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1948年の平林たい子『地底の歌』

朝日新聞』1948年(昭和23年)10月12日号~12月30日号に、戦争1年目の1942年(昭和17年)から戦後にかけてのヤクザの世界を描く、43歳の平林たい子(1905年10月3日~1972年2月17日)作、42歳の吉岡堅二(1906年10月27日~1990年7月15日)画の長篇小説『地底の歌』が(1)「ある思春期一」から(80)「續放免三」までの全80回連載された。

1949年(昭和24年)2月25日、43歳の平林たい子著『地底の歌』(文藝春秋新社、150円)が刊行された。
装幀は50歳の岡鹿之助(おか・しかのすけ、1898年7月2日~1978年4月28日)だ。

1950年(昭和25年)4月15日、『現代長編小説全集』第10巻、平林たい子著『地底の歌・女が涙を流す時・かういふ女・其他』(春陽堂、130円)が刊行された。
地底の歌』『女親分』『黒札』『女が涙を流す時』『かういふ女』『露のいのち』『萌黄』『森の中』を収めた。

1951年(昭和26年)11月、「三笠文庫」、平林たい子著『地底の歌』(三笠書房、70円)が刊行された。
解説は37歳の芝木好子(しばき・よしこ、1914年5月7日~1991年8月25日)だ。

1953年(昭和28年)6月、『現代日本名作選』、平林たい子著『かういふ女・地底の歌』(筑摩書房、180円)が刊行された。

1955年(昭和30年)3月15日、『昭和文學全集』第55巻(第55回配本)、『平林たい子集壷井榮集』(角川書店、280円、地方売価290円)が刊行された。

1956年(昭和31年)8月、「角川文庫」、平林たい子著『地底の歌』(角川書店、70円)が刊行された。

1956年(昭和31年)12月12日、平林たい子原作、53歳の八木保太郎(やぎ・やすたろう、1903年2月3日~1987年9月8日)脚本、43歳の野口博志(のぐち・ひろし、1913年1月10日~1967年5月23日))監督、24歳の名和宏(なわ・ひろし、1932年10月16日~2018年6月26日)、21歳の石原裕次郎(1934年12月28日~1987年7月17日)主演の映画劇『地底の歌』(90分)が公開された。

1959年(昭和34年)6月10日、『新選現代日本文學全集』(全30巻)18(第11回配本)、『平林たい子集』(筑摩書房、350円)が刊行された。
砂漠の花』『地底の歌』『追われる女』『盲中国兵』を収めた。
55歳の中野好夫(なかの・よしお、1903年8月2日~1985年2月20日)「平林たい子論」、47歳の田宮虎彦(1911年8月5日~1988年4月9日)「解説」を収めた。

附録」11に、69歳の青野季吉(あおの・すえきち、1890年2月24日~1961年6月23日)「魂の底の声を」、69歳の保高徳蔵(やすたか・とくぞう、1889年12月7日~1971年6月28日)「偉大な個性」、40歳の小原元(おはら ・げん、1919年2月1日~1975年4月30日)「平林たい子の魅力」、55歳の水谷準(1904年3月5日~2001年3月20日)「暗い応援間」、54歳の瀬沼茂樹(1904年10月6日~1988年8月14日)「組織と人間」を収めた。

1963年(昭和38年)11月23日、平林たい子地底の歌』原作、八木保太郎脚本、40歳の鈴木清順(すずき・せいじゅん、1923年5月24日~2017年2月13日)監督、25歳の小林旭(こばやし・あきら、1938年11月3日~)、18歳の松原智恵子(1945年1月6日~)、24歳の平田大三郎(1939年1月1日~)主演の総天然色の映画劇『関東無宿』(92分)が公開された。

11月25日からの同時上映は10月完成の16ミリ総天然色のPR映画『東南アジアは招く』(25分)だった。

1965年(昭和40年)9月、『現代文学大系』40(第29回配本)、『平林たい子・圓地文子集』(筑摩書房、430円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。
50歳の小松伸六(こまつ・しんろく、1914年9月28日~2006年4月20日)「人と文学」を収めた。

月報」29に、51歳の芝木好子平林さんの次のお仕事」、59歳の円地文子(えんち・ふみこ、1905年10月2日~1986年11月14日)「イタリイの旅」、60歳の丹羽文雄(にわ・ふみお、1904年11月22日~2005年4月20日)「円地文子の講演旅行」、59歳の平林たえ子円地文子さん」を収めた。

1969年(昭和44年)4月25日、中央公論社創業80周年記念出版、『日本の文学』(全80巻)48(第63回配本)、『平林たい子・大原富枝』(中央公論社、450円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。
解説は57歳の杉森久英(すぎもり・ひさひで、1912年3月23日~1997年1月20日)だ。

1972年(昭和47年)2月17日、平林たい子が66歳で亡くなった。

1974年(昭和49年)6月、『アイボリーバックス・日本の文学』48、『平林たい子・大原富枝』(中央公論社、680円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。

1977年(昭和52年)1月15日、『現代日本文学』(全35巻)17、『平林たい子集』(筑摩書房)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。

1977年(昭和52年)4月25日、『平林たい子全集』3(第4回配本)(潮出版社、3,000円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。

1978年(昭和53年)7月12日、筑摩書房倒産した。

1978年(昭和53年)7月15日、『筑摩現代文学大系』41(第77回配本)、『平林たい子・圓地文子集』(筑摩書房、1,800円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。
小松伸六人と文学」を収めた。

月報」77に、芝木好子平林さんの次のお仕事」、円地文子イタリイの旅」、丹羽文雄円地文子の講演旅行」、平林たえ子円地文子さん」を収めた。

1988年(昭和63年)9月1日、『昭和文学全集』第8巻、『野上弥生子・宮本百合子・林芙美子・平林たい子・壺井栄・幸田文』(小学館、4,000円)が刊行された。
地底の歌』ほかを収めた。

月報」21に、宇田健野上先生の北軽井沢」、和田静子林芙美子さんのこと」、63歳の保昌正夫(ほしょう・まさお、1925年3月26日~2002年11月20日)「昭和文学よもやま21昭和文学と文庫・新書戦後からの四十年」を収めた。

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