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高校留学振り返り日記 intro/編入試験

Introduction

最近ふとした事から、高校時代のことを思い出した。

私は、高校1年の10月までは中学受験で入った学校にエスカレーター方式で通ったが、そこから父の仕事の影響でマレーシアのインターナショナルスクールに通い始めた。

インターナショナルスクールとは面白いもので、同じ学校に通い続ける人は片手で数えられる程度だ。生徒の多くは、両親の仕事に連れ添って国から国へ引っ越しをし、その度にインターナショナルスクールからインターナショナルスクールへ転校するからだ。だから12年間その学校に通い続けた生徒は、卒業する年のイヤーブック(卒アルのようなもの)に1年生の時の写真と12年生の時の写真が並んで掲載されて、卒業式でも前に出てお祝いされたりなんかする。

そんな、「ずっと生徒が通い続けることが珍しい学校」の中でも、やっぱり3年間しか通わない学生は少数派である。だから私も、他の子と比べると通った期間は短いし、思い出も少ない。それでも、たった3年でも、今思い出してもあの3年間は濃密な時間だったと思う。だから、そんな日々を忘れない為にも、今考えれば色々可笑しかったあの高校生活を振り返って記録していきたい。

今回は編入試験について。

編入試験

私が通った学校は編入試験が必要で、当時通っていた学校を数日間休んで試験を受けに両親とマレーシアまで行った。確か試験は到着日の次の日で、当日は計算機の持ち込みが許可されていたので、関数電卓と筆箱だけ持って行った。普通の日本の学校にそれまで通っていた私は「計算機持ち込みOK」に既に相当カルチャーショックを受けていた。更に、あまりにも暗算や筆算に慣れているものだから、試験中もほとんど使わなかった気がする。というか、計算機を使った方が時間が掛かる、と思っていた笑

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当たり前だけど英語しか書かれていないテストを前にして、一瞬怯みつつも、事前に少し覚えていた単語から問題文を推測して、一応全部解き切った。有名な話だけど、日本の学校の方がアメリカの学校に比べて数学授業の進むスピードが早いから、比較的簡単だった気がする。

「次は英語のテストよ」と言われて案内された部屋は、普段はESL(English as a Second Language)の生徒が授業を受けているクラス。担当の先生に紹介されて、自分も挨拶をしようとするが、その先生が発した"Nice to meet you, 〇〇". に動揺しまくった。それまで私は、インターナショナルスクールとは言えど、アメリカ式のシステムを取り入れていると聞いていたので、ESLの先生はアメリカ英語を話すものだと思い込んでいた。だけどその先生の"Nice to meet you, ◯◯". には少しアクセントが混ざっていたのだ。

実は、後から考えるとその先生のアクセントはほぼ無いと言える程のもので、むしろ聴きやすい英語だった。だけどその時はスピーキングテストというだけで不安だったのに、そこに(若干とは言え)アクセントというハードルが加わって、正直「終わった」と思った笑 

でも「終わった」と思ったところで、試験監督が変わる訳でも、先生のアクセントが消える訳でもない。だからもうやるっきゃないと思って、とにかく言われた質問をよく聞いて的確に答えることだけに集中してなんとか試験を終えた。

試験結果は1週間後にメールでお知らせだったので、試験後は家に帰って長めの昼寝を取った。

日本に帰国して数日経ってから、父から「おめでとう。合格したってよ」と教えてもらい、とても嬉しかった気がする。そしてここから、私の濃密な3年間が始まった。

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