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なんでこんなに本を作りたいのか

溜めに溜めていた話をいい加減したい。

#はじめてのZINE  を作る前も、作った後も、ずーーーっと考えていた。かれこれ1年半くらいになるだろうか。本をつくることに関わりたい気持ちは固まってきたんだけど、なんでこんなに「本」に拘りたいのか。

先日から、ちょっと遠出して習い事に行っているのだけど、その初日、緊張しているのか考えすぎているのかで、まあ案の定夜寝られなくてですね、夕方から朝までひとりの時間がたっぷりあったので、じっくりじっくり考えることができたのです。そうしたら、こんなにずっと考え続けていたことが、やっと答えが見えてきた気がして、とってもサッパリして、嬉しくて初めての土地のホテルのベッドの上でひとり、ごろんごろん転がりながら大声出してしまったよ。

その、考えた記録をしておこうと思います。
最近時々書いている文章と重なる点がいくつかあるかもしれないけど、この記事はまとめってことで。

(最近は短い文を書くことが増えて、長くなりそうな文を書くのが少し億劫になってしまった。以前は長文しか書けない!なんて思っていたのに。人は簡単には変わらない説を信じている私ですが、意外にも変わることがあるんですね。)

なんのために「本」をつくりたいの?

★ 本、そのものが好き。
★ 形になることの魅力
★ 手作業の楽しさ、尊さ
★ 本を作りたい個人、何かを形にしたい人の力になりたい。

順を追って説明します。

★ 本、そのものが好き。

まあこれは言わずもがななところがありますが、言いたいこともあります。

1)装丁・手触り・見た目・形

そもそも、本が本の形をしていることが好きなんですよ!!!
本らしくない形だっていい。どんな形だっていいんですけど、手にとれて、ページをめくれて、中身があって、表紙があって。もうそれだけでいいんです。なんなんだろうね。なんでそんなに?と言われたらこれ以上は答えられませんわ。

2)いろいろな人達が関わって、考え抜いた結果であり、長く残すための価値がある、人類の財産。

これについてはじっくり話す必要があると思います。

最近はインターネットがとても便利になったので、ちょっと調べたいことがあっても、ケータイでぽちぽちやれば、だいたいのことが分かるじゃないですか。ちょっと難しいこともすぐ出てきたり。だから本なんてもう時代遅れなんて言われることもあるかもしれないけど。

でもたまに、まあ私もたくさんは本を読まないので、たまになのですが、たまに本を読むと、感動するんですよ。ほとんど多くの本で感動するんですよ。こんなに壮大な物語が!展開が!知識が!歴史が!
ネットでちょちょっと調べただけじゃ、知れないことや、感じられない感覚に、1冊の本を読んだだけでもたくさん出会えるんです。

それはやっぱり、今も昔もそうだと思うのですが、本ができるまでの過程って、作者ひとりじゃ成り立たなくて、世に拡めるべき作品をより拡めるために努力してきた、編集者や校正者や出版の人、より読みやすく手に取りやすい本を作るためのデザイナーや印刷の人や製本の人や・・・数をあげたらキリがない、もっといるのでしょうか。たった1冊の本ができるまでに本当に多くの人が関わって、それぞれが最善を尽くした結果が、本の形になっているのだと、最近とても実感するようになったのです。

そもそも、何かを本にしようと思う時、きっとそれは、みんなに知ってほしい、後世に残すべきだ、など、どんな本でも、きっと理由があるのだと思います。(最近のZINEとか個人の物は必ずしもそうではないと思うけど)

だから、本にしようと誰かが思って、それが形になって完成したとき、それはもう、人類にとっての財産なのだと思います。
だってそうでしょう、何かを本気で調べたり研究するにはどうしても、昔の本を紐解いてみないといけなくなる。

だから、本が長く残るための耐久性も、私は大事だと思うし、そうやって学ぼうとする人がいる限り、本は無くならないだろうと思うのです。

3)個人の財産

うって変わって、個人にとっての本についても、ずっと考えていました。

なぜなら、私は、個人にとっての大切な本を、少ない冊数でも作れることが理想と考えるからです。

本を作ろうと思うと、以前までは、基本的に出版を通さないといけなくて、だから本当に大衆受けしそうなものしか、なかなか出版されなかった。
でも最近は、ZINEや自費出版、自家製本など、さまざまな選択肢が増えて、本当に良いことだと思います。少人数しか、もはや自分ひとりしか楽しめないような内容でも、本という形にする権利がある。それももちろん、「本」と呼んだっていい。呼び方は自由です。

わたしはどちらかといえば、メジャーよりマイナーが好きだし、マスよりニッチが好き。だから全員、作りたい人はどんな規模でもいいから作れ!と思います。どんなに寄ってくる人がいなくても私が食らいつくから!!!

そんなわけで、〇〇を作りたいけどモヤモヤ〜〜〜ってなっている人がいると、私は勝手ながら背中をグイと押したくなってしまう今日この頃。それをあわよくばお手伝いするための、いろいろな知識技術を身に付けたいな、というのが今のわたしの目標です。

4)本が好きな人はこんなにたくさんいるので、決してなくならない。

これは複数ご意見があるかもしれませんが、私の勝手な個人的な見解ですので、あしからず。

本をつくることに関わりたいな〜と考え始めたころ、ずっと考えていました。時代はデジタル、インターネット。そういう時代なのに、本や紙をやりたいって、需要は減る一方な気配だし、仕事もなくなっちゃうのかしら・・・

でも、本や紙に関するイベントに行ったり、そういう人たちと出会って話をするごとに、少しずつ思うようになったのです。

本って、やっぱり現代は売れにくいみたいだし、作るのもすごく大変。
だけど、そんなに大変なことをわかっていながら、採算がなかなかとれないこともわかっていながら、それでも本を作りたい人や作り続けている人がここにもあちらにもこんなにも!そしてそれを読む人も求めている人もこんなにたくさん!本を愛する人ってこんなにいるのだなあと。

だから、わたしの今の持論は、本は決してなくならない。
まだまだこれからも長いこと、本を愛する人は居続けるだろうと信じています。そう思えるので今は安心して、本をつくることに向かうことができているのです。

★ 形になることの魅力

まだ私が本を作ったのは、#はじめてのZINE のみなので、大したことは言えないのですが、初めて自分で自宅で全部の工程を体験してみて分かることってすっごくたくさんありました。初めてじゃないと忘れてしまうかもしれないから、書き残すなら今のうちですね。

先にも書いたように、本が出来上がるまでは多くの人が関わっていろいろと考え抜かれた結果出来上がる、ということがわかったことも何よりなのですが、それを全部ひとりで(時々人に相談しながら)やるのはすごく大変でした。詳しい話は、長くなりそうなので別記事で。

企画、執筆、写真撮影、編集、イラスト作成、面付け、印刷、装丁デザイン、製本・・・

工程や作業は本当に大変だったのですが、その中で自分が思い描くものを作るための努力をするのは、とても楽しくて、自宅印刷・手製本だからできる工夫を探したし、実際にそれを活かして完成させることができました。

そうやって、苦労と楽しさの詰まった、自分だけの本。
正直、「本」という形さえできれば、私は満足だったので、完成させることができただけでも嬉しいのに、それを欲しいと言ってくれる人がひとりでもいることのありがたさ。

自分で自分の本を作った結果、私は、
「本そのものの存在感」が如何に私にとって重要であるかを知り、
「自分の理想の形を作りあげる楽しさ」に魅了され、
「出来上がった時の達成感」に満たされました。

★ 手作業の楽しさ、尊さ

私は、#はじめてのZINE の他に、じゃばらスケジュールを2パターン作成しました。そのスケジュール帳もまた、手作りだからと諦められてしまわないくらいに、デザイン性も利便性も精一杯考え、手作業でできる範囲の最大限のことを詰め込んだつもりです。

そうやって、一冊一冊、自分が思い描く姿を探していく。
方法がわかるまでは検索したり人に聞いたりと頭を悩ませ、方法がわかったあと形にしながらも、細かな点を試行錯誤。
私にとってはそんな地道なことが本当に楽しかった。

本を作ることの全工程が見えてきて、1冊の本が出来上がるまでの、たくさんの苦労に思いを馳せました。

作家はもちろん、何を書こうか考え、執筆します。

写真家は、どんな写真を使うか、選定します。

編集者は、文章を訂正したり、ページの構成を考えたり、関連する人員に指示を出したりします。(兼任していたり、分担していたりと様々)

イラストレーターは依頼を受けて、見合うイラストを作成します。

編集者などが最終確認したあと、印刷所に送られたデータは、DTPオペレーターなどにより面付けされて、印刷されます。(私はまだ詳しくは知りませんが、面付けは私が本を作ったなかではかなり骨の折れる作業でしたし、印刷をしても思い通りの色が出ないなどの苦労もあるのでしょう。)

そして、内容が出来上がったころでしょうか、装丁などもデザイナーによりデザインされます。(装丁やデザインも体験してわかったのは、随時自分の全力を尽くしたデザインをするのだけれど、その次を作るとなるとまた全力を尽くして乗り越えなければならないということ。1回だけでも非常に体力を消耗するのに、それを何回もこなすデザイナーさん達よ・・・)

製本は、流通の多い製本方法であれば、機械が多くのことをやってくれて、手作業の範囲は少ないかもしれません。(ここも私はまだよく知らない範囲です。)でも少し拘った製本となると手作業の範囲も増えるでしょう。手作業となると、ひとつひとつ気も使うし、かなり大変そう。もし、工場では簡単に製本の工程が済んでいたとしても、それは、手作業の負担を減らすために機械を作ってくれた、その人達の努力のおかげなのだと、思い知らされた。

本は現代、かなり安く買えます。自分で本を作ると尚更、世に流通している本は本当に安すぎる!と思うようになりました。

手作りの洋服は、1着2〜5万で売れるのに、本は手作りでもせいぜい5000円?本当に価値のある内容を持って初めて2万?詳しくはわからないけれど、こんなに多くの人が携わってできるものなのに、どの工業製品と比べても安すぎないか・・・と思ってしまうこの頃。
本の素材である、紙だって、簡単に作られるものではなくて、たくさんの人の苦労と努力の結果。本は、決して安いものではない、と思います。

ではなぜこんなに安く流通しているのか。
本は簡単には安くなりえない物だけど、「本」という、有益なものを普及させようとした人たちと、それを量産するための方法を考えてくれた人、その専門の機械を作ってくれた人たちの努力のおかげで、現代の本は安く買えるのだと、そういうありがたい歴史のおかげなのだと、最近は思うようになりました。

だからこそ、昔からたくさんの人が、本の読みやすさ、耐久性、保存性、手軽さ、普及、などなど努力した結果である「本」という文化を無くしたくない。

手作業から始まる、すべてのものづくりの素晴らしさを、それをしてくれる人たちがいるから、私たちの潤沢な現代の生活が成り立っていることを、出来るだけ多くの人に知って欲しい。

なんか話が大きくなりすぎていますが、最近の私が、本をつくることや、手製本を続けたいと思う理由は、そこにある気がしたのです。

★ 本をつくりたい個人、何かを形にしたい人の力になりたい。

自分で本をつくる楽しさに目覚めた私は、それを、できれば多くの人に体験して欲しい、なんて大仰なことを思ってしまっています。

現代人は、忙しすぎる。特に日本人は、自分の時間より仕事優先な人も多くて、もっと自分のこと大切にしたほうがいいのでは、と勝手に思ってしまう。

私は決して、仕事人間になんかならねーぞ、という気持ちで今までを過ごしてきたのですが、働くのはえらいことだと思うし、生活が安定するので、働いた方がいいと思います。

話は逸れましたが、各々、いろんな生活があるなかで、時々いるじゃないでか。「〇〇つくりたいけど〜・・・」みたいな。

その、「つくりたいけど〜」をそのままにしておくのは、とてもとてももったいないと思ってしまうんです。今の私は特に。

つくりたいものが、多くの人に必要とされるものじゃなくていいんです。身近な人だけ、なんなら自分ひとりだけだっていいんです。つくりたい気持ちがあるのであれば、絶対形にしたほうがいいと思います。なぜなら、楽しいし、人生生きてる!って感じがするから。(大袈裟)

もちろん、つくるのって、大変なのもたくさんあるんです。つくりたいけど何をつくりたいか分からない時や、手をつけているのになかなか形が見えてこない時は本当に地獄です。と最近の私は実感に実感を重ねています。
だけどその分、大変だった分尚更、出来上がったときの達成感や充実感はすごいです。

なんて、何をこんなに語ってるんだか、という感じですが。

要は、お節介なことは重々承知しているのですが、もし、「つくりたいけど、でもな〜・・」と、分からない、めんどくさい、などの理由で踏みとどまっている人がいるならば、その人のその意欲の程度や、余力・予算に応じて、必要な情報を提供して、ちょっとでも 「つくりたい」の気持ちを後押しできるような、そんなことを漠然と、将来的にしてみたいなあ〜と、最近は考えています。

だから、「本」に関わって、作ることの楽しさを伝えたい。
そのために、手に取ってもらいやすかったり、読みやすかったり、楽しんでもらえるようなデザインができるようになりたい。
本が文化として残るために、個人が手を出せる範囲を知るために、さまざまな印刷や製本の手法やコストを知りたい。

本当に今後、本をつくることに関わり続けられるかは定かではありませんが、現時点の私にとっての「本をつくる」はこんな感じです。

今後やっていきたいこと

・本の見た目に関わることをたくさん知りたい

本の存在そのものが好きな私は、本を作る過程を知りましたが、それぞれの過程で、今の自分ではまだまだできないことや、自宅ではできないこともたくさんあることを実感しました。

私はそのひとつひとつを、できれば、全部知りたい。叶うかどうかは分からないのだけど、今はそう願ってる。

一番は、編集・デザインです。私が本をつくりたいと思うようになったきっかけもこれなのですが、これは件数と経験を積むのみなのだろうなあと、想像しています。だから、できれば仕事にして、経験値を稼ぎたい所存。肌に合うかどうかは、やってみないと分からないので、続けるかどうかはその後考える。

それから最近とてもとても気になって仕方がないのが、印刷です。
自宅ではインクジェットプリンターしかないので、どうしても叶わない印刷(箔押し・活版・暗い色の紙に明るい色のインクを乗せるなど)がありすぎました。私がつくりたい、自分だけの本は、それらの、やってみたい印刷ができない限り、終われないのです。しかし、もちろん印刷所を利用するとなると、それなりに費用がかかる。量産をするにはもってこいなのですが、まだ私は量産を目的とはしていないので・・・

また、本を作る少し前から興味のあった、製本に関しても、知りたいことが山ほどあります。ハードカバーの作り方はわかったけど、いろんな特殊製本だとか、製本の歴史だとか・・・本が、私の関心を引く本になりうるのは、製本あってこそ、と感じるほどです。これは今後学ぶ場所をつくったり見つけたりは出来そうなので、ワクワクしています。

もちろん、本は内容も大事です。
長く残す必要があるから形にする。
伝えるべき情報があるから形にする。
大事にしたいことがあるから形にする。
忘れたくないことがあるから形にする。
それは、個人としても社会としても。

でもそれを伝えるため、より大事に扱うためには、見た目を手に取りやすく、読みやすく、愛着のもてるものにするべき。
そう思うので、私は本の見た目に拘りたいのだと思います。


・本で、楽しむ。

いろいろな本をつくってみたいです。
今の私は、売れることに関してあんまり興味がなくて(そんなんじゃ仕事できないかもしれないけど)つくりたいものをつくり続けたい。自分の本でもいいし、人の本でもいいと思っている。個人的な、製本や印刷に拘れる本だったら尚更楽しそうだな、と思っているけれど、結局世の中コストコスト。コストかけてでも拘りたい人って、そんなに多くはないのかもしれないですよねえ。でも、拘りたい人と出会えたらそれまた嬉しいな。

理想を形にすること、楽しくて幸福度があがるから、みんなやった方がいいと思う。なんならお手伝いします、わたしにできることがあったら是非声をかけてくださいな。

本をたくさんは読まなくても、本をたくさん持ってなくても、「本を好き」って言っていいと思う。本の存在が好きなだけで、こんなに語ってる私がいるのだから!

言いたいことを言いにくい場所が、日本には多いなと思います。
みんなが対等に自分の考えることや困っていることを(もちろん責任をもって)発言できることが、身の回りの環境を改善するには必要なんだと思います。

(今更ですが、どうやらデンマークでは、小学生のころから、教師と対等に話し合うので、社会に出ても、そういう風潮で社会が回っているそうです。だからみんながどんな立場でもちゃんと話し合えて、より良い法律が出来て福祉も充実していて税率が高くてもみんな還元されている実感があるから満足していて幸せに暮らしているんだそうな。そんな国に、日本もなってほしいな、と常々思っています。どうしたらいいかは分からないのですが・・・)

小さな意見も、大きな意見も、意見じゃない些細な感情も、今よりもう少し、気軽に言える世界になったらいいなあ。

話は逸れましたが、そんな世界を目指す手始めに、まずは私が「本が好き!」と大声でいうことにしました。
そして、私は自分が好きな「本」をより突き詰めて、あわよくば本で楽しめる人が少しでも増えるようにとお節介なことも願いつつ、まずは自分が楽しく生きる方法を探していきたいな、と思っています!

長い!まとまってない気がするけどおわります。
最後まで読んでくれた方本当にありがとうございます〜!感謝カンゲキ雨あられ〜



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