞き出さなきゃならないことがある」
ハーヴィドは頭に血をのぼらせ、目が血走っていた。アシュディンは樹林跡地での彼の振る舞いを思い返して、ただちに悟った。《止めても無駄だ》 しかし彼をひとり置き去りにすることや、ザインを危険に晒すことや、さまざまな方向に引かれる天秤の針が定まらず、なかなか行動に移せなかった。
「行け」見かねたハーヴィドが促すと、アシュディンは震える少年を持ち上げて肩に担いだ。何度かハーヴィドを振り返りながら、歯を食いしばってザインを連れ出した。
ハーヴィドはふたりの影が去っていくのを見届けてから、三人の砲兵の前に勇み立った。
「なんだ? お前」無冠の兵が言った。
「その火砲で木を撃ったのか」ハーヴィドが批難すると、もうひとりの兵がその言葉を別の意味にとって舞い上がった。
「あぁ、凄いでしょう、我が国の技術は。あんたもうちの軍に志願してみなよ。もしかしたらこれを撃つことが──」
「マホガニー樹林を潰したのもそいつか?」批難であることが伝わるよう、ハーヴィドは語気を強めた。
「は? 妙な言い掛かりをつけるなよ。樹林なんて知らねえよ」
「でもあの木はお前たちが撃ったのだろう?」
「へへ、的にはうってつけだったぜ。まさかあんた、木にも命が宿ってるとかいう、時代錯誤な思想の持ち主じゃないよな?」ふたりの砲兵は揃って薄ら笑いを浮かべた。
「無神論者めが。こんなことを続けたら砂漠が広がっていくばかりだ」
「ははは、隣国の領土が勝手に砂漠化してくれるなんて願ってもないことだ。その何とか樹林だっていつかは果てる運命だったのだろう。信仰があったところで、あちこちで乱伐されてるじゃないか。どのみち同じことよ」
ハーヴィドは愛する樹林を罵られ、目を釣り上げて兵らを威嚇した。
「なんだよ、やるのか?」
ふたりの兵が身構えると、これまで押し黙っていた腕章をつけた兵が静かに口を開いた。
「おい、お前たち、兵器は使うなよ。弾数が合わないだけで俺がうるさく言われるんだからな。まあ、その他なら、何をやっても構わないが……」小隊長はそう言って下卑た笑みを浮かべた。
突如、上空に黒い雲が現れて辺りを暗くした。ハーヴィドは顔にもっとも暗い陰を落として、ゆっくりと三人へと歩み寄っていった──
激しいスコールの中、アシュディンはザインをおぶって林道を駆け抜けた。重たい雨粒が間断なく身を打つ。烈風の吹き荒ぶ音が、木々に反射して化け物の唸り声と化す。雷鳴が轟くたびに、ザインはアシュディンの首にしがみ付いた。
雨が降り始めてものの数分で、道のあちこちに泥濘ができていた。罠に掛けられたかのように足を取られる。かと思えば、濡れた木の根で足を滑らす。何度も転びそうになりながら、ふたりは何とか森を抜け出せた。
しかし油断はできない。草原はひどく視界が悪かった。厚い雲に光を遮られ、雨を受け止めてくれる木々もない。行きは世界の果てまで見渡せそうな場所だったのに、これほどまで様変わりしてしまうとは思いもよらなかった。
「あった、あの樹だ!」幸運なことにその一帯は水捌けが良く、テントは無事だった。アシュディンは最後の力を振り絞って、そこへと滑り込んだ。
ずぶ濡れになったザインを布で包んで、ぐしゃぐしゃに拭いた。アシュディンは黙ってひたすら手を動かした。ほんの少しでも口を開こうものなら、泣き言が一斉に飛び出してしまいそうだった。
「ねえ、ヴィドは?」
布の下でザインがぼそりと呟く。少年はハーヴィドの名を続けて言うことが苦手で、ヴィドと呼んでいたのだ。
ザインはアシュディンの返答がないことでいっそう不安になり「ヴィドは?」と繰り返す。
アシュディンは声を震わせながら、
「……大丈夫だ、俺が迎えに行くことになってる。だからお前は安心して休んでろ」と答えて、濡れていない別の布で少年の体を覆い直した。
これほどまでに勇気を奮い立たせなくてはならない状況に遭遇したことはなかった。もしかしたらハーヴィドは帰ってこないかもしれない。そんな不安に襲われながら、ザインの身をそっと横たえ、矢の降る戦場のような外を窺った。
雨足が弱まった気がして、アシュディンはつと外に飛び出した。
《帰ってこい……帰ってこい……》
祈りは降雨に捉えられ、たやすく地面に叩き落とされた。それでも彼は熱にうなされるように祈り続けた。
──やがて草原の暗闇の先にひとつの影が浮かぶ。それがハーヴィドなのか、不安から立ち現れた幻影なのか、はたまた砲兵か獣畜か、アシュディンには見分けがつかなかった。
モノクロの世界に雨粒が無数の線を引くなか、影はよろめきながら近づいてくる。濡れたマントが重々しく翻った。マントが……
「ハーヴィド!」
アシュディンは歓喜した。その格好、背丈と肩幅から、ハーヴィドだと確信したのだ。我を忘れて駆け寄っていく。
しかし距離が縮まるごとに、白黒にしか見えてなかった場所が、本来のさまざまな色を現していく。アシュディンはハーヴィドのマントの前面が元の象牙色でなくなっていることに気づいた。辺縁が滲んでいたが、そこは確かに赤かった。斑に塗られた、どす黒い赤だった。
「ま、まさか、お前──」
アシュディンは、はたと足を止めた。俄にふたつの予想が脳の内で押し合った。ひとつは、義憤に駆られて砲兵たちを手にかけた。その屈強な肉体で容赦なく、返り血を浴びるくらい徹底的に。
その恐れから竦んでしまった足が、ハーヴィドに飛びつきたい気持ちに歯止めをかけた。
血塗れになった楽師、ハーヴィドは覚束ない足取りで歩み寄りながら、アシュディンの唖然とした表情に気づくと、彼の瞳の奥に泳ぐ〈戸惑い〉を厳しく睨みつけた。
「見くびるな、俺は、平和……義…者……だ」
もう数歩のところで、ハーヴィドは鮮やかな赤い血を吐いて倒れ込んだ。なおも口から滴る血汐は、もう片方の悪い予想が的中した証左だった。
「ハーヴィド!!」
ふたつの酷悪な予想のうち、どちらが増しだったのかは分からない。
── to be continued──
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