映画『マルクス・エンゲルス』 論戦とアジテーションと
カール・マルクスといえば、たぶん近代以降において最も社会的影響力が大きかったと言っても過言ではない人物だろう。そんなマルクスと、その親友であるエンゼルスの2人を主人公にした映画。有名な『共産党宣言』までの道のりを描いている。
え、ここで終わるかという尻切れトンボ感は残るが、題名から受ける硬派さにも関わらずら人間ドラマとして面白い。社会主義や資本論、哲学に興味・知識がある人にとっては見応えがあるだろう。
かくいう私は一応、経済学の修士は出ているが、恥ずかしながら資本論は未読だ。(解説本や基本講義で得た知識に留まる)アダム・スミスやケインズは読んでも、資本論となるとその長さや難解さを前に覚悟(と忍耐)がいる。ただ、学部が歴史界隈だったので背景となる文脈や知識はある。本作では、まさに当時の歴史的背景や理論が出た文脈、そして人間関係がドラマとして効果的に織り込まれているため、そういう意味でも面白く観れた。
何でもそうかもしれないが、どんな難しい古典理論も、その理論が世に出た経緯や、同まつわる物語が分かると興味が湧くもの。本作ではキャラとしてやや嫌味っぽい映るマルクスが、当時の著名運動家を次々に論破する姿や、同盟の代表者会議で聴衆を一気に味方につけるエンゲルスのアジテーションなど、言葉による戦いが一つの見所でもある。
彼らが明確に打ち立てた路線というのは大きいものがある。空想や道徳だけに拠らず、経済学に則って時の資本主義を根本から批判したからこそ、その後の社会変革に一つの方向性をもたらした。ソ連などの社会主義国家建設は頓挫したが、労働環境の改善や所得の分配などの点で、西側社会にも大きな論点を提示し続けている。そのような論点をまた前景化させる必要を、本作が訴えているのはしっかり伝わってくる。
しかし同時に、マルクスやエンゲルスによる言葉の戦いが、よく言えば、物事が対立と相互作用で止揚していくというヘーゲル的(?)側面を見ているように感じるが、悪く言えば後の共産主義運動が抱えた激しい路線闘争の萌芽を観ているようでもあったことは言い添えておこう。
あと思うのは、当時の運動家というのはたぶん若者にとってはイケてた存在なんだろなということ。全共闘世代の人の話を聞くと、「モテたからねー」と言ってたのを思い出す。切実さや正義以外の動機は侮れないなと。若者がこぞってエネルギーを注ぎ込むような魅力。いろんな意味での、「世の中をひっくり返してやる」という欲望。
エンディング曲はボブ・ディランと来た。
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