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やりたいことを薄めないと決めた

しばらく連絡を取っていなかった友達と久しぶりに電話をした。
お互いの近況を報告し合い、あっという間に2年程の距離を埋めた後は、自然と仕事や将来の話になった。ちょうどそういう年齢に差し掛かっているからだろうか、最近誰とでもそんな話をしている気がする。
友達の何人かは、社会人3年目の終わりを待たずに転職した。私も同じころに今の仕事に転職している。
社会人になる前は、まさか自分がそんな短期間で会社を辞めるなんて想像もしなかった。

就活生になって進路を考えた時、居心地の良い空間を作るための家具や雑貨の販売に携わりたい、と思った。建築関係の仕事をしている父の影響もあって小さい頃から興味があり、建築とは少し違うけど、誰かの安心できる場所を作るその過程に関われたら素敵だと思った。憧れと期待だらけの就活生だった。それからインテリア業界の企業をいくつも受けたが、就活を始めてから3ヶ月が経っても内定は1社ももらえなかった。

大学3年になった頃から、早い人はもっと前から志望業界や企業について調べ、面接の練習をする。遠くの試験会場まで朝早くから足を運び、怖い顔の大人達の前で頭をフル回転させ、やっと手に入れる内定の数や企業の知名度が大学4年間の成績表のように感じた。
それが自分の価値のすべてのような感覚すらあった気がする。
一緒に頑張っていた友達が先に内定を取った時、有名企業の最終面接まで進んだと聞いた時、自分が志望している企業でもないのに劣等感を感じて、このまま1社も内定がもらえなかったらと焦った。
何とか安心したくて、後付けの志望動機で応募先を広げて、そこかしこでテンプレートのように喋り続けた。けれど、とにかく内定が欲しい一心で口にした言葉に憧れや期待は無くて、「御社の企業理念に共感し…」とか、「新しい価値を提供して…」とか、やりたいことを薄めきって、原型もわからなくなった志望動機で何とか内定をもらった。

そして気付いたら、ITベンチャーのプログラマーになっていた。
就職した会社は自由度が高かったし、同年代の社員が多く、プライベートで遊ぶ仲間もたくさんできた。それなりに評価もしてもらえたし、給料も良かった。
だけど働き初めてしばらく経った頃、このままこの仕事を続けたら数年後の自分はどうなっているのだろうかと考えるようになった。本当にやりたかったことって何だっけ。このまま歳を取っていいんだっけ。それって楽しいんだっけ。いくら考えても、どうしても仕事やスキルアップに興味が持てなかった。

薄めた動機で手にした内定は、興味もやりがいもモチベーションもすべてが一緒に薄まっていた。
当たり前の事なのに、今頃になってやっとその事実に気付いている。
就活のあの独特の空気の中で、その時の自分にできる最大限の努力をしていたのだから、間違っていたとは思わない。
だけど、もし5年前の自分に伝えられるのなら、内定がもらえない焦りとか、必要とされていない孤独感とか、そういうものに振り回されないで、と言いたい。
毎日興味の無いことを右から左へ適当に受け流して、大切な時間をお金に換えるような日々は想像以上に苦痛だ。もちろんそれが必要な時もあるけど、たぶん今じゃないよ、と。

私たちはあと40年は働かなくてはいけない。
結局のところ、はたらくとは何なのか。
お金を稼ぐこと、社会貢献、生きがいという人もいる。
私にとってはたらくとは何なのか、正直まだよく分からない。
きっと言葉にできるほどの経験が無いのだ。
だけどこれから先はできる限り面白そうなこと、ワクワクする仕事を選んでいきたい。早すぎる時代の流れや忌々しいウイルスに翻弄されて、また同じように焦るかもしれないけど(もう既につまらない日常を何とか変えなければと焦っているのかもしれない)また5年後に振り返った時、今よりもう少し人生を面白がっていられたらはたらくって悪くない。

#はたらくってなんだろう
#エッセイ #日記 #日常 #就活 #仕事 #れもんさわあ

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