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エッセイ/中秋の名月まで ① 雨月物語

今年の「中秋の名月」は10月1日のようです。日本人が月を愛でる気持ちは『万葉集』から盛んに詠まれてきましたが、月が秋と結び付けられたのは平安後期頃だそうです。
平安後期から鎌倉初期に活躍した歌人に西行法師という方がいます。勅撰和歌集に照らし合わせると『千載集』『新古今集』の時代です。西行の詠んだ月の歌は、おおよそ400首あるそうです。そのうちの一首

願わくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

こちらが彼の辞世の歌です。月が満ち桜が満開となった旧暦2月15日、お釈迦様の入滅なさった日に私も死にたい。生涯をかけて愛でたもの囲まれて、信じたものに肖って人生を終えたいという願いが込められています。
実際に西行が亡くなったのは1190年の2月16日とされています。誤差範囲でほぼ願い通りと捉えることもできますし、もしかしたら最後の一日はお釈迦様に与えられた何かしらの余白なのかもしれません。

本記事から3回ほどに分けて、歌人にして僧侶でもある西行法師にまつわる作品やエピソードを、月にも絡めて紹介していきたいと思います。学術的にというよりは文学の鑑賞者として。つまり西行法師のファンの一人として綴っていきます。
10月1日に向けてこれから月が段々と満ちていきます。盛衰を繰り返す人の様々な感情が、月明かりに照らされ現前するようなイマージュが湧き上がってくるようです。僕も月光に身を委ねて……心の向くままに綴る随想にお付き合いいただければ幸いです。

のっけから話の焦点がズレるようですが、今回紹介する作品は上田秋成の『雨月物語』 江戸文学の傑作のひとつで、現代で言うところの怪異小説短編集です。発刊は1768年、つまり西行の没後およそ600年とかなり隔たりがあり、ジャンルも短歌と怪異物語と、関連がなさそうに思われます。実は『雨月物語』の序文に続く最初の話「白峯」の主人公が、西行法師なのです。

『雨月物語』巻一「白峯」は、西行法師が遊行生活の中で崇徳院の御陵(墓)を拝みに行き、そこで崇徳院の亡霊と出会す話です。二人が出会うきっかけとなったのは、西行が墓前で詠んだ和歌でした。供養鎮魂の歌に感じ入った崇徳院の霊は、返歌をしようと西行の前に姿を現すのです。

このように歌を通じて顔を合わせた二人。西行が高名な歌人であることは言わずもがなですが、崇徳院も和歌に精通した人物でした。勅撰和歌集『千載集』の一つ手前、『詞華集』の編纂を命じたのも崇徳院です。
百人一首には崇徳院と西行、両者の和歌が収録されています。崇徳院は77番、西行は86番。ここでは崇徳院のものだけ紹介しておきます。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

別れてもなお再会を信じてやまない恋の情熱を誓った歌です。激しさと力強さが滝川の勢いに重ねられています。
崇徳院の人生はなかなかに不遇なものでした。政治の実権を握ることもままならず、子の即位を画策するも邪魔をされ、讃岐国へ島流しにあいます。白峯とは讃岐国の山の名なのです。
百人一首の歌にある恋の激情は、このような悲劇的な人生と重ねられてしまうことも多いようです(僕は純粋に恋の歌として読んでいましたが……)

さて、情念深い崇徳院の亡霊と、出家遊行僧の西行と、いったいどんな会話が交わされたのでしょうか?
実は『雨月物語』「白峯」にもモデルとなる話があります。西行の歌集『山家集』や、平安末期の説話物語集『今昔物語』には、西行が崇徳院のことを心底慕っている様子が描かれています。
しかし『雨月物語』ではそう易々とはいきません。鬼才・上田秋成は物語序文において「無駄話を口から出放題に吐き出したら、あまりにも奇怪なものとなった」と記しており、「白峯」もその宣言通りの恐ろしい展開を迎えます。

歌を通じてせっかく巡り合った西行法師と崇徳院が、徹頭徹尾すれ違い、激しくぶつかり合う様は、ぜひ『雨月物語』を手に取ってご覧頂けたらと思います。 「白峯」だけでなく全ての物語において様々な人間模様や人間の情念が見事に結晶しており、ただの怪談の範疇に収まらない作品だと僕は感じます。
また作者の日本の風光明媚を称える描写、不穏な空気に満ちた御陵の表現、卓越した美文には多くの人が感じ入ることでしょう。

今回、講談社学術文庫の青木正次訳注の本を参照していますが、訳文も流麗で、注釈も丁寧なのでオススメです。

本作がなぜ『雨月物語』と名付けられたのか。序文には「雨は晴れながら月が雨を含んでおぼろな夜に書き上げた」とあり、訳者はこの表現が偶然の自然によりかかったものではなく、上田秋成の心の内に展開する景色であると指摘します。すなわち、ここから始まる『雨月物語』の朧ろな世界観、そこに満ちた怪しさを月が暗示しているのでしょう。「白峯」に現れる月の描写も同様です。

月は出しかと、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、
(月はすでに出てはいたけれども、茂った木々は月の光をもらしてよこさないので、文目もしれぬ真の闇に心おしひしがれて)

山中の闇が月の存在によって逆に際限なく深まっていく様子が見事に表されています。そしてこの直後に、崇徳院の亡霊の声が西行の耳に響くのです。このような妖しさ、恐ろしさを感じられるのは、文字文学ならではの技だと思います。
まだ暑い時間帯もある日頃(今日はだいぶ涼しいですが……)、『雨月物語』でゾッとしてみてはいかがでしょうか?

お読みくださりありがとうございました。
次回もまた、西行法師にまつわるエッセイでお会いしましょう。


【参考文献】


#エッセイ #和歌 #百人一首 #日本文学 #西行

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