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できることやりたいこと

こんばんは!れごです☺️

最近、思うことがある。

私が記事にする様々な悩みの根本的な部分なのだが。

家で作業してて辛い時がある。

それはタスクに優先順位があってもそれ通りに進められないこと。

頭では何から始めたら良いかわかっていても、簡単ものばかり手を付けてしまう。

頑張って難しいレポートに取り組もうとしてもわからないのが怖くて気がついたらSNSを見て現実逃避している。

そう、この事実を直視したくないけど。

失敗が何よりも怖い。

だからできることに選択肢があっても簡単なものを選んでしまう思考と行動が一致しないしんどさがある。

これは過去に体調を崩してからずっと続いている。

中学で倒れて以降、通信制に移る前に通っていた中高一貫校では全ての勉強が遅れていた。

進捗が1ヶ月ぐらい遅れ現実的な最大の焦りを感じて以来不登校になったため、勉強が遅れている不安は振り切れている。

例えるなら心の底が常に黒い渦を巻いているような感じだ。

それは今も健在だ。その渦が消滅するまで私はどれだけ不安に駆られる必要があるのかと考えてしまうが、できれば要らない思考から逃れたい。


振り返れば私は常にやりたいことではなく、予めできることを計算して選択してきた。

自分が小学生の頃勉強だけの生活を受け入れたのも、事実勉強が一番得意であると頭で理解していたからだと思う。

本当はもっと部活に入って体を動かしたり友達と遊ぶ思い出も作りたかったが、

やはり運動が勉強ほどずば抜けて得意ではないこと、同級生と自分の興味を反映したコミュニケーションを取ることが苦手であることに薄々気づいていたから諦めた。

果たしてこれで良かったのかわからない。

その時にしかできない経験をしたかったのなら、強引にでもやりたい意思を表せば良かったと思う。

一度経験すればわかることもあっただろうに。

私の場合は勉強だが、苦労しなくて成果を手に入れても心が空っぽで、自信が持てない。

99点を取れば「あと1点。」という言葉が頭に襲いかかってくる。

この一点は自分ではどうしようもないいつものケアレスミスなのだが。


つまり経験上できることしかやらない、やれないのは

失敗に(間違いや自分の中で相対的に苦手なもの)に対して過度な不安があるのだと思う。

本当はやりたいことを我慢する弱気な強さとみなせるが、

実際は超えられるかもしれない壁に手を当てようともしない弱さに思えて仕方がない。

だって私にとって失敗はどうしようもないものだったから。

だから自分がある願望を叶えたい、達成したいと思っても

道中の壁の存在を認識した瞬間に進むのをためらい、放棄する。

壁がどれぐらいの大きさか探りもせずに。

よく周りの大人から「れごは思考が0か100に振り切れるね。」と言われるが、

それは壁、つまりある種の不安を感じるとその大小関係なく100と受け取って怖がってしまうのだと思う。

ずっと成長、復活を心から求めてるのにいざ明確な課題を与えられると逃げてしまう。

自分の最大の弱点だ。もったいない。


けれども最近の私はこの事実を認識し、客観的に原因を把握している。

勉強できなくなってから試行錯誤を重ねて学ぶ仕組みを理解し、パターン化できつつある。

だから怖がらなくていい。

これから先予想以上に時間がかかったり思わぬ課題に遭遇するかもしれないけど、

今までの経験を組み合わせれば壁を乗り越えられる。

むしろ世界が開けてより面白くなるんだ。挑戦状として受けて立とうではないか。

0から勉強を積み上げる今、本当の努力を学べるのだから。

小さな成長を大切すれば、いずれやりたいことに全力で向き合えるようになるさ。




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