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考えをラッピングする重要性に気づく

どうもレモンタイム🍋です。

最近ヨルシカを知り、過去のアルバムを追っています。コンセプチュアルに構成された〜という説明文を読んで、素敵な曲を聴きハッとしたことが。


なるほど、何か伝えたいことを相手に届けるときに生のまま渡すのは失礼なのかもしれない。ラッピングしてない贈り物を考えれば、幾ばくかの戸惑いと共に受け取る相手の顔が想像できる。

だから詩や歌、造形、映像なんかの芸術の形で届けるのか。それもラッピングなんだ。デモや声明の生々しさは、言葉がそれらより生の考えを伝えちゃうからなんだろうな。考えがストレートに伝わる分、押しつけがましさを軽減する手段が見つかりづらい。


と、それに気づいて迷い道の一因がわかってきたような気がする。

今まで疑問をストレートにぶつけ過ぎてたな。子どもがやるように。なんで?なんで?って。

もしかしたら選んだ道は迷ってないかもしれない。でも失礼さのせいで周りで一緒に歩いていた人が離れていったから、人の気配が消えて霧が出て心細くなって、この道大丈夫?迷って変な道に入り込んだんじゃ?ってなったのかも。

霧が晴れて、一緒に周りに歩いている人が戻ってくれば、わき道かもしれないけど少なくとも迷い道じゃなくなる。

ラッピングして、相手のことを考えて中身を選んで、はじめて価値が出ますね。

私が選んだ中身が届くようなラッピングはなんだろう。そこはまだまだ迷い道🍋

ではでは。

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