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1976年のディラン『激しい雨』

1975年4月30日、ヴィエトゥ・ナム共和国の首都サイゴンが陥落し、ヴィエトゥ・ナム戦争が終結した。
ヴィエトゥ・ナム共和国は解体した。

1975年10月30日~12月8日、アメリカ連合国で、アメリカ連合国建国200周年を記念して、34歳のバブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日~)の「とどろくカミナリ演芸会(Rolling Thunder Revue)」の巡業旅行がおこなわれた。

1975年10月30日、「とどろくカミナリ演芸会」の巡業は、大西洋岸のマサチューセッツ共益国(Commonwealth of Massachusetts)のプレマス(Plymouth)の戦争記念公会堂(War Memorial Auditorium)から始まった。

並行して、1975年秋、34歳のバブ・ディラン脚本・監督・主演の映画劇『レナルド&クララ』Renaldo & Claraの撮影がおこなわれた。
この映画の脚本家としてディランに雇われた31歳のサム・シェパードゥ(Sam Shepard、1943年11月5日~2017年7月27日)も同行した。

サン・フランスィスコの隔週刊の対抗文化情報誌『風来坊(Rolling Stone)』1976年1月15日号に、50歳のナットゥ・ヘントフ(Nat Hentoff、1925年6月10日~2017年1月7日)の音楽評「バブ・ディラン、ジョウン・バイエズと「とどろくカミナリ演芸会」との旅巡礼者たちはケルアックの墓を詣でた」On the Road With Bob Dylan, Joan Baez and the Rolling Thunder Revue: The pilgrims have landed on Kerouac's graveが掲載された。
写真撮影は、ケン・リーガン(Ken Regan、1940年代ごろ~2012年11月25日)だ。

1976年2月8日、ニューヨークの宝冠劇場(Coronet Theater)で、29歳のポール・シュレイダー(Paul Schrader、1946年7月22日~)脚本、32歳のマーティン・スコーセッスィ(Martin Scorsese、1942年11月17日~)監督、31歳のロバートゥ・デ・ニーロウ(Robert De Niro、1943年8月17日~)主演の映画劇『タクシー運転手』Taxi Driver(114分)が公開された。
撮影は1975年6月半ば~7月半ばにおこなわれた。

1976年(昭和51年)3月18日、ランドゥンのレスタ・スクウェア劇場(Leicester Square Theatre)で、ウォルター・テヴィス(Walter S. Tevis、1928年2月28日~1984年8月9日)原作、34歳のポール・マイヤースバーグ(Paul Mayersberg、1941年6月18日~)脚本、47歳のニコラス・ロウグ(Nicolas Roeg、1928年8月15日~2018年11月23日)監督、28歳のデイヴィドゥ・ボウイ(David Bowie、1947年1月8日~2016年1月10日)主演の映画劇『地球に落ちて来た男』The Man Who Fell to Earth(138分)が公開された。
ボウイは全米巡回公演中で出席できなかった。

1976年4月1日発行の月刊『ROLLING STONE(ローリングストーン)』(ローリングストーンジャパン)4月号(30号)(480円)が発売された。
ナット・ヘントフ文、29歳の小林宏明(1946年9月28日~)訳、ケン・レガン写真「ディラン、バエズ&ギンズバーグ ローリング・サンダー号の船出ケルアックの墓に詣でた巡礼者たち」が掲載された。

1976年4月18日~5月25日、アメリカ連合国で、バブ・ディランの巡回演奏旅行「とどろくカミナリ演芸会(Rolling Thunder Revue)」の第2期の公演がおこなわれた。

1976年5月1日発行の月刊『ROLLING STONE』5月号(31号)(480円)をもって同誌が休刊した。

1976年5月23日、コロラドウ国(State of Colorado)のフォートゥ・カレンス(Fort Collins)のコロラドゥ国大学(Colorado State University)ヒューズ競技場(Hughes Stadium)で、34歳のバブ・ディランの公演がおこなわれた。

この日演奏されたのは次の楽曲だ。

1 「タンブリン屋さん」Mr. Tambourine Man
2 「それはオレじゃないぜ」It Ain’t Me, Babe
3 「フィンセントゥ・ファン・ホッホ」Vincent van Gogh
4 「マギーの農場」Maggie’s Farm
5 「ひとつ余分な朝」One Too Many Mornings
6 「ムサンビーク」Mozambique
7 「アイスィス」Isis
8 「風の吹くまま」Blowin’ in the Wind
9 「鉄道員の男の子」Railroad Boy
10   「強制送還者」Deportees
11   「貧しい移民はかわいそうだ」 I Pity the Poor Immigrant
12   「嵐を避ける場所」Shelter from the Storm
13   「おい、スィスター」Oh, Sister
14   「おまえがほしい」 I Want You
15   「落ち込んで動転して」Tangled Up In Blue
16   「もう大人の女だろ」 You’re a Big Girl Now
17   「おまえが行ってしまうとさびしくなる」You’re Gonna Make Me Lonesome When You Go
18    「ほら寝て、お嬢様」Lay, Lady, Lay
19    「銀のカマキリ」Silver Mantis
20    「行くよ、行くよ、もういない」Going, Going, Gone
21    「白痴の風」Idiot Wind
22     「天国の扉を叩く」Knockin’ On Heaven’s Door
23    「旅は終らない」Gotta Travel On
24    「激しい雨がやまない」A Hard Rain’s A-Gonna Fall

1、2 バブ・ディラン(ヴォーカル、ギター、ハーモニカ)
3~24   バブ・ディラン(ヴォーカル、ギター)
28歳のロブ・ストウナー(Rob Stoner、1948年4月20日~)(電気ベース)
32歳のハウアドゥ・ワイエス(Howard Wyeth、1944年4月22日~1996年3月27日)(ドラムス)
ゲアリ・バーク(Gary Burke)(パーカッション)
19歳のデイヴィドゥ・マンスフィールドゥ(David Mansfield、1956年9月13日~)(マンドリン、4、21のペダル・スティ-ル・ギター、ヴァイオリン、ドブロ)
28歳のT・ボウン・バーネットゥ(T-Bone Burnett、1948年1月14日~)(電気ギター、ピアノ、19のヴォーカル)
スティーヴン・ソウルズ(Steven Soles)(生ギター、21のヴォーカル)
スカーレットゥ・リヴェラ(Scarlet Rivera)(5、6のヴァイオリン)

35歳のジョウン・バイエズ(Joan Baez、1941年1月9日~)(8、9、10の生ギター、ヴォーカル、11、24のヴォーカル)
36歳のバブ・ニューワース(Bob Neuwirth、1939年6月20日~2022年5月18日)(生ギター、3のヴォーカル)
33歳のロジャー・マグウィン(Roger McGuinn、1942年7月13日~) (22の電気ギターとヴォーカル)
29歳のミック・ロンスン(Mick Ronson、1946年5月26日~1993年4月29日)(4の電気ギター)

1976年5月25日、「とどろくカミナリ演芸会」の巡業は、ユタ国(State of Utah)のソルトゥ・レイクスィティ(Salt Lake City)のソルトゥ殿堂コンヴェンション・センター(Salt Palace Convention Center)で終わった。

1976年7月4日、アメリカ連合国建国200周年を迎えた。

1976年8月20日、「植草甚一スクラップブック」(全41巻)11、68歳の植草甚一(うえくさ・じんいち、1908年8月8日~1979年12月2日)著『カトマンズでLSDを一服』(晶文社、780円)が刊行された。
解説は37歳の片岡義男(1939年3月20日~)、イラストレーションは28歳の鈴木康司(1948年2月28日~)だ。
装幀は平野甲賀(ひらの・こうが、1938年~2021年3月22日)だ。

1976年9月13日、アメリカ連合国のColumbia Recordsが、バブ・ディランのアルバム『激しい雨』Hard RainのLP盤(PC 34349)を発売した。

1976年5月16日のテクサス国(State of Texas)のフォートゥ・ワース(Fort Worth)のタラントゥ・カウンティ・コンヴェンション・センター(Tarrant County Convention Center)公演から「メンフィス・ブルーズと共にまたモービルから出られずに」Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again、「おい、スィスター」Oh, Sister、「ほら寝て、お嬢様」Lay, Lady, Lay、「全部捨て去った」I Threw It All Awayの4曲、1976年5月23日の公演から「マギーの農場」Maggie's Farm、「ひとつ余分な朝」One Too Many Mornings、「嵐を避ける場所」Shelter From The Storm、「もう大人の女だろ」You're A Big Girl Now、「白痴の風」Idiot Windの5曲を収めた。

1976年9月14日、アメリカ連合国のNBCで、1976年5月23日のヒューズ競技場での34歳のバブ・ディランの公演の記録番組『激しい雨』Hard Rain(60分)が放映された。

次の楽曲の演奏が記録された。

激しい雨がやまない」A Hard Rain’s A-Gonna Fall、「風の吹くまま」Blowin’ in the Wind、「鉄道員の男の子」Railroad Boy、「強制送還者」Deportees、「貧しい移民はかわいそうだ」 I Pity the Poor Immigrant、「嵐を避ける場所」Shelter from the Storm、「マギーの農場」Maggie’s Farm、「ひとつ余分な朝」One Too Many Mornings、「ムサンビーク」Mozambique、「白痴の風」Idiot Wind、「天国の扉を叩く」Knockin’ On Heaven’s Door

1976年9月18日、新宿京王、東劇、渋谷東急で、CIC配給の映画劇『タクシードライバー』Taxi Driverの58歳の野中重雄(1918年2月~1984年5月28日)訳の日本語字幕版が公開された。

1976年10月6日、10年続いた中華人民共和国無産階級文化大革命が終わった。

1976年10月21日、CBSソニーが、ボブ・ディランのアルバム『激しい雨』Hard RainのLP盤(25AP 290、2,500円)を発売した。

解説は菅野敏幸(1947年~)だ。

1976年11月30日、アメリカ連合国のColumbiaが、バブ・ディランメンフィス・ブルーズと共にまたモービルから出られずに」Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again(3分35秒)、「リタ・メイ」Rita May(3分05秒)のシングル盤(3-10454)を発売した。
1976年5月16日のタラントゥ・カウンティ・コンヴェンション・センター公演の録音だ。

1977年1月1日発行の『宝島』(JICC出版局)1月号「特集:BOB DYLAN」(480円)が発売された。
表紙イラストレーションは30歳の佐々木マキ(1946年10月18日~)だ。

特集「DYLAN 新しい夜明け
PHOTOGRAPHY & WORDS OF DYLAN
30歳の岡林信康(1946年7月22日~)vs三橋一夫(1928年~2012年1月)「ディランはつねに五年先をいっとるんや」(イラストレーション渋谷則夫
ポール・ウイリアムス(Paul Williams、1948年5月19日~2013年3月27日)「きょうのディランはきのうのディランじゃないアルバム・レビュー「激しい雨」」(イラストレーション矢吹申彦
三浦久(みうら・ひさし、1945年~)「DYLAN, 愛を歌う」(イラストレーション湯村輝彦
東藤幸子ディランの化粧について」(イラストレーション武居恵美子)
伊藤祐子DYLAN'S HOROSCOPE
'70年以後のディラン
30歳の小倉エージ(1946年6月15日~)「ディラン21枚のディスク・レビュー
ディランの10大事件
DISCOGRAPHY」 
BOOKS
年譜・70年まで

1977年1月、CBS・ソニーが、ボブ・ディランメンフィス・ブルース・アゲイン」Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again(3分35秒)、「リタ・メイ」Rita May(3分05秒)のシングル盤(06SP 126、600円)を発売した。

解説は鈴木まことだ。

1977年2月11日、東劇、新宿京王で、映画劇『地球に落ちて来た男』The Man Who Fell to Earth の短縮版 (119分)の日本語字幕版が公開された。

1977年3月20日、午前10時、東京12チャンネルで「ボブ・ディラン・ライブ・コンサート・スペシャル」「激しい雨」の東京12チャンネル、スピリット製作、田母上直久構成、平石律子翻訳の日本語版が放映された。

はげしい雨が降る」A Hard Rain’s A Gonna Fall
風に吹かれて」Blowin’ In The Wind
ディポーティーズ」Deportees
あわれな移民」 I Pity The Poor Immigrant
嵐からの隠れ場所」 Shelter From The Storm
マギーズ・ファーム」 Maggie’s Farm
いつもの朝に」One Too Many Mornings
モザンビーク」Mozambique
愚かな風」 Idiot Wind
天国への扉」Knockin’ On Heaven’s Door

1977年7月4日、ニュー・ヨークで、33歳のサム・シェパードゥ著『とどろくカミナリ業務日誌』Rolling Thunder Logbook(Viking Press)が刊行された。

1978年1月24日、ウェストゥウドゥ(Westwood)の執権劇場(Regent Theatre)で、バブ・ディラン脚本・監督・主演の映画劇『レナルドとクララ』Renaldo and Clara (232分)が先行公開された。

1978年2月20日~3月4日、日本武道館、大阪・松下電器体育館で、36歳のボブ・ディランの日本公演がおこなわれた。

1978年2月、サム・シェパード著、48歳の諏訪優(すわ・ゆう、1929年4月29日~ 1992年12月26日)、菅野彰子(すがの・あきこ、1947年~)訳『ディランが街にやってきた』(サンリオ、1,300円)が刊行された。
装幀は平野甲賀だ。

1978年2月25日、CBS・ソニーが、日本特別編集の来日特別企画、ボブ・ディラン傑作』Masterpiecesの3枚組LP盤(57AP 875~7、5,700円)を発売した。

CBS・ソニーが、販促用の特別限定盤(非売品)、『レナルド&クララ』サウンドトラックより A Songs From "Renaldo & Clara"の4曲入り12インチ盤を制作・限定配布した。
Side 1
1「ピープル・ゲット・レディ」People Get Ready(2分44秒)
2「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」Never Let Me Go(2分45秒)
Side 2
1「アイシス」Isis(5分19秒)
2「悲しきベイブ」It Ain't Me Babe(5分23秒)

1978年10月14日(土)、15日(日)、東京・新宿の厚生年金ホールで、映画劇『レナルド&クララ』Renaldo & Claraの短縮版(116分)の日本語字幕版が公開された。

1979年1月15日、東京・虎の門の久保講堂で、映画劇『レナルド&クララ』Renaldo & Claraのの短縮版(116分)の日本語字幕版が公開された。

1984年3月、久保講堂が閉館した。

1993年11月4日、「河出文庫」、サム・シェパード著、諏訪優菅野彰子訳『ローリング・サンダー航海日誌ディランが街にやってきた』(河出書房新社、本体850円)が刊行された。
装幀は64歳の粟津潔(あわづ・きよし、1929年2月19日~2009年4月28日)だ。

1999年1月16日、東京・千石せんごくの三百人劇場で、映画劇『地球に落ちて来た男(完全版)』The Man Who Fell to Earth(138分)の日本語字幕版が公開された。

2008年10月1日、松下電器産業株式会社が社名を「パナソニック株式会社」に変更し、ブランドを全世界でPanasonicに統一した。
松下電器体育館パナソニックアリーナと改称された。

2016年7月16日、東京・渋谷のユーロスペース、大阪・心斎橋のシネマート心斎橋で、映画劇『地球に落ちて来た男』The Man Who Fell to Earth (138分)の日本語字幕版が再公開された。

2019年6月7日、Columbia/Legacyが、バブ・ディランの14枚組CDボックスセット『とどろく雷鳴演芸団1975年実況録音集』The Rolling Thunder Revue : The 1976 Live Recordings(19075928282)を発売した。

Sony Recordsが、ボブ・ディランローリング・サンダー・レヴュー1975年の記録』The Rolling Thunder Revue : The 1976 Live Recordingsの完全生産限定盤14枚組CDボックスセット(SICP 6101~14、本体15,000円)を発売した。

2019年6月12日、Netflixで、76歳のマーティン・スコーセッスィ監督のバブ・ディランの「とどろくカミナリ演芸会」の映像記録と虚構を組み合わせた擬似記録映画『ローリング・サンダー・レヴューボブ・ディラン・ストーリー』Rolling Thunder Revue: A Bob Dylan Story by Martin Scorsese(142分)が配信された。

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