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神様からのメッセージ「景色の見え方は、心の広さだよ。」というお話。

例えばね、いつもの通い慣れた神社に来るでしょ。
そして、周りを見渡すと、色んな景色が映るでしょ?

例えば、僕の近くの神社で言うと・・・
沢山、木が生えている。岩があるでしょ。鳥居は白色。この鳥居の上には、石がいくつかおいてある。その横には、狛犬さんがいる。木々には、沢山の枝が伸びて、空が見えないくらい茂っている。

こういう、色んな景色が目に映る。
そういう人は、それだけ心が広いということだよ。
色んな景色が目に移らないってことは、心が狭いということだよ。

そうやって、神様がおっしゃいます。

例えば、皆さん、会社に出勤しますよね。

その時、毎日、同じ道のりでも、目線が違ったら、
例えば、道端に生えていた草が、昨日よりも少し背が高くなっているな、とか、花が咲いている、とか、「あそこのお店、今日はめずらしく閉まっているわ」とか、「あの店の店員さんは、今日はいつもと違う店員さんだ」とか。

そうやって、色んな景色を見ながら、街を歩いている人って、やっぱり、それだけ、心が広いってことですね。

心が広いから、色んな景色を見ることができる、ということですね。

逆に、心が狭い人は、毎日同じ景色を目に映しながらも、何の氣付きもなく、いつも同じ道のりを歩いて、会社に出勤している、ということですよね。

だから、神様は、色んな景色を見ながら、街を歩いたり、山に登ったり、海に行ったり、公園に遊びに行ったり、デートを楽しんだり、家族と旅行を楽しんだりと、いろんな景色を見ながら、日々を過ごしてくださいって。

そうやって、意識しながら、色んな景色を見るでしょ。
そしたらね、心はどんどんどんどんと広くなっていきますよ。

だから、そういうこともぜひ、やってください、って。

そうやって、心を広く、豊かにしてくださいって。

これが、今回、神様からいただいた、スピリチュアルメッセージです。


いかがでしたか?これを読んで、皆さん、どう感じましたか?

毎日の職場までの道のり。何も氣付くことなく、ただ真っ直ぐ、前を向いて、職場までの道のりを歩いている。そういう方もいらっしゃると思います。

「昨日、道端に咲いていた花。つぼみだったけど、今日、見たら、花が開いていた。」
「夏の間は、青々としていた猫じゃらし。最近寒くなってきたから、茶色に色づいている。」
「学校から見える景色。あのマンションもそろそろ完成間近だな。」
「あそこの木。いつも鳥がとまっているけども、今日は見なかったな。どうしたのかな。」

こうやって、いつも見る景色の変化。ちゃんと氣付いている方、いらっしゃると思います。

で、これ、神様がおっしゃっていたのですが、色んなものが目に飛び込んでくる方。
やっぱり、こういう方っていうのは、心が広い。そして、心にゆとりがあるから、自然と、いろんなものに目が行くのです。

「今日は、こういう雲が流れている。」。
空の色とか、街並み、道端。
いろんなものに自然と目が行くんです。

そして、そこでのいろいろな変化に氣付くのです。

これは、心にゆとりがあり、心が広い人。


逆に、そういえば、長いこと、空なんて見上げていない。星空、見上げてない。道端に花が咲いているとか、気にもしたことがない。

そういう方というのは、ゆとりがないから、心が狭くなっている。
だからね、いろんなものに、目が行かないんです。視界が狭くなっているということです。

だからね、今回のお話を読んで、「アッ」と思った方。

「あ、本当だ。確かに、心にゆとりがない。だから、そういえば、昔はいろんなところに気付いて見ていたと思う。でも最近は空すら見上げていない。」。

そうやって氣付いた方に対して、神様がアドバイスをして頂いたのですが、

「意識して、いろんなものを見るようにして欲しい」

とおっしゃっています。

それをすることによって、あなたの心は自然と広くなっていきますから。

わざわざ、何かに取り組んで、心を広くしていくようなことは、しなくて良い。
ただ、毎日の職場までの道のり。そこで見える、いろんな景色を見る。空を眺めたり、地面を見たり、街並みを見たり、人間模様を見たり。

いろんなものを見るようにしたら、自然と心って、広くなっていくんです。

「あそこの店、今日は〇曜日だから、店長さんのような男性の店員さんが立っている。あ、今日は△曜日だから、若い女性の店員さんが立っている。」

など、氣付けるようになっていきます。

雑草だって、昨日よりも今日の方が身長が伸びているなとか、氣付けるようになってきます。

そうやって、「意識して」見るようになったら、自然と心が広くなっていくから、神様は
「是非、意識して、いろんなものを見るようにしていってください」
とおっしゃっていました。


僕は、もちろん、これを毎日、実践していますが、

小鳥のさえずりや、道端に咲く花の逞しい美しさ、さまざまな木のカタチ、青空に浮かぶ雲の芸術作品に、心が弾むようになり、この地球に生まれたことに幸せな気持ちを実感できています。

この地球を「天国のようだ」という視点で、ミカタを変えるだけで、こんなにも世界が違って視えるんだということに、日々氣付かされます。

ぜひ、ハッと思われた方は、明日から実践してみて下さいね。


ところで、最初に、僕は、「鳥居の上に石が置いてある」ということを言いました。

これ、皆さん、分かりますかね?
あなたの近くの鳥居でも、石が乗っていませんか?

誰かが、高い鳥居の上に向かって、石を投げながら乗せようとしたりしていませんか?

これを、神様に聞いてみました。
そしたら、神様は、こうおっしゃいました。

「何か、楽しそうなことをやっているな~」と。

それがお答えでした。
そういうふうに感じて、神様は見ているんだそうです。

これは、石を鳥居に乗っけるでしょ?で、鳥居の上に石が上手いこと、乗っかりました。「よし!これで願い事が叶うぜぃ!」って、人間は思うでしょ?

でもね、そういうことじゃないらしいです。神様からしてみたら。

神様は、「それは全く関係ないよ」っておっしゃっていました。


石が乗っかったら、神様が、「お!すごいじゃんか!じゃあ、願いを叶えてあげよう・・・」ってそういうことにはならないようです(笑)

「何か、楽しそうにやっているな~」って。そういうふうに神様は見ているんですって。

で、神様が続けておっしゃっていたのが、

神様:「たぶんね。たぶん、昔の人が、願掛けで、石を鳥居の上に向かって投げて、上手いこと、石が乗っかった。そしたら、自分の願い事が叶うとか、そうやって、『願掛け』の意味でやったんじゃないの~?」
って。

もしかすると、日本は広いので、これをやることで、願いが叶う、ということを大々的に書いてアピールされている神社さんもあるかもしれません。

でも、少なくとも、そういうことが書かれていない、ごく一般的な神社に至っては、まったくそういう意味はないですよ、ってことだそうです♪


神様は、こういうことをおっしゃっていましたので、あれは、願い事が叶うとかそういうのではないですよ、ということを豆知識として知っておいてくださいね。

今回は以上です。最後までお読み頂き、ありがとうございました♪

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