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見守る目

見守る。よく聞く言葉ですが、見守るだけっていうのは実はとても大変だと思います。とくにその距離が近ければ近いほど、どうしても口を出したくなってしまう…かも知れません。

でも、神様や仏様は、人間に対して『こうしなさい』とか『ああしなさい』とか言うことはありません。なぜなら、経験するということが、この世を生きる大きな目的だからです。こうしなさい、ああしなさいとレールを敷いてしまうのは、その経験する機会を奪うことになってしまう。神様や仏様は、それをよーくお分かりなのでしょう。

試行錯誤って時には必要です。あぁでもない、こうでもない。その寄り道があってこそ、人生の中で学ぶことも多いはずです。

その経験することも、人によってさまざまです。生まれてくる前に経験することを決めてくると言われたりもしますが、わたしは生まれてくる前のことは覚えていません。ですから、毎日が新鮮です。

そんな日々の中で、最近心に響いたのは、ある友人の言葉です。『1年後の自分が後悔しない決断をする』。生きていると、日々決断の連続です。朝起きて、顔を洗うか、それとも先にお手洗いに行くか。どんな服を着るか。朝ごはんには何を食べるか、もしくはお腹が空いていないから食べないか。

人生は、そんな小さな決断の積み重ねでできていますが、大きな決断の時には、未来の自分の目線を持つって良いなぁと思う言葉でした。

自分自身に対しても、あれこれ指示を出すのではなくて、俯瞰して見守る。1年後の自分はどんな目で見守ってくれているでしょうか。


小高い丘におわす仏様。物言わず見守ってくれています。



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