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【音楽】前回記事の補足:ボッケリーニについて


こんばんは♪

レコールドムジークの講師です(*^^)🍹🍍


前回の記事の中でお話しできなかったこととして、
作曲家のボッケリーニについて載せておきたいと思います。

様々なジャンルの作品を書いているようですが、とりわけ弦楽アンサンブルの作品が異常に多いように見受けられます。^^;
ちなみに前回の記事はこちらです🎀

『弦楽四重奏曲』の、第一章の序の中で、
著者は「弦楽四重奏というのは、どのようなものであろうか」という最も大きな問いから派生し、「弦楽四重奏曲というレパートリーは本当にハイドンの筆によって自然発生的に誕生したのであろうか」という問いを立てています。

そもそも、なぜこのような問いが生まれたのかを考えると、私の個人的な見解ですが、まずWebサイトなどで弦楽四重奏について調べた場合、「弦楽四重奏を確立したのは、J.ハイドンである」といった、ほんまかいな👋と思ってしまうような、少々誤解を生みそうな記事が散見されます。なぜそのように断言できるのかなと^^;

私は著者の本心まではわかりませんが、このような記事や、昔の文献などを読み進めていく中で、著者としてもやや違和感を抱いていたのではないかと思われます。私としても看過できないので少々言及しておきたいと思った次第です。

著者は弦楽四重奏の先駆者として、実際にはボッケリーニであると主張しています。
P.16(以下引用)

弦楽四重奏曲の歴史の中でボッケリーニは各別の位置を占めている。
長期にわたる音楽的塾生の果てに輝かしい成果を収めたというわけではないが、弦楽四重奏曲というジャンルに完成した形を最初に与えたという名誉に輝くのはボッケリーニである。

では、実際のボッケリーニの作風はどのようなものだったのかというと、一般的には、形式にあまりとらわれず、優雅な趣をたたえているとされています。

『弦楽四重奏』の著者は以下のように述べています。

彼の霊感は、1760年第二特徴的であったマニエリスム的とでもいえるような複雑な書法から出発して、18世紀待つの整然とした簡潔さに回帰していく。しかし、そこには「疾風怒濤」時代と時を同じくする初期ロマン主義的な色合いが含まれている。そのような響きは、彼の作品に無数にちりばめられている陰影によって表現されている。この様式は無味乾燥で生気に乏しいと判断されることもあり、ボッケリーニは「ハイドンの妻」というあだ名をつけられたりした。

//実際に面識があり、共通の出版社を通してお互いに賞賛のお手紙を送り合うほどだったそうです。👀

・・・ボッケリーニは、弦楽四重奏曲に内的生命を与えた最初の作曲家だということが出来るのである。尤も、第一ヴァイオリンの優位がその基本的な原理であることに変わりはないが、各パートがそれぞれ独立し、各メンバーが相次いで独奏者として登場するおかげで、それぞれのパートの均衡は精彩にあふれ、味わい深いものになっている。 ハイドンが1755年-1760年に書いた初期作品は、同時期のボッケリーニの諸作品の質の高さには、はるか及ばない。モーツアルトが1787年-1790年にかけてウィーンで書いた弦楽四重奏・五重奏曲にもボッケリーニの影響がうかがえる。

そこで、個人的に疑問を抱きました。上記のように、(質の高い?)弦楽四重奏曲を数多く残し、弦楽四重奏曲というジャンルに完成した形を最初に与えたという名誉に輝くのはボッケリーニである、とまで書かれているのに、なぜ弦楽四重奏を確立したのはハイドンであると言われるのか、著者と主張と史実の乖離はどこから生まれるのか、ということです。


西洋音楽史(グラウト=パリスカ)中巻P.326によると、

…彼らはそれぞれ独自に時代に貢献し、もっと注目されてしかるべきである。しかし彼らの音楽の多くは今日でも聞いたり研究することが出来ないため、彼らを含めることは、残念ながらこの段落が例になってしまっているように、無味乾燥に名前を拾い上げ列挙することを増やしてしまうだけとなるだろう。ハイドンとモーツアルトはともに、18世紀後期に行われていたすべての種目を手掛け、その音楽は時代の生み出した最良のものを代表している。

とのことでした。なんとも諦めムード・・・^^;

確かに、ボッケリーニが生きた「古典派」(この場合の古典派とは、ハイドンと同世代という意味で使っております)の時代としては、

まず「古典派・古典的」の語が一般に、規範的、完全な均斉と調和といった意味を含んでいるということ、また、時代の特質として、普遍的且つ優れたバランス感覚を有することが求められていました。もっと言うと、作曲ジャンルに偏りが無く、ジェネラリスト的な存在であることが良しとされていました。

そのため、当時は革新的且つ論理的で、汎用性の高かった「ソナタ形式」が定義されたにもかかわらず、あまり形式を重視していなかったことや、ハイドンほどユニークで、弦楽四重奏を根本から改造してかかるような作品を残していないことなどから、ボッケリーニが古典派作曲家としての研究対象外になってしまうことは致し方ないことであるとも言えるかもしれません。残されている資料としてもさほど多くないのでしょう。

但し、楽譜や音源が全く残っていないということはなく、YouTubeやCDなどで音源を聴くことはできるため、彼の作風に触れることは可能です。私もボッケリーニの弦楽四重奏を聴いてみました。

優雅ではありますが、前向きで、案外華やかという感じです(王室お仕えですので)。曲によりますが、形式にとらわれておらず、色彩豊かで驚きました。細かいトリルの2重奏や、32分音符の掛け合いなど、演奏の難易度は高いと言えます。当時頂点を極めていたヴィルトゥオーゾや、チェロの名手であるボッケリーニの腕が光りそうですね✨

また、第1或いは第4楽章の冒頭部分は moll(暗い調)で開始し、テーマに入ると長調に切り替わるなど、意表を突かれることが多かったです。面白いと思います。

こちらの演奏をされているヴェネツィア弦楽四重奏団は、なかなかイカしたナイスガイたち、演奏は見事です!!


結論、弦楽四重奏というジャンルをハイレベルに引き上げたのはハイドンであると言えますし、もしかしたらボッケリーニの弦楽四重奏曲が発掘(または再評価)されたのがここ最近の話だから、情報がアップデートされていないだけかもしれませんが、ボッケリーニはハイドンよりも早い段階で弦楽四重奏曲を優雅にまとめ上げ、同世代のハイドンや後世の作曲家に刺激を与えられるほどの影響力を持っていた、と言うことができるのではないかと考えます。


弦楽四重奏というのは、ソナタにおける対話と、初期の交響曲における4つの声部の豊かな音響、両者の中間に弦楽四重奏曲は位置していて、交響曲からその独奏者が抜け出た形である、とよく言われるのですが、それは本当にそう思います。シンプルなのに豊かで美しいです。

では、補足はこれくらいにしておきます(^^)/


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